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2017年11月7日 清水美由紀

農業を通じて地域をもっと面白く!魅力的な商品作りで人気の「FROM FARM」

和歌山県海南市下津町。この町で生まれ育った大谷幸司さんは、愛知県で出会った奈穗子さんとともに下津町で新しい生活をスタートさせました。そして「この町をもっとおもしろくしたい」という想いを、農業を軸とした活動で表現しています。東京をはじめ全国に広がる「FROM FARM」の商品づくり、そして援農活動へと、地域での活動の幅を広げている大谷幸司さんに、移住に至った経緯や地域での活動についてお話を伺いました。

Uターンして見えてきた、和歌山の農業の現状。豊かな発想で、新しい一歩を踏み出す

みかん農家だった幸司さんのご実家ですが、お父様がバブル期に施設園芸へと軸足を移し、花卉栽培が家業となっていました。一方幸司さんは、大阪の会社に就職し、出向先の愛知県で会社員として働き、その中で奈穂子さんと出会い結婚。子供も生まれ穏やかな生活を送っていました。ただ心の中ではいつも「長男だし農業をいつか継ごうか。」とご実家のことが気に掛かっていたのだそう。幸司さんの社会人生活も9年が経った頃、お父様が体調を崩されました。

「何千万もかけて園芸のための施設を建てたり、他の事業を始めたりと借金もふくらんでいました。だから僕が帰ってきてなんとかしないと、という気持ちがありました。」

大谷さん

2007年に家族で移住し、7年間は施設園芸の仕事をしました。

「農業をやっているうちに、周りの農家さんやJAの方と話をする中で、和歌山の農業の現状みたいなものが見えてきたんです。小さい頃から父親を見てわかっていた部分に加えて、大人になった目線で見えて来ることがあって、『こうしたらもっと面白いだろうな』と感じることが多くなって、自分のできることをちょっとずつやってみようと思いました。」

和歌山県は、全国の7割近くの国産山椒のシェアを持っています。特殊な柑橘の香りのする「ぶどう山椒」は、和歌山県でしか作られていないのだそう。

「地元でずっと育ったのに、山椒のシェアが高いことも、ぶどう山椒の存在も知らなかったんです。山椒といえばうなぎですが、何にかけても意外においしい。だから色々な料理に使えるようなものを作れたらいいなと思いました。」

そう考えた幸司さんは、早速行動を開始しました。しかも、ひとりで試作して身近な農産物直売所で売るといった手段ではなく、想像を超える人物へアプローチしたのです。

それが、料理人の野村友里さん。原宿にある人気レストランeatripを主宰する料理人です。幸司さんは、野村さんと面識はないものの、「日本人のこれまでの常識にとらわれない、新しい感覚の人にお願いできたら」という想いだけでメールをしたのだそう。しばらくした後に返信があり、めでたく「nomadic kitchen」プロジェクトで、山椒を使った塩の開発が決定しました。

加工所

あるものを活かして、今の時代に新しい商品作りを

「nomadic kitchen」プロジェクトでの山椒塩開発と並行して、幸司さんは加工所も作りました。元々、近所の方がみかんの貯蔵倉庫として使われていた建物を借りて、リノベーション。いつも近くを通る時に「可愛いなあ」と思って見ていたという建物です。自分で壁を塗ったりとDIYもしながら、心地のいい空間を作り上げました。

「せっかく加工所もつくったから、他にも自分たちでできることは何でもやってみよう。加工を本気でやってみようかなって思って、少しずつやり始めたんです。」

幸いにも、お父様が以前購入した機材がいくつも自宅にありました。シュークリームやアイスクリームを作るマシンや、業務用オーブンや冷蔵庫。

「借金は大変でしたが、せっかく機械があるんやから、僕がそれを生かして回収したろじゃないですけど。あるものをできるだけ生かして、それやったらできるなあってことを始めたんです。」

和歌山にある果物や山椒を生かした商品づくりの始まりでした。

そして出来上がったのが、「FROM FARM」の「ドライフルーツ」「グラノーラ」「ナッツ」の商品です。フルーツ王国で果物の種類が多い和歌山。この果物を生かすために、山椒農家さんから使われなくなった業務用の乾燥機を譲ってもらい、ドライフルーツをつくり、そのドライフルーツを生かすためにグラノーラも商品化しました。現在では山椒風味のグラノーラや、柑橘入りのナッツなども販売されています。

そうして作られた商品は、地元の知り合いのカフェに置いてもらったり、マルシェに出店して販売したりと、花卉栽培の仕事と並行して少しずつ認知を広げていきました。

「ドライフルーツ」「グラノーラ」「ナッツ」

勝負の時!自分の道へと進むタイミングは今

ある時、幸司さんに大きなチャンスがやってきました。知り合いの方を通じて、東京で開催されるインテリアの大きな展示会「インテリアライフスタイル展」へ出店をしてみないかという誘いを受けたのです。時代的に、モノ単体にフィーチャーするというよりはライフスタイル全般が求められるようになってきており、それまでインテリアのみで開催されていた展示会に、「食」に特化したブースが設置されることになった初めての年でした。

「それまでは地元で小さくやってるつもりやったのが、ああこれチャンスやな、本気で勝負したろかなって思いました。それでつながりのあるデザイナーさんにお願いしてパッケージデザインを考えてもらい、出店時のブースデザインも和歌山出身の方にお願いしました。どこにも名前を知られていない僕らだから、もうこんなチャンスなんてないだろうし、全国の方に見てもらえるよう整えたんです。」

