過疎で暮らす人々と被災者が心を通わせた地域
▲山と海に囲まれた殿下地区
まずはこの地区の紹介をしたいと思う。殿下地区は福井の市街地から車で30分ほどの場所にある自然豊かな山村が広がる場所だ。しかし、人口450人と地区別では市内で最も人口が少なく、いわゆる“過疎化”が進む地域でもある。高齢化率も高く、地区の平均年齢は70歳だ。
特にここ20年ほどで人口の流出が進み、若者や子どもの数は減少の一途をたどるばかり。地区内にも空き家が目立つようになった。
▲若者の流出は地区の大きな課題となっている
そんな折、2011年3月に東日本大震災が起こった。遠く離れた殿下の人々も被災地の状況に心を痛めていたが、地区の空き家を活かして被災者受入ができるのでは、と地元有志の人たちで「殿下被災者受入委員会」を発足。
「殿下ってどこ?福井ってどこ?」 当初は場所すら知られていなかったが、山も海もある殿下地区は一時保養・一時避難先として東北の子どもたちに喜ばれ、年々リピーターが増えていった。
▲殿下が第二の故郷になった子どもたちが今も増えている
2015年までに延べ350人以上の人たちが殿下地区に訪れ、中には東北から移住を決めた人も。 また、年を追うごとに地区外の協力者も増えていった。県内の大学生だけでなく関西の大学生もボランティア活動に参加するなど、地区外の人たちとの交流は震災から5年経った現在も続いている。
新潟、京都、と地域づくりに携わり、行き着いたのが殿下だった
髙橋要さんは、2015年10月に地域おこし協力隊として殿下地区にやってきた。
▲福井市殿下地区・地域おこし協力隊 髙橋要さん
髙橋さんは教師を志し新潟の大学院に進学したが、在学中に新潟県の木沢集落と出会ったことが、彼の今後を変える大きなターニングポイントとなった。
木沢集落は2004年の中越地震で被害があった地域の一つ。しかし、地震をきっかけに外の地域との交流が深まり、地域づくりの先進地として活気付いた場所だ。
村の人たちが外部と交流することで元気になっていく様子を目の当たりにした髙橋さんは、大学院修了後、木沢集落に住み込みながら地域づくりに関わる1年間のインターンシップに参加。
▲新潟・木沢集落で地域づくりの面白さに目覚めた
その後、京都で青少年支援の仕事に従事していたが、地域づくりへの思いはどんどん高まっていった。
そんな時に出会ったのが堂下雅晴(どうしたまさはる)さんだ。
▲笑顔でインタビューに答えてくださった堂下さん
堂下さんは先ほど紹介した「殿下被災者受入委員会」を立ち上げた中心メンバーの一人。殿下で生まれ幼少期を過ごしたが学生時代や社会人時代を関東で過ごし、12年前に殿下へUターンした。髙橋さんにとっては移住の大先輩にもあたる。
「私が生まれた頃、殿下には3000人以上の人が住み、子供たちの数も多かったんですよ。今では地区に住むほとんどの人が65歳以上となり、自分たちの生活を粛々と営んでいる感じがしています。このままだと若者は出ていくし、いずれ地域は廃れてしまう。今から手を打たなければという危機感がありました。」
被災者の受入れや学生たちとの交流を通して、外からの刺激や情報を取り入れた殿下は変わろうとし始めたばかり。 髙橋さんのような存在が殿下に加わると、地域はもっと変わっていくかもしれないという思いが堂下さんにはあった。
一方で、殿下を初めて訪れた髙橋さんは、以前滞在していた木沢集落と共通する点を見出した。被災地と被災者受入と立場は違うものの、同じ“震災”を通してアクションを起こしていること、人口流出に対する危機感を持っていること、ここに住む人がこの場所に誇りと愛着を持っていること。 堂下さんのような地域のキーパーソンがいることも大きな後押しとなった。
この地区への可能性を直感的に感じた髙橋さんは、殿下を訪れた数日後には地域おこし協力隊に応募。 迷うことなく、次のステージへ進むことになった。
▲「私が殿下に戻り時間をかけて築いた人脈を、髙橋くんはたった数日で築いてしまったんですよ。これも彼の人柄なんでしょうね」と言う堂下さん
▲移住してまず髙橋さんが行ったことは自己紹介。自分のことを早く知ってもらおうと殿下の皆さんに配ったという
地区唯一の商業施設をもっと盛り上げたい
地域おこし協力隊として髙橋さんにはさまざまな任務があるが、その中でも週の約半分を過ごすのが「かじかの里山殿下」だ。
