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2017年4月1日 Furusato

周防大島で農薬、化学肥料を使わない米づくりに取り組む「半農半ラジオ」の暮らし

その形から「金魚島」とも呼ばれる周防大島。人口約17,000人の瀬戸内海で3番目に大きい島です。以前は人口の半数が65歳以上の「高齢化先進地」として取り上げられることが多かったのですが、近年は「移住者や起業家が多い島」として注目されています。島に2013年に移住し、米作りや野菜作りに励みながら、週2回は山口市内でラジオの仕事もこなす「半農半ラジオ」の生活を送る三浦宏之さんにお話を伺いました。

震災を機に見つめ直した東京の生活。17年間続けたラジオの仕事を辞めて島へ

大学卒業まで茨城県で育った三浦さんは、大学卒業後、約17年間、東京でラジオ制作に関わる仕事をしていました。「都会の生活を辞めて、移住をしたい」という思いを抱くようになったのは、2011年3月の東日本大震災がきっかけでした。

「自分の生活に疑問を持つようになったんです。『生きていくこととは何か』『これからどういう暮らしをするべきか』と。当時、長男は幼稚園に通っていたのですが、小学校に通うなら田舎の方がいいんじゃないか、と夫婦で話し合いました。」

農業を志したい気持ちが芽生えたのは、ラジオ番組で地産地消を取り上げた頃の、ある体験がきっかけでした。

インタビューに応える三浦さん

「夕飯に納豆や豆腐を買おうと思ってスーパーに行ったら、国産の大豆を使用した製品を見つけられなかったんです。日常で普通に食べる食品が外国産のものばかりだということに衝撃を受けて、だったら、いつか自分で大豆を作りたい、と思うようになりました。」
しかし、農家で育ったわけではない三浦さんには、「自分で野菜や米を育てる、自給自足の生活が自分にできるのか」と不安もありました。そんな折、偶然にも農作業に挑戦する機会がありました。長男の幼稚園で、園が借りた田畑で、保護者たちが米作りや野菜の栽培に取り組むユニークな試みが行われたのです。

「予想以上の収穫があって、自分でも農業ができるんじゃないか、って思えるようになりました。」

それから、三浦さんは移住に向けて具体的な準備を始めます。熊本県南阿蘇村に移り住んだ人を訪ねて話を聞いたり、「住むなら暖かい島がいい」という考えで、伊豆大島から、愛知県の佐久島、沖縄県の西表島にも足を延ばしました。「どこも観光にはよかったけれど、自分には生活のイメージがわかなくて、ピンときませんでした。」そんな時、山口県の周防大島で地域おこし協力隊を募集しているのを知ります。

 

この人たちがいるから自分もこの島で暮らしたい―人との出会いで移住を決意

「移住するなら、まずは『地域おこし協力隊』でと考えていたので、『これだ』と応募したものの、周防大島という島について何も知らなかったんです。調べようと図書館に行って、見つけたのがこの本です。」と一冊の本を見せてくれました。

島が生んだ民俗学者、宮本常一の「私の日本地図」シリーズの一巻、自らのふるさと、周防大島の人々の暮らしを記録した本でした。この本を読んだ後、2012年11月に初めて家族と島を訪れました。本には「平凡ではあるが素朴で誠実なものが失われていない」と記されていた島の風景。

周防大島から臨む海

「1971年に出版された本なのに、描かれた懐かしい景色がまだ残っているのに驚きました。景色の人々の暮らしがあり、これは生活の島だなと、ここなら生活するイメージが持てそうだと感じたんです。」

実際に移住してきた人たちと会うこともできました。農業で自給自足の暮らしを目指している先輩から、次は養鶏に取り組んでいるIターン者を紹介してもらって――と輪が広がり、「移住の先輩」たちと出会って話を聞き、エネルギーや環境問題についても語らいました。

「話をしている中で、古いものを大切に使う暮らしがここには残っていると感じました。自らの手で生活の糧を作り出す暮らしについて語り合う、というのは東京ではできなかった経験で、それが本当に心地よくて、この人たちがいるなら、自分もこの島で暮らしたい、と強く思ったんです。」

 

