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2017年12月11日 清水美由紀

全ては「おいしいコーヒー」のために。子育て中から目指した焙煎士の夢を叶え、地道に歩みを進める「THE Roasters」神谷仁子さん

和歌山駅から車で約30分ほど行った、田んぼやいちじく畑の広がるのどかな地域に「THE Roasters」という自家焙煎コーヒーのお店があります。福島県出身の神谷仁子さんが、旦那様のご実家であるこの地域に移住しオープンしたこのお店は、近所の方や旅行客が訪れてはゆったりとした時間を過ごすお店となりました。

子育て中にコーヒーの道に進むことを決意し、新しい地域でチャレンジする神谷さんに、移住までの経緯や現在の暮らしについてお話を伺いました。

福島から東京へ。そしてまた福島へ。そこで起こった人生の大きな転機。

もともとカフェで働くなどコーヒーが好きだったという神谷さんですが、焙煎士への道を進むきっかけとなったのは、武蔵野美術大学で出会った旦那様と東京で結婚後、福島県にUターンし主婦をしていた頃でした。

「福島に戻ったのは、子どもが生まれるタイミングだったんです。私が福島出身で、夫は和歌山出身。お互い田舎育ちだったので、東京で子育てをするイメージがなかったんです。それでどちらかの田舎に戻ろうとなったときに、たまたま夫が働きたいと思える会社が福島にあり、それを機に引っ越すことを決めました。」

「THE Roasters」の神谷仁子さん

▲コーヒーを淹れる「THE Roasters」の神谷仁子さん

福島での生活が1年にも満たない頃、神谷家に大きな災難が降りかかりました。2011年3月11日。東日本大震災です。

「私たちが住んでいたのは、福島県の中通りだったので津波の被害はありませんでしたが、かなり揺れて非日常を味わいました。本当に映画の世界の出来事みたいで。幸いなことに命はある。けれど、原発のことがとても心配でしたね。」
この震災を機に、神谷さんはお子さんを連れて和歌山県にあるご主人のご実家に身を寄せることにしました。

「高速道路は通行止めで、まずガソリンも売っていない。飛行機で福島を出ようにも、長い行列に並んでチケットを買わなくてはなりませんでした。何時間も並んでようやく自分の番になったと思ったら、関空行きも羽田行きも売り切れだったんです。一度札幌へ行き、札幌から関空へというルートでなんとか到着できたのですが、1歳になったばかりの息子とふたりで飛行機に乗って私たちだけで脱出するというのは、あまりしたくない体験でしたね。」

住宅関係の仕事をしていた旦那様は福島県に残り、お客様の自宅を見て回ったり、水の配達をしたりと懸命に働かれていたそうです。

「しばらく夫と離れて暮らしていたのですが、家族は近くにいた方がいいと思い、なるべく線量の少ないところにアパートを借りて2年ほど家族で福島に暮らしていました。でも、水や野菜などの食べ物のことも気になるし、子どもが外で遊んで帰って来たら念入りに手を洗ったりと、神経質な暮らしでしたね。」

▲厳選したコーヒー豆をロースト

「子育てをしていても、新しい道を目指すことはできる」

不安な気持ちを抱えながら暮らす日々の中で、神谷さんには一筋の光明となる出会いがありました。
飯館村で営業していたものの原発事故による移転指示があり、福島市に移転し営業を再開していた「椏久里(あぐり)珈琲」を営む女性焙煎士の市澤美由紀さんです。

「コーヒーが好きで色々なお店を飲み歩いていたんですが、ここのコーヒーが美味しいと聞いて尋ねてみました。そこでコーヒーを飲んで、その美味しさにとても感動したのを覚えています。その時たまたま美由紀さんもお店にいらっしゃって、『子どもがいても家族のサポートがあればできるよ。私も結婚して子ども産んでからこの仕事を志して、今こういうお店をやってるんだよ』と、お話ししてくださったんです。」

その言葉に励まされ、やる気を奮い立たせた神谷さんは、2、3年間東京にあるカフェのトレーニングセンターに通いました。また、良いコーヒーを見分ける舌を育てるために、あちこちのカフェを巡って様々なコーヒーを飲んで研究されたそうです。

「コーヒーには投資しましたね。1杯2000円のコーヒーを飲みに行ったこともあります。」

そうやって神谷さんがコーヒーの勉強に邁進しているその頃、ご主人の仕事がひと段落したタイミングで、家族で和歌山への移住を決意されました。
「もともと福島に永住するつもりがあったわけでもなくて、夫が長男なのでゆくゆくは和歌山に帰ろうという心づもりがありました。5年は働こうと決めていたみたいなんですが、ちょっと短縮して3年で和歌山に来ることになったんです。」ふたり目のお子さんがお腹にいる、そんな時期でした。

カフェオレ

▲一杯のコーヒーと、一人の女性焙煎士との出会いがカフェを開くきっかけに

 

