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新米夫婦が聞く!第1回 私たちが東京から宮崎県小林市へ移住した理由。

2015年10月、東京から宮崎県小林市に移住した北海道&岩手県出身の新米夫婦、細川慎太&絵美です。地域おこし協力隊として活動しながら、ナリワイ・食・暮らしの自給生活を目指し絶賛奮闘中の私たちが、地方でナリワイを生み出し暮らしている方々に会いに行き、ナリワイ創りのストーリーを聞いて届ける企画です。 宮崎、九州の情報を中心に日本全国、ナリワイ創りの先人たちに会いにいきます!

まずは、私たちが何者なのか?自己紹介を兼ねて、移住に至るまでの経緯や、地域おこし協力隊を選択した理由など、セルフインタビューをお届けします。

食も仕事も自ら創りたい。結婚を機に2人で理想のライフスタイルを描いた先に移住があった。

―移住した理由は?

慎太:結婚を具体的に考えたとき、これから2人でどんなライフスタイルを送りたいか話し合う中で、いろんな偶然が重なって、最終的に小林市に移住することが決まったよね。

絵美:元々東京でずっと暮らすイメージはなく、自然の中で暮らしたいという気持ちを持っていたね。食や仕事、いろんなものを自分で創る生活をしたくて、それには都会より田舎の方がいいかなと。

慎太:入り口としては食と仕事(ナリワイ)を自分で創っていきたいというのがあった。絵美と一緒に東京で一時期住んでいたシェアハウス「夢ベジハウス」での暮らしが、食への意識を高めるきっかけになった。無農薬の野菜、添加物をなるべくとらない安全な食を選びたいし、行く行くは自分たちで生産していきたいという考えが強くなって。 都会よりも田舎の方が食を創っていくイメージがあるし、仕事面でもライターとして場所を選ばず仕事ができるイメージができて、それならば静かなところ、自分の好きな場所で集中してやりたい、というのが俺の中では大きかった。

絵美:そうだね。私の場合は、場所や働き方を自分で決められる仕事を創りたいと思っていたな。あと、じっくりと丁寧に、人と近いところで繋がりながら仕事をしたいと思ったのも大きいかも。土地に根付いて、暮らしの中で一人ひとりの人生に寄り添って「聞き書き」をして残していきたいという想いがあって、それを移住して地域おこし協力隊の活動として作っていきたいと思った。

慎太:食に関しては、東京では自分で生産することは難しいし、選ぶときに生産者の顔が見えにくい。ここだと、家の前に家庭菜園があったり安く土地も借りられるので、つくることもできるし、身近に生産者の方々がたくさんいて直接話を聞けるので、誰がどんな風に野菜をつくっているかがわかる。採りたて野菜や無農薬の野菜など、こだわりの野菜をいただいたり、道の駅や直売所などでも充実しているので手に入りやすい。食の生産に近い場所に移住して、行く行くは自分たちでも自給していきたい、食や仕事を自ら自給できる環境を求めていたことが移住を後押しした大きな理由だね。

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▲畑で採れた無農薬の新鮮野菜のおすそ分けをいただきます

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▲地域の方に教えていただきながら家庭菜園を始めました

 

ご縁があって出会った小林市。新しいフルサトを創る挑戦

―なぜ小林を選らんだのか?

慎太:理由は色々あるけれども、脱・東京のため移住を具体的に考える中で、地域おこし協力隊の制度があることを知って、これだと今すぐに移動できると思い、小林市の地域おこし協力隊の募集時期や内容が自分たちに合っていて応募した。移住先を探している中で出会ったのが小林市だったという感じかな。

絵美:あとは、南の方面が良いなと思っていて、九州・沖縄あたりが良いなと考えていたよね。

慎太:宮崎に対しては南国のイメージがあって、岩手・北海道出身の自分たちにとって、出身地と逆の南国に行きたい、と思っていたね。地元には拠点があるから、今まで地縁のないところに新たなフルサトを創ることをの挑戦、という意味も込めて。 九州移住フェスで、「水道水から天然水が飲める」と聞いて水が綺麗なところというのは魅力的だった。

絵美:温泉も湧いていて、農業も盛んで米の栽培をしていることも魅力だった。

慎太:隣町の綾町が有機の里だと知ったことも大きいかな。「小林」を目標に探していたというよりも、探している中でタイミングあって、そのあとに様々な良さが見えてきて納得したというのが大きいかな。

絵美:ご縁があった感じだね。

慎太:ご縁繋がりで言うと、絵美と先輩隊員が漢字も同じ下の名前で、俺が小林市のゆるキャラ「コスモ―」と誕生日が同じ、ということもご縁ポイント(笑)。

絵美:移住フェスで会った宮崎関連の人や、宮崎に初めてきたときに出会ったお店の方たちがオープンハートで、「人」が良いなと思ったところも後押しになったね。

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▲家の前から見える景色は絶景です

 

地域に根付いたナリワイを創りたい。より広く、深く、人と繋がり地域を知りたく2人で別々の協力隊になった。

―なぜ2人で地域おこし協力隊になったか?

慎太:2人ともビジネスの種を作り始めていたから、地域に入って関わりながら、その土地に根付いた仕事を創っていきたいと考えたときに、地域と深く関わることができると思ったから、かな。

絵美:うん。協力隊にならなくても、仕事をつくることはできるかもしれないけど、地域の人と関わりながら、というところだと協力隊になった方が、早く深く関われるかなと思ったからだね。2人で協力隊になって別々の地区に関わることで、より広く2倍速で地域のことを知って深めていくことができるから。

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▲様々な世代の方と囲炉裏を囲んでのんかた(飲み会)で交流

慎太:実際に関わりやすいよ。地域の人も心を開きやく、気になった生産者の方に挨拶に行ってもすぐに打ち解けられるというか、不審な目で見られず、気になったところにどこでも行けるというのは良かったよね。 あとは、協力隊の目標として3年後に独立する、というのも仕事を自ら創りたいという自分たちの気持ちとマッチしていた。最長3年とあるけど固執せずに3年以内で独立することのを目指して動いていきたい。

繋ぎ屋(細川慎太・絵美)
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繋ぎ屋(細川慎太・絵美)

繋ぎ屋(細川慎太・絵美)行き当たりばったり宮崎県小林市に移住した、岩手県出身の夫・慎太と北海道出身の妻・絵美の夫婦ユニット。 夫婦で小林市の地域おこし協力隊として活動しながら、 自給/半農半X/田舎暮らし/多拠点移住/古くて新しいライフスタイルを発信するWEBメディア「繋ぎ屋」を運営しています。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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