移住者が増加中の竹田市。現役地域おこし協力隊員が40人超!
竹田市は人口2万人ほどで、作曲家である瀧廉太郎が「荒城の月」の構想を練ったという「岡城阯」がある城下町でもあります。「阿蘇くじゅう国立公園」の一角をなす久住高原や、日本一の炭酸泉がある長湯温泉など、自然環境に恵まれ、阿蘇や高千穂といった有名観光地にも近接する“九州のど真ん中”に位置しています。
大分県のなかでも竹田市は特に移住・定住支援に力を入れており、現役の地域おこし協力隊として、まちに関わっている方が現在約40人もいるそうです。
竹田市の移住定住支援サイト「農村回帰」(https://www.city.taketa.oita.jp/nouson/)では、空き家物件等の紹介など具体的な住・職情報も掲載されており、市内には城下町交流館「集」という相談窓口や、移住者と市民の交流・情報交換の場として活用される施設もあります。
JR「豊後竹田」駅前からまちの中心部に入って感じるのは、新しくカフェやレストラン、ギャラリーやゲストハウスといった、若い世代がオープンさせた店舗が点在していることによる新鮮な空気感。地域おこし協力隊のメンバーや元協力隊メンバーなどの移住者が新たに店舗を構えることもあれば、地元出身の若者が出店するパターンもあるそうで、こうした施設が移住者同士を繋げる役割や新たな移住者を呼び込む起爆剤にもなっているようです。
チームラボキッズの展示企画がきっかけで移住
馬渡侑佑(まわたりゆうすけ)さんは、奥さんとお子様2人の4人家族。今から3年前の2015年に竹田市に移住してきました。出身は宮崎県で大学卒業後に東京へ上京。都内のIT企業、コンサルタント会社に勤務する社会人生活を送っていました。
結婚し、家族や子育てのあり方を考えるなかで、自然の豊かな土地へ移住することを考えていた馬渡さん。当時「チームラボキッズ」というデジタルアートを手がける会社に移っており、大分での「チームラボ学ぶ!未来の遊園地」展示企画に携わったことを契機に、別府市や豊後高田市などで個性的なアートプロジェクトが数多く展開されている大分県への移住を検討しはじめました。
「どうして移住先を竹田市に決めたのですか?」と訊ねると、「市役所で移住定住支援を担当している後藤さんがいたからですね」と即答。全国屈指の名湯である長湯温泉の存在や久住の自然、竹田の歴史や建物の重厚さにも惹かれているけれど、移住先の判断基準は、場所の特徴よりも、間違いなくその土地での出逢いやまちを案内してくれる「人」だと話してくださいました。
仕事は多岐に。「竹田まちホテル」の仕組みを構築
数多くの事業開発等に関わってきた馬渡さんは、移住後もその経験を活かし、さまざまなプロジェクトを立ち上げてきました。市内にあるイタリアンレストラン「リカド」の二階で展開している「竹田まちホテル」もそのひとつ。
「竹田まちホテル」は、城下町エリアの活性化を目指し、まちの中に増えている空き家を客室へとリノベーションして宿泊施設として蘇らせるプロジェクト。竹田の中心部、城下町エリア全体をホテルに見立て、フロント機能や食事、温泉、ラウンジなどの設備は、まちなかの既存施設を利用してもらいます。宿泊するゲストはまちを楽しく歩くことができ、また、まちに人が出て回遊性を高めることで、まちなかの賑わいを増やすことができます。
現在はオペレーションの都合によりあまり大きく宣伝などはしていないそうですが、お部屋は和をベースにしつつもシンプルなデザインでフルリノベーションされ、とても素敵な空間になっていました。小さなキッチンや書斎スペースもあり、リモートワークもできるような設備が整えられています。
竹田まちホテルのウェブサイト:http://machi-hotel.jp/
馬渡さんと東京の公共施設や公共空間のリノベーション等を行う会社や大分のメンバーが出資してつくられた「竹田まちホテル」ですが、「自分たちが儲かることが主目的ではなく、地元の大家さんが個人で収入を得られるようになってほしい」という思いが強いそう。例えば賃貸価値が2万円程度とされる場所を、きちんと改修して手を入れて宿泊施設として活用できると5~10万円ほどで運用でき、きちんと利益が出せることが理解されれば、地域の中での空き家活用が増え、竹田市のまちそのものの価値も上がっていくのではないかと考えています。