もともとは蕎麦屋だった「かじかの里山殿下」は数年前、店主の高齢化に伴い存続が危ぶまれた時期があった。 殿下唯一の商業施設を残したいという思いと、地元の食材を多くの人たちに知ってもらいたいという思いから、地区のお母さんたちが3年前(2013年)に農家レストラン「かじかの里山殿下」を開業した。
そもそも殿下では昔から地区の冠婚葬祭が行われると、いつも近隣のお母さんたちが集まって料理を作っていたため、お母さん同士の結束力は堅い。 あくまでボランティアとして料理をふるまい続けていたお母さんたちが、自分たちの仕事としてレストランを開業することで、今まで以上に生活に張り合いが出来たのだという。
▲地元の食材を使ったバイキングは大人気。季節の野菜天ぷらや殿下特産の葉ずし、呉汁など常時30種類以上の料理を出している
▲お母さんたちのアイデアや、地元の人が分けてくれた季節の材料を使っていくと、自然とメニューがどんどん増えていくそうだ
「普段作っている料理が美味しいと喜ばれ、遠方からも多くの人が訪れてくれる。しかも、それが収入にもなる。かじかの里山殿下で働くお母さんはイキイキしているし、この仕事にやりがいと誇りを持っているんだなと思います。だからこそ、もっと多くの方に知ってもらえるようにサポートしていきたいですね」 と言う髙橋さん。接客や調理の補助はもちろん、インターネットでの発信なども積極的に行っている。
▲お母さんたちの懐にスッと入りコミュニケーションをとる髙橋さんは、みんなの息子のような存在となっている
みんなの「やってみたい」を後押しする存在
髙橋さんが住む一軒家、通称“こひがし”には連日殿下の人たちが集う。 ある時には地区の会合が行われ、またある時には若者たちの飲み会が開かれる。 どの世代が集まったとしても、いつも話題にのぼるのは「殿下のこれから」だ。
▲こひがしに集まる殿下の若者たち。仕事のことから将来のことまで話は尽きない
皆、殿下がより良い地域になってほしいと思ってはいるものの、始めから具体的な案が出るわけではない。しかし、一人ひとり深く話を聞いていくと、少しずつ本音を話してくれるという。
「私は本が好きだから、いつか本好きな人たちと読書会がやりたいんよね」 ある日、若いお母さんがぽつりと言った声を拾い、地区外の人も交えた読書会を開くことになった。 あくまでも主催するのは発案した若いお母さん。髙橋さんは読書会などのイベントを手がけている友人に協力をお願いし、裏方に徹した。
▲髙橋さんの住居“こひがし”の前で行われた読書会。花が咲くおだやかな天気の中、子供から大人まで読書を楽しんだ
また、「殿下には何もない」と嘆いていた人を巻き込み、「ムラロゲイニング」というイベントも開催した。 “ロゲイニング”とは山野に多くのチェックポイントを設け、制限時間内にどれだけ多くを回れるかを競うスポーツのこと。「ムラロゲイニング」はそれを地域おこしツールとしてアレンジしたもので、殿下地区内に約20箇所のポイントを設け、参加者は各箇所での課題に挑戦しながら村を回った。
この村にある神社の階段の段数を数えたり、地区で一番猫が多いポイントで一緒に写真を撮ったりなど、普段気に留めないような部分に注目することで、新しい発見が常にあるそうだ。
「何十年住んでいる人でも『この村にこんな場所があるんだね』と驚かれることもあります。『何もない』と思っていたけど、この村も捨てたもんじゃないなと思ってもらえると嬉しいですね」
▲「ムラロゲイニング」は地域にあるものが素材。お金をかけずにできるのも大きなポイントだ
髙橋さんのサポートによって、殿下の人たちの「やってみたいこと」が形になっていく。 頭の中で思っているだけではいつまでも実現できないが、一歩を踏み出し「私にもできた」という小さな成功体験を増やすことで、殿下の人たちが自分たちの手でこの地域を動かしていく原動力になればいい、そう髙橋さんは言う。
▲これからの目標を語る髙橋さん
「殿下の人たちには私を利用してほしいと常に思っています。私がこの場所で何かを始めたり成し遂げたりするよりも、私の経験や人脈を最大限役立てもらい、最終的には殿下の人たちに引き継いでもらうことが今の目標です。」
全国各地で地域おこし協力隊が活躍しているが、あくまでも主役はその土地に住んでいる人だということを髙橋さんは実感している。任期の3年で終わりではなく、地域づくりはその後もずっと続いていくのだから。髙橋さんの挑戦は始まったばかりだ。