その努力のかいあって、展示会は大成功。全国のあちこちのお店から注文をもらえるようになりました。ここで幸司さんはひとつの決断をします。

「それまで7年間、花卉栽培の仕事をして父親の借金の目処もつくようになってきました。その時僕が35歳。お金のことだけ考えたら花の仕事をしていた方が良かったかもしれないんですけど、やりたい道へ進むタイミングは今なんやろなっていう気持ちがあったんです。僕にしかできないことをやらないとって。」

そして幸司さんは、花卉栽培の仕事を一切辞めて、「FROM FARM」一本に絞ることにしました。そして、もうひとつの新しい事業もスタート。

「和歌山県内の方が、『商品をここで買えないのか』と問い合わせてくれることも増えてきたので、加工所をカフェとしてオープンしたんです。農業をしていた7年間って、外の世界に触れ合うこともなかったんですけど、『FROM FARM』の活動を始めたら色々な方と知り合うことができました。そういう方と触れ合う場所として、また僕らが活動や商品を直接伝えられる場所として、実店舗があることでもっと濃い発信ができたらいいなと思ってスタートさせました。」

カフェ

人手不足の農家と、短期農業従事者とをマッチングする「蜜柑援農」

幸司さんの活動は、さらに加速します。昨年からは「蜜柑援農」という、農家と短期農業従事者とをつなぐプロジェクトに携わっています。このプロジェクトは「援農キャラバン」といって、収穫の時期に20~30代の若者が住み込みで働きにくる文化が出来つつあったものを、神戸のシェアハウス事業をしている方がモデル化した事業だと言います。

「住み込みで若い子に来てもらうのは嬉しいんだけど、その子たちの世話をするために、一番の働き手である農家のおかあさんが畑に出られないという葛藤がありました。それで、空き家を探して数人で共同生活できるようなシェアハウスをつくったのが始まりのようです。うまく行ってはいたのですが、神戸と和歌山は離れているのでなかなか面倒も見きれない。収益性もないので続けられないから、引き継いでいる人を探しているというので、僕が手を挙げたんです。
これまで加工事業だけしていたときは、『地域の農業をおもしろくしたい』『地域の農産物を使って商品をつくりたい』と思っていても、正直、農家さんとの間に壁を感じる部分もあったんです。でもこの援農のことを知った時『農家さんがほんまに求めてるのはこれやな。農家さんが困ってることを助けていった方が、農家さんといい関係を築けるんじゃないか』って思ったんですよね。去年はサポートをしていたのですが、今年からは僕らが引き継いで本格的に全部やらせてもらってます。」

蜜柑援農チラシ

援農に来る若者は、町に新鮮な空気をもたらしているようです。

「季節の農業バイトで各地を渡り歩く若者も多いんです。例えば北海道でいくらを取るバイトをした後、利尻昆布のお手伝いをするバイトをして、次は小豆島でオリーブの収穫。そして和歌山でみかんの収穫をしたあとは、鹿児島でさとうきびの収穫をするとか。そして、年の半分は海外へ行くとか、そういった旅人文化というか、自分の好きなライフスタイルをする人たちがいるんですよね。
この近隣にも毎年そういう人たちが100人とか200人っていう規模で来てくれているんです。多様な価値観に触れることができて面白いですよ。それに割と、ボランティア精神というか、助けることや求められることに喜びを感じたり、つながりを大切にする人が多いように感じます。農家さんも何十年と田舎から出たことのない方も多いですから、そういった若い人の話を聞くのが刺激的で面白いみたいですよ。」

もちろん楽しいことばかりではありません。収穫時期といえば農業の最盛期で、農家さんも真剣さが増しています。たまには怒られたり、援農に来た若者同士がぶつかったりすることもあるそうですが、帰る時には皆「人生で得難い経験をした。シェアハウスの仲間とも濃い関係性を築くことができた。」と、一皮剥けた晴れやかな顔で帰っていくのだと言います。農家さんの人手不足という深刻な状況を改善しつつ、若者に人生で得難い経験を提供する。そのマッチングができることを、幸司さんは心から楽しんでいるようでした。

最後に、幸司さんと奈穂子さんに今後の夢を伺うと、こんな答えが返ってきました。

「今はお店や商品作りのことに一生懸命なんですけど、本当は畑のことを一生懸命やりたいんです。胸張って農業やってますって言えるようになりたいです。あとは、農業だけにかかわらず、下津町っていうこの場所をおもしろくしていきたいですね。そのためには、まず自分たちが魅力的になって、何もなかったこの地域に人や店が増えていったらいいですね。5年後また来てもらったときに、『こんなに変わったんだ!』と言ってもらえるよう頑張ります。」

穏やかだけれど、熱い思いを胸に秘めたお二人。時勢をキャッチして波に乗り、手助けしてくれる仲間に恵まれ、力強くやりたいことを叶えていく「FROM FARM」の活動は、まだまだこれから地域で生きることの楽しさを発信してくれそうです。

取材先

FROM FARM/大谷幸司さん

1978年和歌山県生まれ。大阪の会社に就職後、愛知県へ出向となり、愛知県で9年間過ごす。2007年に和歌山県にUターンし、花弁園芸農業に従事。その後、「Nomadic kitchen」監修の商品開発を経て、「FROM FARM」の商品開発・製造をスタートさせる。現在は、カフェ営業や援農プロジェクト「蜜柑援農」に携わっている。

◆FROM FARM
HP:http://from-farm.com/

清水美由紀
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清水美由紀

清水美由紀フォトグラファー。自然豊かな松本で生まれ育ち、刻々と表情を変える光や季節の変化に魅せられる。物語を感じさせる情感ある写真のスタイルを得意とし、ライフスタイル系の媒体での撮影に加え、執筆やスタイリングも手がける。身近にあったクラフトに興味を持ち、全国の民芸を訪ねたzine「日日工芸」を制作。自分もまわりも環境にとっても齟齬のないヘルシーな暮らしを心がけている。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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