以前の仕事を通じて、紀伊半島に馴染みがあった
東京で育った後、新卒でそのまま都内メーカーに就職した大越 元さん。学生時代から「いい働きかたをする人がもっと増えたらいい」との思いを常に抱きながらの入社だったと言います。
そんな大越さんに転機が訪れたのは、27歳のとき。求人情報サイト「日本仕事百貨」の編集者・ライターに転職し、東北から鹿児島まで、日本全国の職場を取材する3年間を送りました。
紀伊半島に縁が生まれたのは、その仕事からです。奈良県の川上村、三重県の尾鷲市などと並んで、和歌山県では色川地区の地域おこし協力隊の募集記事を担当しました。
「取材をするうち、同年代の人たちと知り合いました。そのうち紀伊半島に思い入れが深くなって、仕事以外でも訪れるようになったんです。自分が数年後に移住することになるとは、まったく思っていませんでしたね。」
2015年に独立。東京でウェブサービスの会社を起業しようと試みつつ、プライベートの壁にぶつかり悶々と過ごした時期だったと振り返ります。そんなときに声をかけてくれたのが、色川地区で生活している津崎さんでした。
2015年12月、初めて色川で暮らした1ヶ月。大阪からクルマで5時間もかかるアクセスの悪い土地で、薪割りを自分でしないと入浴できない家に泊めてもらいました。東京育ちの大越さんには大変な環境にも見えますが、圧倒的な自然とともにある暮らしを送るうち、次第に充足感を感じたそうです。
「当時考えていたウェブサービスのリサーチをするため、全国を回るつもりで東京を発った後、春に色川で茶摘みがあったので季節労働をしようと寄ったんですね。僕には『移住』という節目がしっかりとはなくて、何度か通ううちに、居場所を分けてもらったんです。」
大越さんが再び色川を訪れたのは、2016年4月でした。
お金を介さないやり取りの「効率の良さ」に気づく
移住をあまり意識しないで始まったという、色川での生活。最初は都会とのギャップがありました。
「こちらに来て最初に感じたのは『お金』に対する考えかたの違いです。僕は東京で『最低でも月に30万円の現金収入を得なきゃ』という発想が染みついていました。でも、いざ色川に住んで仕事をしようとすると、あまりお金をくれる人がいないんですよ(笑)」
大越さんいわく「人にもよるけれど、和歌山の人は比較的オープンな人が多いと思う。」
「その代わり『お金がなくても家に泊まっていいよ、代わりに草むしりしてちょうだい』とか『食べるものに困ってるなら、うちで余っている野菜を食べればいいじゃない』と言ってくれる。こうした申し出に対して、僕もお金がないので、労働や他のもので払うことになります。でも、そのほうが早いし、わかりやすい。なにかの能力や成果を、いったん換金してお金で払うという方法は、けっして効率が良いとは思わなくなりました。」
住んでいるのは、他の移住者が以前に借りていた家。広さ40畳で、畑と駐車場付き。しかし、湿気がすごくてムカデも出る。トイレは汲み取り式で、空調はナシ、Wi-Fiも入らないけれど、都会から訪れるゲストは口をそろえて「よく眠れた」と言うのだそうです。
大変だけれど充実した暮らしぶり。農業や林業などの第1次産業に携わらない大越さんは、どのように生計を立てているのでしょう。自前のウェブサイト「紀伊半島の住まい 仕事 遊びKii」を立ち上げてしばらくの間は、とても苦労したようです。
儲けることを諦めると、仕事がついてきた
「Kii」が収益の柱にしているのは、地元企業の求人を有償で取材する記事。でも、立ち上げてからつまずきました。
「最初の記事の後、2件目、3件目の求人が続かなかったんです。思えば『自分はライターだ』という客観的な立場にこだわっていたからだと思います。なんとか肩書きだけで関係をつくろうとしていたから、なかなか仕事でうまくつながらなかったんですね。」
そうは言っても、なにかと気にかけてくれる人たちは多かったのだそうです。「あまりお金をくれる人がいない」という言葉の裏返しで、お金以外の機会をもらえるようになりました。
「東京だと『この人にはこういう能力がある』という理由で仕事が成り立ちますが、和歌山では『なんとなくこいつといると気持ちがいいな』という具合に『人となり』が仕事の前にあるのかもしれません。例えば『今は求人は出せないんだけれど、パンフレットはつくれるんでしょう?』などと声をかけていただくようになりました。」
能力だけで仕事を依頼されるのなら、他の人でも替えが効くと言えるかもしれません。でも、それは人があり余るほどいる都会の話。人の少ない地方都市で仕事や対価がどう生まれるか、大越さんは自分の仕事や取材を通じて考え続けています。
「こちらに来てから、お金を儲けることを一番に考えないようになりました。もっと素直に、会いたい人を訪ねてみる。お互いにウマが合えば、友達になる。飲みに行ったり、お茶しながら『なにか書いたり、写真が撮れるんだったらこういうことができるでしょう?』とふと言われ。そうして、仕事がだんだん生まれてきたんですね。」
個人の能力の有無は移住の成功条件ではなく、「相手のことを『なにかを成し遂げるための手段』と見るのをやめることから始めよう」と、実体験からのメッセージを発信しています。
地方で生活を営む人たちが、自尊心を高めることに関わりたい
自分は農業ができるわけでもないし、特別な能力があるわけではないという大越さんは、自分自身が「移住を検討している人が『自分でもできるんちゃう?』と思うきっかけになったらいいな」と考えています。
「僕が住んでいる紀南には、特別な時間が流れていると感じます。ここに来た人は、みんな元気になるんじゃないかな。同時に、すごい勢いで人が減っているのも事実ですから、都心に人が集まりすぎている日本の現状をよく表している土地です。」
大越さんは海外から来たゲストを紀南を案内したときに、「なんでこんなに若い人が少ないの?」と質問されたそうです。「海外のもっと僻地と呼ばれる村では子どもや若者が暮らしていて、そこにはそこの幸せがあるはずなのに」と。
しょせん僕はヨソモノなんですけど、と前置きした上で大越さんは続けました。
「優秀な若い子ほど『こんな土地にとどまらないほうがいい』と言われてしまうのは、親や学校の先生の意識が原因にあるのかな。大人がつまらなそうにしていたら、子どもだって出て行きたくなると思うんです。それは日本中にある病気だと思います。」
「でも、Kiiをはじめて気づいたこともあります。20、30代を中心に『東京じゃなくて、ここで勝負できる』『人がいきる職場をつくろう』『いつでも帰ってこられる仕事を増やそう』という人がいます。フランスへみかんを届ける農業法人、嬉しそうに働く板金屋さん、20代がわいわいデスクを並べる葬儀社…。」
土地の外へ出て行っても、行かなくても構わない。「それを考える材料がこの土地の十代にとってもう少し多様でもいいのかな。」と大越さん。
「人が生きるなかで、“仕事”って大きな存在だと思うんです。だから、僕は求人を通して、もっと仕事が楽しくなるきっかけを提案したい。そして生活が豊かになると思っています。」
紀伊半島の魅力を外にいる人だけではなく、中にいる人たちにも発していく。「Kii」の目指している姿勢が、丁寧に書かれた記事からも伝わって来ます。