長く使えて贈り物にもなる。ジュエリーとの出会い
由希さんはご両親の薦めもあって秋田県の大学の教育学部に進学しましたが、昔から憧れていたファッションの世界で働きたいと考え、卒業後は上京。大阪でアパレルブランドの日本総代理店で働きながら趣味で洋服のデザインもしていました。憧れの世界から、なぜ宝石業界に転職したのでしょうか。
「昔から、何があっても自分一人で生きていけるように手に職をつけようという考えはあったんです。ファッションの仕事は好きだったんですが、流行に左右される業界ですから、ずっと続けていけるか不安がありました。そんな時、同じファッションでもジュエリーは長年使えるものだし、贈り物にもなっていいなと。これだ!と思ってジュエリーの会社に転職しました。」
新しく就いた仕事では店舗に配属され、鉱物である宝石の魅力や接客の楽しさに惹かれ、接客技術を磨いていきました。
夫の夢を応援するためにUターンを選択。同時に東京との2拠点生活もスタート
2012年には神奈川県出身のご主人と結婚。当時、ご主人は食品を扱うNPO団体に勤務しており、その仕事柄、全国を飛び回っていました。次第に自分も農業がしたいと考え、その夢を由希さんに相談。2015年4月、二人で鶴岡に移住し、ご主人は新規就農の制度を活用して農家となりました。夫婦で決めたこととはいえ、由希さんはUターンすることをどう考えていたのでしょうか。
「就農支援制度でご紹介いただいた指導農家さんがたまたま私の実家がある鶴岡だったので、そのままUターンという形になったのですが、当時東京での仕事や生活は充実していましたし、彼も実家が神奈川にありますから、まさか(笑)でした。鶴岡に戻るなんて考えていませんでしたね。」
ちょうどその頃、由希さん自身にも転機が訪れます。東京にある別の会社に声をかけられ、ジュエリーデザインや小売店での販売についてコンサルティングする仕事を引き受けることになったのです。そこから東京と鶴岡の2拠点での生活が1年ほど続きました。当時の様子を振り返っていただきました。
「クライアント企業の定例会議に合わせる形で月の半分は東京、残りは鶴岡という生活を送っていました。もともと鶴岡にUターンしたきっかけは夫だったので、鶴岡に戻るつもりがなかった私にとってはこの2拠点の生活は気分転換になってよかったです。」
鶴岡にいる間も何か仕事をしようと、空いた時間でできることを探していた由希さんは、「鶴岡ナリワイプロジェクト」による起業支援講座に参加します。このプロジェクトは主に女性を対象としており、スモールビジネスを支援しています。
▲ナリワイプロジェクトでかつて講座を受けていた黒澤さん。今は社会人向けに講座を開いています
「ナリワイプロジェクトを見つけてくれたのは夫でした。2015年度の『月3万円ビジネスコース』を受講したのですが、最初は軽い気持ちで、友達ができたらいいなくらい。でも起業について必要なことを分かりやすく教えてもらえて、今でも役に立っています。」
ジュエリーデザインを中心に複数の仕事を掛け持ち
以前から友人のためにピアスの補修やデザインをしていた由希さんですが、ナリワイプロジェクトの起業支援講座に参加したことで、本格的にジュエリーデザインの仕事を始めることを決意。同時に、鶴岡と東京の2拠点生活にも終止符を打ちます。
「コンサルティングの仕事が一区切りついたこともありますが、私が東京にいる間は鶴岡の家のことが何もできませんし、夫や家族のことがほったらかしになっているのがずっと気になっていたんです。今思えばいいタイミングだったのかなと思います。」
現在はアクセサリーの補修やリフォームを中心に、結婚・婚約指輪をフルオーダーで受注しています。指輪はこれまで10組のカップルに贈られました。由希さんは男性からお相手の方の好みを細かくヒアリングし、それを元にデザインを提案します。デザイン後は東京・御徒町にある金属加工の職人に依頼しています。ジュエリーの仕事は口コミだけで広がっていて、お客様は徐々に増えているそうです。
▲実際に提案された指輪のデザイン
変わったところでは、若い猟師さんからの依頼で、熊の爪を使ったアクセサリーのデザインを今ちょうど手がけているところです。よく目にするのは熊の爪にひもを通しただけの状態ですが、由希さんによって写真(下)のような素敵なデザインに生まれ変わる予定です。
由希さんはジュエリーデザイン以外にも、ナリワイプロジェクトと非営利団体の事務局業務、家庭教師と4つの仕事を掛け持ちしながら、単発で企業ロゴやイラストデザインの仕事も請け負っています。