新たな訪れるポイントとして「トンネルの向こう」を開拓中
さらに今、新たに手がけているプロジェクトの現場が近くにあると聞き、案内していただきました。馬渡さん曰く、「掘った岩盤が残っているような素朴なトンネルの向こう側に、別世界が待っている」のだとか。期待でワクワクしながら、一緒に歩いて向かいます。
乗用車のすれ違いもできなそうな小さなトンネルを歩いていくと、全く雰囲気の違う、時代が変わったかのような山間の集落が目の前に現れました。急に時間の流れも変わったかのような静けさのなかに、使われなくなった家や土地が点在しています。
「トンネルの向こう」と名付けられたエリアは、現在居住中の家屋もありますが、管理不能となった空き家も年々増えている状況でした。馬渡さんは、ご自身の資金で廃屋同然の家屋を引き取り、さらに近隣の空いた元学生寮だった建物や住居を取得。数軒分あったエリアを更地にするのではなく、それぞれの建物の個性を見つけて古いまま新たな価値をつけてリノベーションし、活用しようと考えています。
トンネルの向こう:http://tunnelnomukou.jp/
古くても価値のあるものを残し、新たな意味を加える
こちらの家屋は、馬渡さんがお父様や別府の大学生と一緒に片付け・解体作業を行い、今は柱と天井だけが残ったがらんどう状態になっています。
実は地方の空き家の多くは引き渡された段階でもかなりの残置物(前居者が残したタンスや荷物などのガラクタ類)が多く、その片付けと処理に多額の費用や労力を必要とすることもあります。
このプロジェクトは、新しく完成した施設やサービスを提供する前段階、古いものに新たな付加価値をつけて改修していくプロセスそのものをアートと見立て、未完成の段階から年月をかけて多くの人に関わってもらう参加型のプロジェクトなのです。
古くボロボロに思える空間も、見方を変えれば現代アートに思えてきますし、実際のところ「アートとは答えのない試み」とも言えます。ここでは古いものを全て壊して新しいものをつくるのではなく、この集落の中で古いけれど価値のあるものとそうでないものを分別し、穏やかな山村の雰囲気を残した上で、新たにデザインを上乗せし融合させていく試みを行っています。
さらにこの空間が、“どんな人の手によってどのように変化していくのか?“その行動そのものが新たな価値をもつ観光資源になるのでは?と馬渡さんは考えています。
まだまだ妄想段階とのことですが、ピクニックができるような東屋やオープンキッチンがある飲食施設、長く宿泊・滞在できる施設、暮らし方を拡張できるような施設などをつくっていきたいというお話でしたが、そのプロセスそのものを多くの人で共有していく新たな試みの行方にも興味が尽きません。
クリエイティブな視点でまちを見直すと、有益な資源にあふれている
馬渡さんは、 「人口2万人のまちを継続させるためには多方面からいろんな人が来なくてはいけない」と言います。近隣のまちからだけでなく、福岡や関西圏、首都圏の人でも行ってみたいと思える場づくり。地方都市にありがちな大規模ショッピングモールではない、個性的でここにしかないものをクリエイティブな視点で見つけ、大事に育てていくことこそが、そのまちに必要なこと。まちに興味をもち、関係をもって好きになってくれた人がこれからのまちを作っていくと考えています。
何もないと思える場所にも、視点を変えれば素晴らしいお宝のような価値が溢れている。馬渡さんは「竹田まちホテル」や「トンネルの向こう」プロジェクトでその理念を具現化しようとしています。
そうした新しい試みを行う気概あふれる人たちを受け入れる竹田市のオープンな心もまた、移住先としてこの地を選ぶ人が多い理由のひとつなのかもしれません。
あなたが竹田市に行ったなら、ぜひまちの中にある宿に滞在し、温泉に入って、美味しいレストランや老舗の食堂でご飯を食べながら、いろんな人とお話ししてみてください。移住のきっかけは「人」だったという馬渡さんの言葉のように、あなたの常識や考え方が180度変わってしまうような、そんな経験ができるかもしれません。