実家である農家を離れ、腕を磨く日々
大分県中津市の米農家に長男として生まれた丸山さん。「学校から帰ってきたら、ランドセルを背負ったまま草刈りや稲刈りをしていました」という少年時代は「いずれは農家を継ぐんだろうな」と考えていたそうですが、大学進学を目前にしたところで、父親から「農家を継がせたくない」と告げられ、進学先に東京の明治大学経済学部を選び、農業とは距離を置いた人生を歩み始めました。
「親父は当時、その理由をはっきり言わなかったんです。でも今考えてみれば、『農家は儲からない』っていう理由だったんでしょうね。当時は一生懸命作っても、農協で他の農家の米と混ざられちゃうので、『自分の米だ』って売れなかったんです。そういう親父の愚痴も聞いていたので、農家になるのは嫌だなあ、って思っていて。親父の言葉を聞いて、吹っ切れましたね。」
大学を卒業した丸山さんは、まず専門書を取り扱う出版社に就職。書店や取次店を回りながら、販売促進、在庫管理、書店での棚の確保など、営業の仕事をこなしていました。仕事に慣れてくると次第に物足りなさを感じるようになり、次は「日本一の営業マン」を目標に、外国車を扱う大手ディーラーに転職。そこでも大活躍し、数年で社内でも指折りの営業マンになったそうです。ところが「一番にはなれなかったので、もういいやと思って」と、あっさり転職を決意。次はアパレルの会社に飛び込みました。
「たぶん魔が差したんでしょうね(笑)。全然興味のなかった、アパレルの業界に転職しちゃったんですよ。そこでは生産管理の仕事をして、工場の職人さんともやりとりをしたんですが、それが面白かったんです。クライアントが指定した仕様書を持っていったら、『こんなんじゃダメだ、こうすればもっと良くなるから』とダメ出しをされて。『ものづくり』にかける職人さんの思いに魅力を感じて、何を間違ったのか(笑)、会社を辞めて自分でアパレルメーカーを立ち上げたんですね。でも、これが失敗しちゃって…。」
立ち上げたのは舞台衣装をオーダメイドで作る会社で、商品は高い評価を得たそうですが、品質にこだわるあまりお金がショートし、あえなく倒産。借金を返済するために、丸山さんはIT関連のベンチャー企業で営業職に就きました。そこで再び、農業との縁が生まれます。
「農家の息子だった自分」との再会、マルシェ事業を展開するまで
「この会社で、京都の農家さんと『道の駅』の農産物直売所を結ぶ在庫管理システムの開発をやったんです。その担当だったので、京都のいろいろな農家さんとご縁ができたんですね。結局その事業は途中で撤退することになり、僕も東京に戻ってきた時、『東日本大震災』が起きました。」
「その時、『自分が農家の息子だった』ということを強烈に思い出しましたね。現地からの『食べ物が足りない』っていう報道を聞いて、居ても立ってもいられなくなって。京都の農家さんから送ってもらった食料を車に積んで、陸前高田に炊き出しに行ったんです。その道すがら、『いまの会社にあと10年、20年勤めるっていうのは、なんかイメージがわかないな』って思ったんですね。で、『あとの残りの人生は、これまでずっと背を向けてきた農業に、農家さんに、何か恩返しをしていこう』と。」
そう決意した丸山さんは、まずはIT会社に籍を置いたまま、週末を利用してファーマーズマーケットに出店。京都の農家から送られてくる野菜を販売したそうです。ところがそれが就業規則に抵触して、会社に残るか、野菜を売り続けるかという選択肢に直面。丸山さんが選んだのは「野菜を売る」という選択肢でした。
会社を辞め、野菜を売って生計を立てるようになった丸山さん。しかし現実は厳しく、税金が重くのしかかり、ついに家賃さえ払えない状態に。家も失った丸山さんは、友人宅や、公園などに寝泊まりをして、ギリギリの生活を送ります。それでも野菜の販売に執着したのは、「日本の農業を変えたい、農家をヒーローにしたい」という強い思いでした。
「営業の基本って、お客さんのニーズを聞いて、それに対してどうソリューションを提案するか、ということなんです。でも、そういうアプローチって、それまでの農業の現場ではまったく無かったんですよ。おまけに、生産現場では『生産調整』とか、親父が愚痴っていたいような農協の問題点もあって。それじゃモチベーションが上がらないですよね。僕は、農家がもっと夢のある職業として捉えられるような世界に変えたいんです。そうじゃないと新しい人は入ってこないし、農業に未来は無いんです。」
