和歌山駅から車を走らせること約50分。木々に囲まれたくねくねの山道を進み、「本当にこの道で合っているのだろうか?」「こんな場所にジェラート屋さんがあるのだろうか?」とそんな考えが頭に浮かぶほどのヘアピンカーブを曲がって細い山道をくだる。そうして到着した山の中に「キミノーカ」はあります。
高速道路も走っておらず、電車で行くこともできません。「お店を開くなら、アクセスのいい場所に。」というこれまでのセオリーを覆すような辺鄙な場所にお店をオープンさせ、そのお店がどうやって人気店になっていったのでしょうか。
実はこのお店は、これまでの経験や哲学などのすべてを集約して生まれた、宇城さんの個性そのもののお店なのです。
人任せの生き方になっていた
大学入学とともに静岡県で暮らすようになり、卒業後は転勤で日本全国のあちこちを渡り歩きました。
「1997年大卒で、時代も影響していると思うんですが…終身雇用のシステムの中で育って、そこを疑うという概念がなかった世代なので、それなりに就職したらそれなりの生活が送れるだろうと思っていたんです。でも時代が変わっていく中で大きな国がなくなったり、バブルが崩壊するのを目の当たりにし、次第に自分の価値観が変わっていくのを感じました。」
経済が落ち込んでいく中、宇城さんは就職活動の年を迎えます。銀行やゼネコンが倒産、地元の大手小売りチェーンも経営破綻し、内定の決まっていた多くの友人が途方にくれる姿を目にしました。
「結構切ない世代なんですよ。信じきっていたシステム自体がなくなる可能性があるということを痛感しました。」
そして11年間金融系の会社に勤務した後、和歌山へUターンすることを決めました。
「雇われている立場というのは、人様に運命を委ねている形になる。人任せの生き方になっていたんですよね。その頃には、被雇用者という立場に将来性を感じなくなっていました。例えばあと10年サラリーマン生活を続けて、40歳を過ぎてからやっぱりサラリーマンはいいやってなった時に、なにか他にチャンスがあるのかどうか。なかなか難しいですよね。」
そうしてサラリーマン生活に区切りをつけ、家族とともに和歌山に移り住み、宇城さんは新しい暮らしを始めました。
就農して知った、農業の現実
宇城さんは、代々この地で暮らす農家に生まれ育ちました。和歌山県紀美野町は、国内有数の山椒の産地。ご両親も主に山椒と果樹を生計の糧としていました。宇城さんが農業に携わるようになってからは、経営規模を拡大し、野菜の栽培もするようになりました。
「農業って実際にやってみると、効率がよくないんです。売り上げと労働量がリンクしているので、常に植え付けをして作業をし、それが作物になり、お金になっていく。しかも、自分にしかできない作業が多いので、誰かに頼るとか仕事を任せるということができないんです。全部自分でやらないといけない。健康なうちはいいんですが、万が一何か起こったときにはどうなるんだろうと思い始めました。このままでは限界があるなと。そしてお店をオープンする2、3年前から生産だけではなく、6次産業へ踏み出すことも考えるようになりました。」
アンテナを張り続けることが、大切な出会いを逃さない秘訣
そうやってアンテナを張っているうちに、ジェラート製造機メーカーのデモンストレーションを見学する機会に恵まれます。
「サラリーマンとして岡山にいたときに、週末にジェラートを食べにいくことがあったんです。岡山にはジェラート専門店が4、5店舗あったんですが、どこも岡山の中心部から1時間くらいの場所なのにいつも多くの人で混雑していたんです。こんな場所でどうやって儲けているのかを探るべく、車の台数を数えたり観察することもありました。和歌山に来てからはそんなことすっかり忘れていたのですが、デモンストレーション見学のお誘いをもらって、行ってみることにしたんです。」
実際にデモンストレーションを見学してみて、ハードルは意外に高くないと感じた宇城さん。
「畑で作っている作物の数も多いし、山椒畑に建屋を建てれば、駐車場もある程度確保できる。整地にもお金がかかならいし、この環境があれば新しいことができるんじゃないかって思ったんです。岡山にいた頃、ただジェラートを食べに行ってそれで終わりにしていたら、紹介されたときにやってみようとは思わなかったでしょうね。面白いタネはどこにでも落ちてるなっていつも思うんです。」
「ここならでは」という制約が、オリジナリティにつながる
