東京都内から、電車で約2時間。富士山の懐に広がる富士吉田市に、「ヤマナシハタオリトラベル」代表の小林新司さんが経営する有限会社テンジンはある。リネンの織物工房として様々な織物製品を世に送り出しているテンジンは小林さんで3代目。
火山灰土壌で土が豊かではない郡内地方は、農業以外の生業を営んできた歴史があり、その中で「甲斐絹」を使用した郡内織物という産業と文化が受け継がれてきているという。
はじまりは“危機感”から
「もととも私たちは、生地をつくって販売するところまでが仕事だったんですね。ただ、2000年頃を境に、どんどん仕事が減っていきました。」
繊維産業は、人の手がかかる仕事。ゆえに、労働賃金が安い海外へ仕事が流れていくようになったそうだ。
「このままだとまずい、と思いました。生地が売れないのなら製品にして売ることはできないかと考えていたのですが、同業者でも同じことを考えている経営者がいることが分かり、何かできないかと模索していました。」
そのような機織事業者の“危機感”から、“一緒に何かやれないか”という模索が始まっていた頃、立川のエキュートから催事を行わないかという依頼が、小林さんに舞い込んでくる。
「私の会社だけで行うのは難しいけど、せっかくだから何かできないかなぁ、と考えていました。そこで知り合いの事業者やシケンジョ(山梨県富士工業技術センター繊維部(通称:シケンジョ)相談してみたところ、『いいね!一緒にやってみよう!』ということになって、立川のエキュートでの催事を行うことになりました。それが、ヤマナシハタオリトラベルの始まりです。」
※この催事の様子は、シケンジョの公式ブログ「シケンジョテキ」で詳しく見ることができる。
http://shikenjyo.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html
「実際にやってみたら面白かったんですね。今まではつくることだけやっていた自分たちが、実際に販売もする中で、『なんかいけるかも!』『こういう打ち出し方は間違っていなかった』みたいな希望をみんな持てた瞬間でした。」
この催事をきっかけに、様々な百貨店や商業施設から声がかかるようになったという。
世の中に広がっていく郡内織物
「ヤマナシハタオリトラベル」というネーミングも、催事に参加する事業者がアイディアを出し合い決めたそうだ。
「冨士吉田が織物のまちであることは、ほとんど知られていません。でも、郡内地方の織物産地は、色んなバリエーションや多様性があります。今までは、PRを自分たちからすることって無かったんですが、出ていくことで郡内織物や地域のPRができて、とても良かったと思っています。」
元々小売の経験がない中で始めた取り組みだったが、徐々に機織組合や行政等も支援に乗り出した。
小林さんをはじめ、ヤマナシハタオリトラベルのメンバーは、売り場作りやお客さんと交流を通じて、機織文化や産業の持つ価値や可能性を再確認したという。
「織育(しょくいく)ができるんじゃないかな、と最近思っています。織物の教室やワークショップを通じて、服の素材や質、機能を、織物に触れることで知ってもらえるプログラムをつくりたいんですよね。」
実際に売り場や不定期で実施したワークショップでは、女性や子どもを中心に非常に良い反応があり、「実際にやってみたい!」「つくる現場を見てみたい!」という声が多く寄せられたそうだ。
「この取り組みがかなりのPRになって、地元メディアに取り上げられる機会が非常に多くなりました。そうすると『機織ってもう廃れていくばかりの産業だと思ってたんだけど、がんばってるんだね!』『こんな良いものが地元で作られていることを知れてよかった!』という声も増えて、織物に対する周囲の目が変わってきています。」
と、小林さんは実感している。
ヤマナシハタオリトラベルの活動は、地元の「機織」に対するイメージをも変えつつある。
ものづくりの火を絶やさない
「将来的には、12社でやっているそれぞれのブランドが成長して、事業として収益がしっかり取れるような形にしていきけばいいなと思っています。そうしたらヤマナシハタオリトラベルは解散しちゃうかもしれませんけど(笑)」
小林さんは、ヤマナシハタオリトラベルの活動を続けることで、富士吉田をはじめとする郡内地方の機織産業が活性化し、継承されていくことを願っている。
「この活動をする中で、織物づくりに携わりたいという人が出てくれば嬉しいですね。ものづくりって一度消えてしまうと、その技術であったり、文化であったり、精神的なものも含めて、もう戻すことができないんですよね。でも、その火さえ消さなければ、つくり続けることができます。」
産地の成り立ちとして、特定のものの産地ではなく、様々な素材、製法、文化から形成される郡内地方の機織産業。ネクタイやハンカチ、傘、ストールなど、様々な商品のバリエーションがある。
「ものづくりをしたい人のきっかけになる。そのために、ものづくりの火を絶やさない。これが今強く思っていることです。」
そう語る小林さんの目は輝いていた。そして、ものづくりに対する情熱や志が伝わってくる。
この富士山麗に息づく郡内織物の“心”と“技”は、ヤマナシハタオリトラベルの活動を通じて、着実に世の中に広がっている。
「最近、富士山の麓に生きていることが運命的なことのように考えちゃうことが多くなったんですよね。富士山からの地下水で織物の生地を洗ったり、私たちの生活に欠かせない生活用水になったり。富士山がある環境に生きているということの素晴らしさや運命的なものを実感しています。若い頃はそんなこと考えなかったけど(笑)」
と、この地域で暮らすことの考え方も少しずつ変化してきているようだ。
富士山の麓だからこそ生まれた機織産業と文化。そして、それを繋いでゆく小林さんをはじめとするヤマナシハタオリトラベルで活動する皆さんの新たなチャレンジは、始まったばかりだ。
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