記事検索
HOME > つながる > 体験滞在 >

海と山に囲まれた三重県 尾鷲市で活躍する豊田宙也さん。転換期を迎えた町の今後

三重県の南部、熊野灘に面している、人口約17,000人のまち、尾鷲(おわせ)市。海・山・川と自然溢れる土地でありながら、中心地である尾鷲駅周辺はスーパーやコンビニも多く、便利さも兼ね備えています。

年間降水量は約4,000mmと、全国的に見ても降水量の多い土地ですが、晴れの日も多いというのも特徴の一つ。旧尾鷲町や九鬼(くき)町、三木里(みきさと)町など、市内には多くの町がありますが、どこも山間で、一方だけが海に面している入江のような場所に位置しています。

そんな尾鷲に近年、新しい人の流れが生まれつつあります。今回、お話を伺ったのは地域おこし協力隊の任期後、尾鷲に本格的に移住した豊田宙也(とよだ ちゅうや)さん。実際に移り住んだからこそわかる、土地ならではの魅力や、今後の尾鷲の動向予測を教えてもらいました。

林業と漁業の町、尾鷲はいま過渡期を迎えている

九鬼漁港水揚げ風景

尾鷲市の面積は90%が山林で、江戸時代の頃から林業が盛んな町でした。強く良質な木材として知られる「尾鷲ヒノキ」の産地であり、「急峻な地形と日本有数の多雨が生み出す尾鷲ヒノキ林業」という名称で、日本農業遺産にも認定されています。

他にも、天然の漁場に恵まれた地形ということもあり、尾鷲港を始めとする9つの漁港を中心に発展を遂げてきた漁師の町でもあります。

町のランドマークとして、中部電力火力発電所の大きな煙突がありました。町の大きな産業の一つでしたが、数年前に全ての発電所が廃止、202012月には煙突も解体され、一つの時代が終わったと言われています。そのため、尾鷲は変化の時期を迎えているのです。

移住のきっかけは「地域と関わる場所作り」をするため

そんな尾鷲に豊田さんがやって来たのは、7年ほど前のこと。それまでは東京で友人の飲食店立ち上げの手伝いや、アルバイトをする日々を過ごしていましたが、情熱を注げる仕事に出会っていなかったと言います。

そんな折、友人に誘われて長野の松本に遊びに行ったときに気づいたのが、「地域と関わる場所」を作ることの面白さでした。

豊田宙也さん

「そこでは、古いスナックを改修したスペースでのイベントや、様々な工芸品の職人が集まるクラフトフェアなどが行われていました。まちづくりに関わっているイベンターの方々の話も聞くことができ、刺激を受けました。

地方ではイベントやお店の立ち上げといっても、人と人のつながりが重要で、都会での立ち上げとは、少し質が違うことを知りました。地方での取り組みの中に、自分なりの面白さを見つけられそう!と、そのときに直感が働いたんです」。

訪問をきっかけに、どこか地方の町での生活を始めてみようと思った末にたどり着いたのが、尾鷲でした。三重県に祖父が住んでいたこともあり、馴染みやすく、自分でも何かをしてみたいと思えるような土地だったことから、三重県での仕事を探すことから始めたそうです。タイミング良く、尾鷲市が地域おこし協力隊の募集をしており、協力隊に合格、尾鷲での生活が始まりました。

尾鷲の魅力は境目がしっかりとわかること。やるべきこともわかりやすい

尾鷲中心市街地を山から

「尾鷲に来て、最初に良いなと思った点は、大きすぎない町の規模感と、海と山が近く、町が入江のようになっている独特の地形です。最初の印象として、町を見たときに、ここからここまでが尾鷲町という風に、全体像が一目瞭然でした。

一般的には、町の境界ってわかりづらいと思うんです。日本は島国だから国境を感じることはあるけど、県境すら曖昧だし、普段はそれほど境を意識しませんよね。

でも、尾鷲だと、町と町の間には必ず山があって、境がはっきりしている。そのことが、町の存在感を明らかにしているというか、ここに自分がいる、ここに自分の居場所があるってことを明確に意識できるんですよね。

