「地域づくり」ってなんだろう。
大学で都市計画を専攻したゆうきさんは、農山村や過疎地域の地域づくりに関わっていた。東京育ちのゆうきさんにとって、田舎の生活はとても新鮮で楽しかったのだそう。
「じいちゃんたちは山の中に入って、取ってきたものでなんでも作っちゃう。かっこいいなあって思っていました。でも、それを地域づくりとかまちづくりっていう形に昇華させると、個性がなくなっちゃって、どこの地域も同じでつまらないなと若気の至り的に感じていました。」
▲うえはらゆうきさん
個性的なものとは、時代の流れや社会構造に変化が起きた時に影響を受けにくいものなのではないか、地域らしい地域づくりには厳しさが必要なのではないかとの考えから、海外の貧困地域を勉強することに。NGOでインターンシップとしてネパールやバングラディッシュのプロジェクトに参加した。そこで得た答えは、「海外とか国内とか関係ないんだなって分かりました。地域らしい地域づくりなんてのは、物語として他所の人が描くもんじゃないなあって思って。」
そこで、地域に「住民」として加わるため、農業を基盤として活動する地方の団体を探す中で出会ったのが「無茶々園」だった。
▲なんち屋の暮らす西予市明浜町を抱えるみかん山
「無茶々園」は、愛媛県西予(せいよ)市に本部を置く農事組合法人で、除草剤や化学肥料を使用せず、農薬をできるだけ使わない柑橘類の生産・販売を中心に活動している。可愛らしいパッケージの化粧品類などを目にしたことのある人もいるかもしれない。ゆうきさんはここの事務職員の募集を見つけて、四国へ見学へ行き、就職することとなった。
当事者になって、地域に根ざして暮らすこと
一方、若菜さんは高校生の時に参加したインドの遺跡巡りツアーで、その後の人生の目標が見つかったのだそう。安全性が考慮された日本人向けのツアーは若菜さんにとっては物足りなく、サファリの中を移動するライオンバスのような違和感を感じたという。インド人と触れ合いたいという一心から、帰国後は英語の勉強に精を出し、大学は政治学科の国際関係を専攻。学びの中で生まれる疑問点を抱いては、様々な団体にインターンシップに行き、その中のひとつのNGOでゆうきさんと出会うこととなった。
▲上原若菜さん
ゆうきさんが単身西予市に渡り、無茶々園をベースとした生活を始めて2年が過ぎた頃、若菜さんのインド派遣が決まった。ふたりは結婚してインドへ渡ることを決意し、インドで2年間を過ごした。派遣の任期が終了した時、ふたりが選んだ次の地が、西予市だった。
「まちづくりとか地域づくりを考えた時に、今までは援助する側だったり研究者としてだったり、第三者的にやってきたんですよね。それで、やっぱり当事者になりたいねってふたりで話したんです。」と、若菜さん。日本で当事者として地域に暮らすということを考えた時に、ゆうきさんが以前住んでいた西予市が候補に挙がったのだそう。
ゆうきさんの肩書きは・・・農家で市民活動家で、主夫!
西予市に移住し、農業を始めたゆうきさんは、4年前から環境負荷の少ない農法である自然栽培の実験を始めた。無農薬無肥料を目指しており、温州みかんなどの柑橘類、梅、そしてアボカドを扱う。
「自然栽培の実験を始めたら、これが楽しくて。植物は肥料をあげると栄養もらって根を伸ばすと、一般的には考えられてますよね。でも、本当は逆なんだって分かったんです。植物は、自分で栄養を摂りたいから、そのために根を伸ばすんですよね。肥料をあげたから伸びたんじゃなくて。」
苗木を植えてから、木が成長し、収量や味が安定してくるまでは10年程かかる。現在は若菜さんが働きに出て、ゆうきさんは畑仕事と家事全般を担うというスタイルで暮らしている。
▲子どものお迎えまでの時間に、夕食の支度を
また、自然栽培に取り組む中、農業を通した地域のあり方にも目が向くようになった。
「病気がでる、虫がわきやすい、その理由を調べていくと、どうやら農薬を使うっていう原点は肥料にあるんじゃないかなって感じていて。だからって農薬使用の規制緩和をしていって、消費に合わせた生産をしていくと、田舎の未来はやせ細っていくんじゃないかなって気がして。」
その後、家族が暮らす地区に風力発電所が建設されるという話が持ち上がった。もともと環境問題に関心が深かったわけではないが、自然栽培で作物を育てていることや、子どもの通う小学校近くの山に風力発電が立ち並ぶと決まったことから、健康被害を心配し、自然と住民運動に関わることとなった。
「農業のことも、電力のことも、都市と農村の構造の問題だということが、地域活動に関わっていたらどんどん見えてきたんです。100年後、200年後にこの地域がどうなってるのかなあって思いながら、農業や市民活動と向き合っています。」
▲段々畑と街並み、海を見下ろす美しい展望
「自分のできること」を探しながら、地域で生きていく
現在の暮らしについて、「外から見てるだけでは分からない生々しいドラマがあるんだろうと思って、そこを理解したくて移住してきましたが、思った以上です。毎日のように予期せぬ出来事が起こるんです。」と笑いながら話す、底抜けに明るい若菜さん。
移住したいと思っている人に向けて、こうアドバイスしてくれた。
「特定の誰かがいるから、移住を決めるというのは避けた方がいいんじゃないかと思います。きっとどこで暮らしていてもドラマはあって、いいことも悪いこともあるんだと思うんです。悪いことが起こった時に、その特定の人のせいにしたり言い訳にしちゃうのは辛いですよね。だから、何があっても最後は自分で決めてやった方がいいなって思います。」
▲有機栽培で育てたゆず、甘夏、レモン、梅などを使用した自家製シロップ
ゆうきさんも、しばらく考えたのち、こんなアドバイスをくれた。
「何をしたいかで移住を考えることは多いと思うんだけど、それを追求できる人って限られてると思うんですよね。実際、地域で生きて行くっていうときには、何ができるかということを考えていくことになると思います。こだわりとか執着は手放した方がいいなって。自分ができることを考える中で、結果的に地域づくりや地域を変える方向に進むこともあるだろうし、自分の家族くらいの規模で考えてそこが幸せだったらいいなあっていうのも、正解なんじゃないかな。」
▲風情のある街並みの中、古民家を改修した住宅に住む
建築学科の先輩の協力を得て古民家を改修し、山に入っては有機栽培に取り組む。地元の方からもらった猪肉を捌いたり、自家製味噌や、新鮮な魚からアンチョビを作ったりも。きっとひと昔前には当たり前だった「自分の手で作り出す暮らし」を実践しながら、地域の問題と格闘し、居場所を探り温かな交流を続ける。そして、自分のこだわりは持ちすぎず、必要とされれば手を伸ばす。一歩一歩楽しみながら進むその姿を、包み隠さず自然体で表現する「なんち屋」ファミリーは、「どこにいても自分である」というぶれない軸を持つことの強さを教えてくれるようだ。