強い思いと危機感に衝き動かされるように、辛酸を舐めるような生活でもなお、野菜を売り続けることをやめなかった丸山さん。転機が訪れたのは、ある出会いでした。
「ファーマーズマーケットのお客様から、当時、震災の風評被害で人気が急落していた勝どきの街づくりプランを募集しているという話を紹介していただいたんです。で、そこに『マルシェのある街づくり』という視点で企画書を作って提案したら、コンペに通って。それが今の「太陽のマルシェ」の元になっています。その時に今の会社を設立して、今に至るという感じですね。」
「うちのマルシェは毎月やっているので、そうすると、だんだんそれぞれの農家さんに『ファン』がついてくれるんです。そうすると、今度は農家さんのEC(ネット通販)サイトにもそのお客さんが流れて、農家さんの収入も安定していくんです。ですからマルシェでずっと売るというよりも、新たなチャレンジをするためのステップアップの場として、(マルシェを)利用していただければいいな、と思っています。」
地域ニーズを掘り起こしスタートした「tomos」とは
「代官山ワークス」では、マルシェの企画運営を主業務とする一方で、もうひとつの柱となりうる事業として、配食サービスの事業にも力を入れ始めているそうです。そのきっかけとなったのは、「IT企業が集まる山村」として注目を集めている、徳島県神山町を訪問したこと。何度か訪れるうちに町の魅力に惹きこまれ、現地のニーズを拾って「tomos」の配食事業をスタートさせたそうです。いったいどんな経緯があったのでしょうか。
「もともとのきっかけは、神山に移住していた友人から、『いいところだから遊びに来ないか』と誘いを受け、僕も興味があったので、遊びに行ってみたんですよ。そしたら町の人達は本当にいい方ばかりで、IT起業家じゃない僕に対しても、『なんか面白いことやってよ』って言うんですね。何か月か行ったり来たりしながら、『この街に足りないものは何なのかな』という視点で町を見ていたら、あることに気がついたんですね。」
「それは『食べ物』の問題です。あんなに自然が豊かで、目の前に畑も田んぼもあるのに、なぜか皆さん、コンビニエンスストアで買い物をしているんですよ。ITベンチャーの方も、コンビニで買ったものを、自分のデスクで食べていたり。『これって東京と何が違うんだろう』って思いましたね。」
その現状に「食の配達」のニーズを感じ取った丸山さんは、早速会社の新事業として配食サービスをスタートする準備にかかりました。「ニーズがあるならとりあえずやってみよう」と、町の人々に声をかけて協力者を募りながら、考案から半年後には、「tomos」のサービスを始めたそうです。
「tomos」の仕組みはいたってシンプル。基本的に1日2回(お昼と夕飯)お弁当の配達をしています。平日であれば毎日配達が可能で、土日祝日は定休日。月額で6千円ほどの会費を払えば、毎月12食まで何回でも注文できるという仕組みです(おかずのみは5千円)。1日に2回頼んでも良いし、追加料金を払えばさらにお弁当の追加注文も可能ということで、「わかりやすい」「使いやすい」をモットーにサービスの質の向上に日々取り組んでいます。
「最初は会員の高齢者向けで考えていたんですけれども、実際にやってみると、徐々に企業の方々からの依頼が増え、いまは2割くらいが企業や個人(非会員)からの注文ですね。役場に勤めている人や、作業現場の方、選挙の事務所などからも注文があるんですよ。」
「食」と「福祉」の融合、サービスの進化
「tomos」の配食サービスの大きな特徴は、お弁当配達の他に「お手伝い」と「見守り」のサービスも同時に提供していることにあります。もともとリユースの容器を採用しているため、回収のために二度訪問する、という手間があるそうなのですが、実はこの「回収」にも、大切な意味があるのだとか。
「もちろん、ゴミを減らすという理由もあるのですが、お弁当をそのまま捨てちゃうと、『残したもの』も一緒に捨てられちゃうじゃないですか。それが一番の理由なんですよ。たいがい田舎の人って、体調が悪くて残しても『全部食べたよ』って言うんです。遠慮しちゃって。でも、残し具合を見ることって、その方の体調を見るための大切な要素なんですね。なので、回収の時に食べ残しもチェックして、様子がいつもと違っていたら、役場に連絡して『あの人はちょっと体調が悪そうだ』とか、報告をしているんです。そうすると、役場の担当者が連絡を取ってくれて、場合によってはヘルパーさんを派遣してくれたりするんです。」