私にとってはそれが安心感につながりましたし、協力隊でも自分のやるべきことがわかりやすくて、地に足がついている感覚があったんです」。

尾鷲市地域おこし協力隊として、漁師町のカフェをオープン

漁村九鬼町の家並み

豊田さんの最初の赴任地は、尾鷲市の中でも南東部にあたる町、九鬼町でした。九鬼町も山間で海に面した町ですが、旧尾鷲町よりも規模が小さく、人口も500人ほどです。

九鬼町では飲食店の立ち上げに取り組みました。奇しくも東京時代と同じ仕事をすることになりましたが、そこに不満や不安はなかったとのこと。むしろ、両者を比較してわかったことがあったといいます。

東京で携わったのは、オープン後に手伝うことは特にない、ビジネスライクな「お店作り」でした。しかし、九鬼町での仕事は、地域との関わりによって彩られていく、人が集まることで何かが生まれていくような「場所作り」だったのです。豊田さんが面白さを見出したのは後者でした。

食堂「網干場」の営業

豊田さんと地元の方々による手料理を味わえる食堂「網干場(あばば)」を立ち上げました。

20名ほどの現地の方々と一緒に作り上げた場所ですが、飲食店で働いた経験を持つ人は一人もおらず、試行錯誤の毎日だったと言います。豊田さん自身も魚を捌けないところからのスタート。スタッフ間でお店の方向性の相談を重ね、「平日は町民が気軽に来れる喫茶店」、「週末は新鮮で美味しい魚介類を食べに、県外の方が訪れる食堂」に決定しました。

裏では様々な苦労もあったものの、窓の外には海が見えるという最高のロケーションも相まって、お店はすぐに話題になりました。テレビ番組で紹介されたことで、県外客の来店が爆発的に増え、一時は本当に忙しかったそうです。

地元の人にとっては、海の幸が美味しいのは当たり前なので、普段使いのお店ではないものの、町の人が帰ってきた時や、お祭りの時の宴会場として使われるようになりました。

尾鷲の中心地にある「土井見世」が現在の活動拠点

立ち上げから営業、ホールでの仕事と、網干場での仕事を5年続けた豊田さん。最初の3年間は協力隊の任期中でしたが、その後も自らの意思で手伝いを続けました。現在は仕事の拠点を尾鷲の中心地に移し、「NPO法人おわせ暮らしサポートセンター」の役員として働いています。

NPO法人では、移住を希望する人の窓口として活動しています。空き家をリノベーションして移住体験住宅にしたり、尾鷲での生活をお試しで味わえる『おわせ留学』というプログラムを行ったりと、尾鷲で新しい生活を始める人のサポートをしています」。

「シェアスペース 土井見世」外観

「活動拠点の施設も元々は空き家だった場所で、『見世土井家住宅』という登録有形文化財になってはいたものの、上手く活用できていなかった建物の一つ。昭和6年に建てられた和風モダニズム建築で、アール・デコ様式と数寄屋座敷といった和洋の建築手法が、両方取り入れられたかなり珍しい建物でもあります」。

ここをNPO法人の拠点としてオープンしたのが2年ほど前。現在はシェアオフィスやイベントスペースとして、様々な形で利用できる施設「シェアスペース土井見世(どいみせ)」として生まれ変わりました。最近の利用では、20畳ある部屋での講演会や、庭を使っての古本市などが行われたそうです。

文化財登録の際には署名運動も起こったほど、地元の人たちにとって思い入れのある場所で、どのようにこの家を守っていくかと、考えてくれている人は多いんだそう。尾鷲駅から徒歩10分というアクセスの良さもあり、外から尾鷲に来る人と地域との交流拠点のような役割で、今後は有効利用していきたいと言います。

