一子相伝で350年!大鰐秘伝の伝統野菜
大鰐町で生産される「大鰐温泉もやし」という伝統野菜が近年、注目を集めている。
「大鰐温泉もやし」とは、長さ40cmほどに育つ特別なもやしで、大豆もやしとそばもやしの2種類がある。歯ごたえと独特の香りが特徴的で、加熱してもこのシャキシャキとした食感が失われない。
過去の文献によれば、江戸時代の弘前藩3代目藩主 津軽信義公(1619~1655年)が栽培を推奨したという記録が残っている。つまり、短くても350年以上の歴史があるということだ。
一般的なもやしは、暗い部屋の中で緑豆に水をかけて水耕栽培するが、「大鰐温泉もやし」は江戸時代から変わらず、温泉の熱を利用した土耕栽培を行っている。土の畑に「沢」と呼ばれる穴を掘って種を蒔き、ワラで光をさえぎること1週間。温泉の熱で、土の温度は常に30°C程度に保たれるこの環境で発芽したもやしは、40センチほどにまで成長する。収穫後のもやしから土を落とす作業にも温泉水を使うほどの徹底ぶりだ。
栽培に使われる豆は小八豆(こはちまめ)という、これもまた大鰐の伝統的な大豆。この豆も生産者自ら栽培する。遠い昔から受け継がれてきた豆を使い、同じ場所、同じ製法で350年以上続けられていることは、農業の歴史から見ても珍しく、世間で注目されているのだ。
もやし栽培に飛び込んだ若き生産者
「大鰐温泉もやし」の栽培方法は、これまで一子相伝で受け継がれてきたため、生産者が一時は4軒にまで減り、このままでは伝統が絶えてしまうという危機的状況を迎えたこともあった。
八木橋順さんと八木橋祐也さんは2人とも大鰐生まれ大鰐育ち。2009年に先輩農家に弟子入りし、その後独立。現在は2人1組で生産している。よく兄弟と間違われるが、偶然同じ苗字で、前職の先輩後輩という間柄だ。祐也さんに、もやし栽培を始めたきっかけを聞くと、「冬に出稼ぎにいかなくていいなら」と軽い気持ちで始めたという。
「実家がりんご農家で、いつか継ぐことになるんだろうと思っていたんです。このもやしは冬野菜だっていうし、りんごとも兼業できるのかなって。元々は夫婦1組でやる仕事なんですけど、残念ながら結婚していないので、誰かひとり見つけてこいということで…。」という祐也さん。
▲八木橋順さん(左)と八木橋祐也さん(右)
「もう一人残念なやつが近くにいたんです(笑)」と順さん。
「自分は農家じゃなかったので、農家の仕事に対して”晴耕雨読”を想像していたんですけど、やってみたらそうでもなかった。朝来たら、注文の電話を受けて、その日に出荷するものを出して、昼頃にやっと一息つけるっていう感じです。最近はみなさんに認知してもらって、生産が間に合わなくて嬉しい悲鳴です。町内でもよく声をかけてもらえるようになりました。」
年々需要が高まっているのだが、生産が追い付かずに注文を断ることも多いそう。「大鰐温泉もやし」は11月から4月が主な生産・収穫時期。夏はカビや菌が繁殖しやすいため、豆の発芽率も下がり栽培が難しい。今は、通年栽培に向けて研究を続けているという。
「前年の秋に採れた豆を1年かけて使うんですけど、夏になると豆も弱っていてカビや菌に負けちゃうんです。蒔いてから1週間で収穫するんですが、1週間たたないうちに中で全部腐っちゃって。今も改良は続けていて今年はまあまあの出来でした。来年、どこまで伸ばせるかですね。夢はポルシェともやし御殿です(笑)。」祐也さんは今後について、そう語ってくれた。
▲町内でもすぐに売り切れることがあるという
需要が多く生産が追い付いていない状況にある「大鰐温泉もやし」だが、生産量を増やすために新たに生産施設を1棟建てる予定だ。
では危機的状況にあった「大鰐温泉もやし」がどうしてここまで人気になったのか、その理由を探ってみた。
第2の夕張に!?大鰐町の危機!