お店をオープンするにあたり、宇城さんがまず取り組んだのはコンセプト作りでした。
「最初から、農家が自分の畑で育てたものを使ってジェラートを作るというのをコンセプトにしたんです。ロゴにもそれを込めてるんですよ。麦わら帽子をかぶっているおじさんにも見えるし、ジェラートにも見える。それにこの辺りのランドスケープっていうのかな。川が流れてて地面があって、その上にジェラート店が建っているような。山にも見えるでしょ。」
そうして現在では、年間40〜50品目のジェラートが店頭に並ぶようになりました。メニューも「とうもろこし」「つゆあかね(梅ソルベ)」「えんどう豆」「スイカとパッションフルーツのソルベ」「干し柿白ワイン」「山椒チョコレート」「山椒ミルク」「甘ながとうがらし」「柿とマンゴーのソルベ」「ナスソルベ」といった、聞いたことも見たこともないものばかりです。
「最初の時点で、ここならではの『ここ感』というのを軸に、食材に制約をかけたことがよかったんだと思います。そうすることで『ここでしか食べられない』というジェラートになったんですよね。普通ならナスや唐辛子、名産の山椒なんてジェラートの材料にしようとは思わないでしょ。でも、最初の制約のおかげで、何かしらこのエリアに縁があるものということで、かえってコンセプトが明確になっていきました。そうやってオリジナリティを作るのがうまくいったのが、この地域ではじめたことの利点かな。」
SNSで拡散され、人気店に。お店までの道のりがアトラクション
そうして迎えた、2013年4月。宇城さんは、広告にお金をかけるという選択肢を選びませんでした。結果的に大きな広告となったのは、オペレーションやスタッフのトレーニングも兼ねて行ったプレオープン。GW前の週末の2日間に、ジェラートを無料で振る舞ったのです。
「SNSで告知をしたら、何人かがシェアしくれたんです。それで来てくれた人がまたシェアしてくれて、結局2日間で600〜700人の方に召し上がっていただきました。SNSという時代の力に驚きましたね。」
その盛り上がりのままGWに突入しました。「山の中にジェラート屋さんがあるらしい」「野菜のジェラートが食べられるらしい」そんな情報を目にしてたくさんの方が近県からも来店したそうです。そうして「キミノーカ」は瞬く間に人気店になっていきました。
「紀美野町は、関西の人口の多いどのエリアからも車で2時間圏内なんです。2時間圏内というのは、日帰りも出来るし、宿泊することもできる、日帰りの限界線なんです。その立地もいいんでしょうね。今の日本の社会システムとして、ちょっと前に当たり前だったことが当たり前ではなくなってきています。田舎がないという話も聞きますし、帰省してもおじいちゃんおばあちゃんが郊外の団地に住んでいたりする。でも子どもには、川遊びをしたりサワガニを取ったりと自然を体験させたいのが親心じゃないですか。だから1時間〜1時間半のドライブで、普段は味わえないような田舎感のある紀美野町に来て、そして道に迷ったりしながら店を探す。その道のり自体がアトラクションになっている感じがします。」
田舎はチャンスに満ちている
最後に宇城さんは、地方で仕事をすることについて教えてくれました。
「田舎ってチャンスだらけですよ。チャンスのタネって、そこらじゅうに落ちてるんですよね。落ちてないものとして歩いていたら、下も見ない。注意を払わないから、気がつかない。その中でも『あの人は運がいいよね』と言われる人というのは、ラッキーなんじゃなくて落ちているタネを拾ってるだけ、チャンスに飛びついてるだけなんですよ。とりあえず面白そうだなと思ったら拾ってみて、要らないと思ったら捨てる。その繰り返しです。」
地方でずっと暮らしていると、当たり前になりすぎていることを新鮮な目で見つめることは難しいもの。
「地元の人からしたら、薪割りなんて面倒くさいものなんですよ。でも都会から来た人はそれ自体が遊びだと思ってやっているでしょ。週末どうやって遊ぼうかと考えている人は、田舎で暮らしたり仕事をつくることに向いてるかもしれませんね。遊び人というよりも、柔軟性があって身軽な人。今みたいに可能性がどこにあるかわからないような時代には、移り気で軽い人の方がいいんですよ。」
時代を見つめ、目の前の状況を観察し、タネを探し続ける。意識を向け続けるからこそ、点と点は線になる。そうやって道を切り拓いてきた宇城さんのくれた言葉は、今の時代の生きかたを模索する多くの人のヒントになりそうです。