「面白い家が多いのも、尾鷲の特徴の一つですね。尾鷲ヒノキで造られた素材が良い家もたくさん残っています。山と海が近い町で起伏が激しいということもあり、地形に合わせて建てた家が多いんです。外から見ると歪んでいるけど、入ってみると案外居心地が良い、といった面白い物件も多いですよ。

現在は空き家になっているところが大半なので、魅力的な物件に移住者を受け入れられる可能性があるのは、尾鷲ならではかもしれません。

移住者がすぐに空き家に住めるかというと、難しいかもしれませんが、私達で紹介もできますし、時間をかければ自分好みの空き家と出会える可能性もかなり高いと思います」。

移住するのに必要なのは、スキルよりも気持ち

「尾鷲は今、転換期を迎えています。町のシンボル的存在だった火力発電所の煙突が撤去されて、今は町として、大きな事業だったものが完全になくなってしまったタイミング。でも、これから町がどこへ向かっていくかはまだ固まっていませんし、誰にもわかりません。

このタイミングを、衰退の始まりと捉えている人も町にはいるようですが、私としては新しい何かが生まれる予感がしています。実際、町には移住してくる人が少しずつ増えてきてますし、新しいお店もオープンして、部分的ではありますが盛り上がってきてるんです。

地元の人も面倒見の良い人が多く、手伝ってくれるので、何か新しいことを始めようとする時に、特別なスキルは必要ないと思っています。それよりもしっかりとやりたいことを持っている人にこそ、尾鷲という町は移住先としておすすめですね。

尾鷲ヤーヤ祭

移住を考える際には、もちろん土井見世に来てもらえたらと思いますし、私たちのサポートを存分に利用して欲しいと思います。『わたまし』というお試しで短期間の移住体験ができる施設の紹介も可能ですし、何かしら提供できるものはありますので、まずは相談してもらいたいですね」。

「私自身が尾鷲にあったらいいなと思うのは、市民大学講座や勉強会などの学びの場。あとは、映画館や生の演劇を楽しむことのできる劇場など、娯楽の一つとして芸術に触れられる場ですね。

やっぱり大都市までの距離がネックなので、尾鷲にあればいいなと思うものは結構あるんです。個人的には、その二つを尾鷲に呼ぶことから進めていけたらなと考えています」。

楽しみながら挑戦できる、新天地候補としての「尾鷲」

県道574号九鬼港線に降る雨

尾鷲を移住先と考えた時に、降水量が心配という人も多いかもしれません。しかし、豊田さんは雨の時期こそおすすめと言います。

「雨が降る前と、降った後では景色の見え方が変わるんですよね。雨上がりって、木の一本一本がくっきりして、山が本当にきれいに見える瞬間なんです。尾鷲は降水量が多いものの、天気のメリハリがある土地です。

ザーッと大量に雨が降った後に、いきなりカラッと晴れて虹が出ることもよくあります。そのおかげか、本当に清々しい雨上がりを味わえるんです。ぜひ一度、梅雨の尾鷲に来て確かめてみてください」。

雨上がりの九鬼の海

降水量の多さと聞くと、住むには少し抵抗感があるかもしれませんが、豊田さんの言葉を聞くと少し興味も湧いてきませんか。やりたいことがある人におすすめの町ということでしたが、一見マイナスに思えるポイントも楽しめるタイプの人こそ、尾鷲という町で輝くのかもしれません。

今後本格的に移住を考えている方も、まずは「シェアスペース土井見世」を訪問し、尾鷲を体験することから始めてみませんか。

すごい旅人求人サイトSAGOJO
記事一覧へ
私が紹介しました

すごい旅人求人サイトSAGOJO

すごい旅人求人サイトSAGOJO「旅 × シゴト」をテーマに、旅人ライターと全国の地域をマッチングする “すごい旅人求人サイト”。地域で活躍する人々や、新しい地域活性化の取組みを取材したりしています。 【SAGOJO旅人:岡本大樹】地元の徳島に拠点を置きながら、日本全国を巡る旅人ライター。ローカルな離島や僻地が好き。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

人と風土の物語を編む