世界遺産を有するまち・熊野市
世界遺産である鬼ヶ城、獅子巖(ししいわ)、花の窟(いわや)をはじめ、自然の地形を生かした観光資源に恵まれた三重県熊野市。今回のフィールドは、日本一長い砂礫海岸「七里御浜(しちりみはま)」に面する海辺のまち「新鹿地区」と「波田須地区」です。入り江ごとに点在する集落は、海の表情も、その暮らしぶりも多種多様。今回は、この熊野市へと移住した1人の男性の仕事ぶりを交えて、紹介します。
唯一無二の風景 波田須地区
わずか86世帯ながら、これまでに8世帯が移住。唯一無二の風景に魅せられる人も多いのが波田須(はだす)地区です。その玄関口にあたる徐福茶屋を訪ねました。
ここは、住民自ら山の木を切り出して2009年に建てました。現在は、住民が当番制で切り盛りしています。話をうかがったのは矢賀区長。暖かく人を迎え入れてくれる姿はまるで、「熊野のお父さん」といったふうです。
矢賀区長は、波田須地区の移住について次のように説明してくれました。
「波田須には仕事がない。でも、心に届くものがあるんだよね。だからここで暮らしたい人が現れます」
「では仕事をどうするか。熊野市街で、福祉やものづくりの仕事に就くのも選択肢の1つ。大変ではあるけれど、仕事をつくる道もあります。たとえば農業。平坦な農地が数ヘクタールも続くわけじゃないから、波田須ならではのやり方を考える必要があるんだよね」
ここならではのやり方
矢賀さんのいう“ここならではのやり方”を模索し、実践してきた人がいます。2016年1月に、波田須地区へ地域おこし協力隊として着任した近藤久史さんです。
出身は三重県津市。夫婦で熊野市へやってきました。
波田須地区で協力隊として活動する中、お隣の新鹿(あたしか)地区に空き家を借りることに。集落に残る最後の柑橘農家となった88歳の大家さんが営むみかん畑を手伝いはじめ、やがて受け継ぐこととなりました。
規模は2反と小規模ながら、「この規模の生産者だからこそ、できることがあるんです」と近藤さん。自らを”リトルファーマー”と名乗ります。
近藤さんは譲り受けたみかん畑を活用して、「アタシカ果樹」を立ち上げます。
年4回に分けて、旬のみかんを直送宅配する仕組み「春のみかん定期便」をつくり、ホームページから注文を受け付けています。また通年販売できる商品として、自家農園の完熟柑橘のみをつかったスペシャリティジュースをつくるなど、加工品づくりにも取り組みます。
さらに、新鹿や波田須の魅力を伝えていきたいという考えから、自分の農作物だけでなく、地域の方がつくった無農薬のお米や番茶なども取り扱っています。
農作物の生産や販売に加えて近藤さんが目指すのは、人の交流です。
自らの肩書きを「農家ときどきアウトドアガイド」という近藤さんは、興味を持った人が新鹿を訪れた際には、自然のフィールドをめいっぱい活用。自分のみかん畑での農業体験や、そこから見下ろす海でのマリンスポーツのインストラクター。あるいは、集落探検のガイドなどを行い、地域の魅力を発信し、人と人との交流を生んでいます。
実は三重県熊野市は、お隣の御浜町、紀宝町と並ぶ三重県最大のみかん生産地。1980年代には耕作がしやすいように圃場整備を行い、大規模な農業にも取り組みました。そうした中、近藤さんは、みかんの生産量は徐々に伸ばしつつも、規模を追求したいわけではないと話します。
「三重県伊賀市で有機農業に従事していたんです。その間に、生産者と消費者の距離を近づけたいという思いが膨らんでいきました」
近藤さんはみかんを通じて、生産者と消費者が出会うコミュニティをつくっているようでした。
自分の暮らしをつくる
ところで近藤さんは、移住を考えるまで熊野市へ来たことはなかったそうです。
「サーフィンが趣味なんです。子供の頃は、伊勢湾の御殿場海岸でよく遊んでいました。熊野に来て、新鹿の海へ潜ったとき、遠くまで見えすぎて心配したくらいです(笑)。それほど海水の透明度が高いんですね。三重県に、こんなきれいなところがあるんだと惚れ込みました」
熊野市へやってきた理由の一つは、暮らし方にありました。
「規模を追求して、雇用を増やす道もあるけれど、常に気を使いますよね。それよりもいい波が来たら、海へ。そんな暮らし方をしていきたいんです。朝起きる時間一つを取っても、季節に合わせています。夏場であれば早く起きて、すぐ家の横にある畑で涼しいうちに作業をして」
近藤さんの働き方は「一つの仕事に専業するのではなく、複数の仕事を掛け持ちする」というスタイル。
そして、「農家ときどきアウトドアガイド」に加えて、次のチャレンジも企画中とのこと。新鹿地区にある空き家を購入し、ゲストハウスを開業する準備を進めているのです。
「ただ宿泊できるだけじゃなくて、1階は飲食店にしたいんです。人が交流できる場所にすることにこだわってます。僕自身旅が好きで、いろいろなところを旅してきたけど、地元の人とちゃんと交流できる場所があるのが、地域の魅力を伝えるうえで、一番大事なことじゃないかと思うんです」
海水浴場のあるまち・新鹿地区
波田須から車で進むこと15分。近藤さんのみかん畑もある新鹿地区を訪ねました。公民館にて迎えてくれたのは、2019年に就任したばかりの区長さん。その話からは、近藤さんがゲストハウスを立ち上げることとなった経緯もうかがい知れるようでした。
「新鹿地区の人口は、700人。熊野市内の沿岸部集落としては最も大きいんです。新鹿海水浴場を取り囲むように、かつては民宿が10軒以上並んでいたんですが、今年ついに、最後の1軒が廃業し、泊まるところがなくなってしまいました」。
海水浴客の減少や担い手不足などの地域課題が原因となっているようです。
空き家を訪ねる
聞けば、地区内には空き家が増えつつあるとのことでした。その現状を知るべく、市役所職員の濱田さんに案内してもらいます。
熊野市内の漁師の家に生まれた濱田さん。地区を歩きながら、「夏休みは民宿に泊まり、毎日海水浴場で遊んでいましたよ」「ここが、親子で通うかかりつけのお医者さんなんです」と説明をしてくれます。今もここに暮らしている濱田さんと歩くと、初めて訪れた新鹿地区が、親しい風景へと変わっていくようでした。
たどり着いたのは、新鹿海岸から徒歩10分に位置する「うみぐらしのいえ」。ここは、月2万円で滞在しながら空き家探しなどに取り組むための体験住宅です。
続けて濱田さんは、立地も大きさも様々な空き家を紹介してくれました。
見学した空き家の1つで、お隣に住む大家・西さんと話す機会がありました。西さんの奥さんは婦人会で活動しており、地域活動が活発なのだそう。
地域のことを話していただくと、「お土産にどうぞ」と、庭でとれた山桃とトウモロコシを分けてもらいました。集落をまわる中で、西さんのように、親切でオープンな人柄を感じることが多く、外から地域に関わる人、移住を考える人にとっても心強い存在だと感じました。
海を一望できる家。のうぜんかつら、あじさいと花の続く路地の突き当りにある家。棚田の美しい家。そうした空き家を、どのように活用できるのか。
今回のプログラムでは、現地フィールドワークを通じて、空き家の活用による地域課題の解決や新しいしごとづくりを、チームで考えていきます。
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