当初、こうした見守りサービスは配食の付帯サービスとして行われていたそうですが、行政側からサービスの有用性の高さを認められて、今では正式に契約を結び、もうひとつの事業柱として成長させていきたいのだとか。丸山さんの会社には新しい安定収益が生まれ、町にとっては大幅な合理化が実現できるという、お互いにプラスが生まれる結果となっているそうです。
また、配達と組み合わせて行うことが多い「お手伝い」についても、非常に手広く網羅していて、時には町内の人を斡旋することもあるそうです。
「たとえば、草刈りなんてのはけっこうスキルが必要なんですよ。一方で、農家さんの中には、時間も機械も有効に使えていない方がけっこういらっしゃて。それってもったいないじゃないですか。だから僕らはその間をつないで、時間とスキルのありそうな農家さんに『あの人の家の草を刈ってくれないか』って声をかけて、仕事として委託してやってもらっているんですね。そうすると農家の方も副収入になりますし、知らない人同士がつながり、町に新たなコミュニケーションが生まれることってすごく有機的な関係ですよね。」
新たな地、南房総でのサービス展開へ
潜在的なニーズを見つけ出し、上手に事業の中に組み入れるセンス。これも丸山さんが長年培った営業の手腕によるものなのでしょう。
また、この「tomos」のサービスは、神山町に続く第2弾として、千葉県南房総市でも展開を予定しているそうです。なぜ、南房総市を選んだのでしょうか。
「ひとつは、やはり東京に近いということと、もうひとつは多面性、多様性ですね。房総半島が面白いのは、外側と内側と真ん中で、まったく住んでいる方々の種類が違うという点だと思うんです。南房総市は内房と外房の両方がある市なので、こういう多面性がある地域で、『tomos』という事業がどうフィットするのか、試してみたいと思ったんですね。」
「いずれこのサービスは全国展開していきたいと思っているので、そのヒントを、南房総で掴みたいなと思っています。前例が神山のモデルしか無いですから、最初はそれを持ち込んでスタートしますが、やはりニーズは違ってくると思うので、合わないなという部分をカスタマイズしながら、“南房総モデル”を作っていきたいなと思っています。」
「まだまだやるべきことは沢山あるはず」と、今もほとばしるような熱意とバイタリティをもつ丸山さん。今後はどのような展開を考えているのでしょうか。
「マルシェについては、土日しか売れない、天候にも左右されるということが課題だったので、それを解決するために、今年の10月、実店舗をオープンさせることが決まりました。まずは「たまプラーザ」の駅の近くに店舗を持ちますが、今後はさらに増やして、農家さんのものを売りながら、その農産物を使ったメニューを食べられるような店舗を、都会の中に作っていきたいと思っています。」
「また、今はマルシェと『tomos』の事業がふたつの柱ですが、今後は店舗事業も加えた『3つの柱』でやっていくつもりです。でも、この3つの柱って、根本はみんな一緒なんですよ。僕らは「日本の農業が変わるきっかけを作りたい」んですね。そのためには、我々は上流から下流まですべてに関与しないと、なかなか変わっていかないんです。小さな力ではありますが、そういった、『日本の農業が変わるきっかけ』を、この会社で作っていけたらいいな、と思っています。」
これからの事業展開を見据える丸山さんは、今年開催される「南房総2拠点大学」の社会起業コースの一つ「食と福祉」テーマでプロジェクトリーダーを務めることになっている。最後に、「tomos」をどのように南房総エリアで展開していくのか、その考えについて伺った。
「僕が担当させていただくのは「食と福祉」みたいな部分ですけれど、まさに都会が抱えている福祉と、田舎が抱えている福祉って、まったく違うようで同じものが根底にあると思うんですね。それって、すごく可能性がある社会実験だと思っているので、ぼくは今回をきっかけに、より深く、大都会とど田舎を、ビジネスという観点で、より深く見れるんじゃないかと思って、すごくワクワクしています。我々が考え得ないような視点を持っている方の意見を聞きたいな、とも思っています。我々が今やろうとしていることが、参加者や地域の人にはどう映るのか、それぞれ視点が違えば出す答えも違うと思うので、多様な意見を聞けることが、すごく今回楽しみですね。」