▲高校生向けの講座をすることも
家庭教師は大学時代の専攻を活かしたものですが、それ以外の仕事はすべて、由希さんの仕事ぶりや人柄を知る友人・知人からの紹介で依頼された仕事だそうです。
サーフィンで充実する私生活
▲サーフィンの師である山本さんとその娘さんと
鶴岡市は平野でどこまでも田畑が広がる景色のため、由希さんのご自宅から本当に海が近いのか実感がわきませんでしたが、車で10分も走ると海が見えてきました。
学生時代にボディボードを始めた由希さんですが、鶴岡にもサーフショップがあり、世界大会での入賞経験もある山本友紀さん(写真中央)の指導が受けられるスクールがあります。由希さんは中古でショートボードを購入し、山本さんのレッスンを受けました。
この日は15人ほどが波乗りを楽しんでいました。由希さんは取材の写真撮影だけで訪れたため「最近はなかなか来られなくて。タイミングがあえばみんなで撮影ができたんですけどね」と残念そう。山本さんと談笑している間も海を眺めていましたが、サーフィンを通じて出会った仲間を大切にしている様子が伝わりました。
ほっとする料理で心も満たされる。人気の農家レストラン「菜ぁ」
海での撮影を終えると「ランチに素敵な場所があるんですよ」と、レストラン「菜ぁ」に案内してくれました。ここは小野寺さんというご家族が10年以上前に始めた農家レストランです。ご家族が農薬を使わずに育てた野菜と有機栽培米を中心に、肉や魚といった食材も庄内地方で採れたものを使っています。古民家を改装しており民宿もあるので泊まることもできます。全国各地にいる由希さんご夫婦の友人が鶴岡に遊びに来る時は、決まってここを利用するそうです。
この日は庄内豚を使ったメニューを頼みましたが、ガス釜で炊かれたごはんは粒が立ってとても美味しく、副菜も汁物もほっとする味つけでした。由希さんが、とっておきの場所として友人を連れてくるのもわかる気がしました。
「菜ぁ」は小野寺さんご家族で経営されていますが、オーナーの小野寺紀允(のりまさ)さん(写真下)も鶴岡にUターンした方です。由希さんによると、ご主人を通じて小野寺さんのような鶴岡での友人が増えていっているとか。
「鶴岡は夫のほうがよそもののはずなのに、地域の皆さんに可愛がられていて。私より鶴岡での友人は多いんです(笑)。」
▲農家レストラン「菜ぁ」にて。小野寺紀允さんと並んで
大事なことは、好きな仲間といつでも会える環境にあること
由希さんはUターンしてからも新しい友人に恵まれ、仕事もプライベートもとても充実しているように見えましたが、2拠点生活を終えてからまだ1年も経っていません。改めて、現在の鶴岡での暮らしについて伺いました。
「引っ越してきてから大きく変わったのは価値観ですね。例えば仕事。今まで“質の高い仕事”というのは売上などの数値にあらわれると思っていたんです。その考えが鶴岡で変わりました。ナリワイプロジェクトや鶴岡で知り合った人からの影響もあって、世の中にはいろいろな価値観があるんだと気がつきました。鶴岡にいて世界の広さを感じています。」
まさか地元に戻るとは思っていなかった、と話してくれた由希さんですが、今の心境はどうでしょうか。
「ほんとにしあわせです。裕福な暮らしを送っているわけではないですが、お金では買えない充足感がありますね。結婚して5年が経ちましたが、夫は私が“この人を幸せにしたい!”と思えた人だったんです。優しいですし、今お互いにやりたいことに熱中していて、干渉はしないけど互いを気にかけているという距離感も心地いいです。」
最後に、移住を考えている方にメッセージをいただきました。
「引っ越したら定住、というふうに堅く考えずに、相性が合う場所を探し続けてふらふらしてもいいと思います。私にとって大事なのは固定された場所ではなくて、“仲間と会える環境”でした。今でも全国のあちこちから友達が遊びにきてくれますが、物理的な距離の遠さは関係なくて、気軽に移動できる環境、時間を持てたのがよかったと思います。一般的な会社勤めだとこのような生活はなかなか難しいですよね。今の仕事なら、いずれ鶴岡と別の地域の2拠点もできるんじゃないかと、ちょっと楽しみです。」
自分自身で時間を管理する働き方を手に入れたきっかけは、鶴岡ナリワイプロジェクトとの出会いでした。鶴岡市と連携した事業なので市全体でも起業を応援しています。さらに最近では、鶴岡にIターンしてきた人たちによる、よそものコミュニティもできつつあるそうです。海と山の両方の恵みを楽しめる鶴岡市、起業を考えている方にもおすすめです。