灯台下暗しだったみかん倉庫が、カフェに変身。

当初、神谷さんはもっと市街地の近くで物件を探していました。なかなか希望に合う物件が見つからずにいたある日、ご主人の友人が和歌山に遊びに来たのだと言います。

「夫のおじいちゃんがみかん農家だったんですが、もともとみかん倉庫だったこの建物を友人が見て、『素敵じゃない。ここをお店にしたらいいね』と言ってくれたんです。私たちにはただのみかん倉庫にしか見えてなかったので、それを聞いて本当に目から鱗でした。その友達の一言のおかげで動き出したという感じです。外からの目線って本当に大事ですね。」

そして、店舗やインテリアのデザインをしているご主人が、イギリス人の大工ドミニクさんとともにデザインや解体、施工を行いました。神谷さんも子どもをおんぶしながら開店準備を進め、オープン当初はお子さんを背負いながらお店に出ていたそう。

「夫が和歌山に引っ越してきてから、ドミニクさんのところでアルバイトをしていたんです。そのつながりで(和歌山県)紀美野町に多くの人脈ができて、そこにある人気のパン屋さんでコーヒー豆を仕入れてくれることになりました。夫はネットワークを作るのが上手みたいなんです。だから、ありがたいことにオープン前にはコーヒー豆の卸先が何軒か決まっていました。」そうして紀美野町での繋がりも強くなり、今では週末にコーヒースタンドを出店しています。

「THE Roasters」店内

▲店内の所々に木や植物が配され、優しい雰囲気をつくっている

 

コーヒーのことを伝え、カフェで過ごす時間を楽しんでもらいたい

見知らぬ地域に移住し、自分の道をコツコツと極め進んでいる神谷さんですが、不安になることはなかったのでしょうか。

「友達もいない土地だったので最初は不安だったんですけど、このあたりの方ってすごく面倒見がいいんですよね。私は東北の人間なので、どこか一枚壁を作ってしまいがちなんですけど、関西の人だから最初から人との距離が近いんです。気が付いたらすぐ近くに立ってるような。最初は驚きましたがすぐに慣れ、さらにそこからつながりもできたので寂しいことはなかったですね。たまに『県外妻の会』という飲み会なども開いたりしていますよ。」

全ては「おいしいコーヒー」のために。神谷さんがウェブサイトに載せている言葉です。

「そんなに器用じゃないので、地道な作業で美味しいコーヒーをつくっていくということをしています。近隣の方は、丁寧な暮らしをされている方が多く、豆を買って自宅で飲まれる方もいらっしゃいます。そうやって『おうちカフェ』を楽しんでいただけるというのは嬉しいですし、今後も広めていきたいなと思っています。」

焙煎した豆を焙煎機から取り出したり、注文を受けコーヒーを淹れる。ぷっくりとふくらむコーヒーにお湯を注ぎながら、神谷さんは自分のお店づくりの指標となった、ある経験を話してくれました。

「以前友人が結婚祝いにと銀座のお寿司屋さんでのお食事をプレゼントしてくれたことがあるのですが、そこでの体験がわたしたち夫婦にはとっても印象深かったんです。当時、20代の私たちにとってそのお店は敷居が高く、実はとても緊張していたんです。でもひとたびお店に入ると、大将がリラックス出来るような声をかけてくれたり、お寿司を存分に楽しむ豆知識を教えてくれたり。お客様に合わせて対応しつつも、フランクすぎないその心地よい接客にプロフェッショナルを感じました。是非あのお店でした体験を、私たちのお店でも再現できたらいいなと思って日々取り組んでいます。」

実は店内をよく見てみると、お店の中心にはカウンターが寿司屋さんのように伸びているのがわかります。このカウンター越しに、コーヒーの淹れ方を見たり、楽しみ方を語ったりするうちに、コーヒーが日常に溶け込んでいくのが分かります。和歌山に移住して4年。お店をオープンして3年。コツコツと着実に。神谷さんの淹れるコーヒーは、地域に広がっているようです。

あんざい果樹園のジュース

▲福島県福島市の「あんざい果樹園」がつくるジュース

取材先

神谷仁子さん

1981年福島県郡山市出身。武蔵野美術大学卒業後、インテリアショップやカフェなどで勤務。大学にて和歌山市大河内出身の夫、神谷健と出会い結婚し、出産を期に地元福島に家族で移住する。長男を出産後、焙煎士を目指して東京の老舗珈琲店バッハの田口氏の主宰するトレーニングセンターにて、焙煎の勉強を始める。さらに2013年、東日本大震災をきっかけに福島県から和歌山県に家族でUターンし、焙煎所とデザインオフィスを兼ねた「ザ・ロースターズ」をみかん貯蔵用の倉庫を改装し2014年9月にオープンさせる。

◆THE Roasters
HP:http://www.theroasters.jp/

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清水美由紀

清水美由紀フォトグラファー。自然豊かな松本で生まれ育ち、刻々と表情を変える光や季節の変化に魅せられる。物語を感じさせる情感ある写真のスタイルを得意とし、ライフスタイル系の媒体での撮影に加え、執筆やスタイリングも手がける。身近にあったクラフトに興味を持ち、全国の民芸を訪ねたzine「日日工芸」を制作。自分もまわりも環境にとっても齟齬のないヘルシーな暮らしを心がけている。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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