地域の人に支えられて農薬、化学肥料を使わない米作りに挑戦

晴れて、協力隊員として採用された三浦さん。2013年2月から、3年の任期で周防大島に着任しました。「何をやってもいいよ」と言われた三浦さんは、地域の環境美化活動などに参加しながら、畑を借りてすぐに野菜作りに取り掛かりました。しばらくしてから田んぼも借りることができ、農薬、化学肥料を使わない米作りに取り組み始めます。

実はこのとき、移住の相談に乗ってくれた先輩の方が、三浦さんのために苗を用意していてくれたそうです。「田んぼは1年に1回しかできないんだから、やりたいならすぐやった方がいい」という言葉で後押ししてくれたのです。協力してくれたのはこの先輩だけではありませんでした。

田んぼを耕す三浦さん▲写真提供:くるとん

「僕の田んぼが道に面していたこともあって、通りかかる人は気になって仕方がなかったみたいです。もう見てられん、って感じだったんでしょうね。よくアドバイスを頂きました。刈り取った稲を結ぶ藁を持ってきてくださったり、やり方も、みなさんそれぞれちょっとずつ違う方法を教えてくださったり。田んぼの近くに5軒お宅があるんですが、僕が知らないうちに、その5軒の中で誰が先生役をするか、っていう話し合いがされたようで。ある時、1人の方が、『わしがあんたの先生役じゃけえ』って言って来られました。本当にありがたかったですね。」

 

任期を終え、農業とラジオディレクターを両立する「半農半ラジオ」生活へ

そして3年が経ち、地域おこし協力隊としての任期が終了。三浦さんは、農業をしながら島に残ることを決めました。畑と田んぼで、一定の収穫を得ることができるようになってきましたが、地域のお年寄りや先輩に「現金収入は確保しておいた方がいい」と説得され、山口市のラジオ局でディレクターの仕事も始めました。現在は、週2日間、山口市内のラジオ局に勤務する「半農半ラジオ」の生活です。

ラジオの収録の様子

すっかり「島の人」として今の暮らしに馴染んでいるように見える三浦さんですが、
「目標だった大豆の栽培は、水の調整が大変でうまくいきません。釣りも苦手で、ほとんど釣れず、人から分けて頂くばかりです」と苦笑いも。しかし島ならではの貴重な体験を家族と分かち合っています。

種をまく三浦さんと子ども

「長女の七五三のお祝いに、家族で育てたささげ豆ともち米を使って赤飯を炊きました。ささげ豆は娘が自分でまきたい、って言い出して育てたものです。食べながら、こんな贅沢な赤飯はあるだろうか、って思いました。島に移住したからこそ味わえる喜びですね。今、小学4年生の長男も自ら空芯菜の栽培に挑戦しているんです。」

 

自分が受けたサポートに感謝し、新しい移住者の手助けとなりたい

最後に、移住を考えている人へのメッセージをお願いしました。

「会社勤めをしたいなら都会の方がいい。けれど、田舎で本当にやりたい何かがあるなら、どこならできるか、よく調べてやってみるといいと思います」

三浦さん自身、覚悟を持って住み始めたからこそ、地域の方々の協力に恵まれたのかもしれません。

お米を袋に詰める三浦さん

「土を耕さずに自然に近い形で育てた「不耕起栽培」の玄米を1kgのパッケージに入れて販売しているのですが、ジャム店をしている移住の先輩が100個も買い取って下さったんです。お店で販売してくれると。驚きました。不耕起で手間がかかる分、価格も1kgで1,000円と相場に比べてかなり高く設定しているですが…。僕の活動を応援してくれる、という気持ちを感じましたし、本当に嬉しいですね。まだ僕も、自分がしてもらったのと同じようなかたちで、新しい移住者が来られたら、せいいっぱい応援したい、と思っています。」

取材先

農業兼ラジオディレクター 三浦 宏之(みうらひろゆき)さん

1973年生まれ。小学校から大学卒業まで茨城県で育つ。大学4年の秋から東京のラジオ番組制作の仕事を始め、フリーなどもはさみ通算17年勤務。2013年2月に山口県周防大島町に地域おこし協力隊員として移住し、農薬、化学肥料を使わない野菜作りや米作りに取り組み始める。2015年12月より山口市内のラジオ局に週2日、ディレクターとしても勤務し、協力隊任期終了後は、「半農半ラジオ」の生活を送っている。

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