「大鰐温泉もやし」がここまで需要を伸ばした背景には、実は大鰐町の危機があったという。スキーと温泉を売りにする大鰐町だが、スキー人口は減り続け、リゾート開発も失敗。町は大きな負債を抱えてしまった。2009年には財政健全化団体に指定され、「第2の夕張」になるのではという不安が大鰐町全体を覆った。
危機感を持った町民は民間の手で自力で地域を再生しようと、2009年に「プロジェクトおおわに事業協同組合」を設立し、誰も手を挙げなかった町中心部の温泉交流施設「大鰐町地域交流センター 鰐come(ワニカム)」の指定管理者に応募。委託料はなんと0円。さらに、過去2年間の赤字5500万円を黒字化させなければならないという厳しい条件の中、経営に着手した。「プロジェクトおおわに事業協同組合」副理事長の相馬康穫さんは「『鰐come』が最後の希望だった」と話す。
▲相馬康穫さん
「町が衰退していくのを見ていられなかったんです。2004年にオープンしたこの「鰐come」を最後の希望として、これが傾いたらこの町は終わりだと本気で思っていました。人生をかけてここを守らなければいけない。単なる温泉施設ではなくて、この地域すべてのランドマークとして生かしていかなければいけないということで手を上げました。」
「大鰐温泉もやし」のブランド化
そこで相馬さんが取り組んだのが、それまで青森県内でも知らない人が多かったという「大鰐温泉もやし」のブランド化だ。「大鰐温泉もやし」を「日本一のもやし」と、東京の青森出身の料理人や、大手百貨店に売り込んだ。また、フードジャーナリストやライター、マスコミとの縁を繋いでいく地道な作業を続け、次第にメディアでも取り上げられるようになっていった。
ただ、苦戦したのは生産者の意識改革の方だったという。長い間、町内だけで消費されてきたことで、生産者自身も「たかがもやし。そんなに高い値段で売れるわけねぇべ」と考えていたのだ。相馬さんは、生産者を東京へ連れて行き、どれだけ高い評価を受けているのか、高い値がついてもすぐに売り切れてしまう様子を見てもらうなどして、意識改革を進めていった。
▲最近では加工も行っている
「なんぼ口で説明しても伝わらないんですよ。脇役じゃなくてメインディッシュになる食材で、シェフが調理すれば一皿2千円にも3千円にもなるんだよ。『日本一のもやし』なんだから一緒に見に行こうって。実際に現場を見てもらったら意識が変わりました。」
そのほかにも、「鰐come」の運営では「おもてなし世界一」を目指し、スタッフ教育にも力を入れたり、将来を担う子供たちに向けて、地域に誇りを持てるような体験学習を行うなど大鰐町のための活動を続けている相馬さん。
その甲斐もあり、大鰐町は平成27年度には財政健全化が完了。「プロジェクトおおわに事業協同組合」も平成28年度に、国土交通省の地域づくり表彰で最高賞の大臣賞を受賞するという快挙を成し遂げた。
相馬さんは今後について力強く話してくれた。
「『大鰐温泉もやし』ももちろんですが、大鰐にあるいろんなものをきっかけにして世界中からこの町へ、人がやってくるようにしたい。最終的には、温泉街も再生して昔の温泉街の活気を取り戻したいです。それに並行して地域商社を立ち上げたり、温泉宿を経営したりして地域再生をしていくというのが、今後イメージしているところです。」
「大鰐」を世界へ。
ブランド化に成功し、多くの需要を得た「大鰐温泉もやし」。
今回、大鰐町が募集する地域おこし協力隊は、そんな「大鰐温泉もやし」のさらなる販路拡大に取り組むこととなる。大鰐町企画観光課の長利(おさり)清永さんに具体的にどんなことを求めているのか聞いてみた。
「現在は生産が間に合っていない状況のため、増産に向けた取り組みも重要です。ただ、一番は『大鰐温泉もやし』を中核として「大鰐」をさらにブランド化し、世界に広めていけるように一緒にPRしてほしいと思っています。」
着任後、隊員は大鰐町、「大鰐温泉もやし組合」、そして「プロジェクトおおわに事業協同組合」の三者で組織される「大鰐温泉もやし増産推進委員会」の一員として活動するという。マーケティングなどの専門的知識があればなおよいが、大事なのは専門的なスキルではない。
「将来的には関係者と一緒に地域商社の設立も視野に入れていますが、そのためにも、全国各地に向けたPRやイベントの企画など、関係各所とコミュニケーションを取りながら、新たな視点で積極的にアプローチしてもらえるといいですね。」
800年の歴史がある大鰐温泉と、350年以上の歴史を誇る「大鰐温泉もやし」という伝統的な地域資源が豊富な大鰐町。
力強い地域の担い手たちとつくる、大鰐町の新たな歴史の1ページに期待が高まっている。