10代での挫折がターニングポイント。“伝えたい”思いがあってUターンを選んだ
地元の工業高校に通っていた村岡さんは自立心旺盛で、卒業後の進路選択では迷わず就職を希望していました。第一志望は都内の大手企業でしたが、結果は不採用。その後、ご両親からは「もっと社会を知ってほしい」と大学進学を薦められ、東京電機大学に進学しました。村岡さんに当時の様子を振り返ってもらいました。
「高校時代、目指していた会社についてはよく調べていたのですが、仕事の詳細や社会のことなど、もっと大きな視点が抜けていました。とにかく早く独立して、親を安心させたいという気持ちが先行し、就職を“ゴール”と考えていたような気がします。当時は就職できなかったことがショックでしたが、今思えば、あのまま就職していなくてよかったですね。」
10代で就職に挫折。この経験が、村岡さんの人生のターニングポイントとなりました。
「高校生の頃は、勉強して大手企業に入れればそれでいいやと思っていました。でも実際に働いてみると、社会は出てみないとわからないことのほうが多かった。思い描いていた仕事内容と違うとか、そういうミスマッチもありますよね。そのギャップを如何に小さくできるか、適用範囲を広げられるかが大事だと思うんです。」
村岡さんは、自分と似たようなことで失敗してほしくないと、高校生を中心とした若者に、自分の経験を伝えたいと思うようになりました。
「高校時代にもっといろんな考え方とか情報に接していたら、と思うこともあります。自分が味わった挫折や、今は好きな働き方で生計を立てられているという経験を通じて、世の中には働き方や生き方の選択肢がもっとあるんだということを、地元の高校生にも知ってもらえたら、と思っています。」
村岡さんの使命感にも似た思いには、同郷である奥様のあすかさんも共感。最終的に、夫婦でUターンすることにも納得してくれました。
青森県の制度も活用。事前の準備と計画で着実に進めたUターンへの道
村岡さんは大学では情報通信工学を専攻し、卒業後はシステムエンジニアとして、決済システムを運営する東京の企業で3年間勤務しました。そこからUターンするまでの間、東京で働きながらどう行動したのか、お話をうかがいました。
「新卒で入社した一社目の会社は業務システム系だったのですが、独立することを考えたら、もう少し一般向けのサービスで経験を積まないといけないなと思ったんです。探していていいなと思ったウェブ制作会社があったんですが、そこの役員の方に、将来的に独立するのでいずれ辞めるけれど、会社にいる間は死に物狂いで頑張ります、と猛アピールしました(笑)」
熱意だけでなく、スキルも認められた村岡さんは見事希望の会社に入社。1年半後には退職しますが、約束どおりがむしゃらに働き、新規事業の立ち上げも含め、様々な経験を積みました。そして2014年5月、東京に拠点を置きながら、まずは個人事業主として独立し、Uターンへの第一歩を踏み出しました。
村岡さんがいずれ十和田にUターンするという計画を知った前職の取引先の応援もあり、独立してからも仕事には恵まれました。そして中学時代の同級生・あすかさんと結婚。あすかさんは東京でバスガイドとして働いていましたが、結婚を機に退職。村岡さんの夢をサポートするため簿記の資格を取得し、現在は会社経理を勉強中です。
村岡さんは個人事業主の頃から十和田に戻って働くことを想定し、依頼された仕事は極力対面での打合せを減らし、インターネットや電話をフル活用して対応しました。さらに青森県が実施していたIT系・クリエイター系人材のUIJターンを推進する「青森ITワーク調査モニターツアー」にも参加。ツアーの対象地域であった弘前市に1週間ほど滞在し、コワーキングスペースで作業することで、仕事先の東京と物理的にも距離のあるリモートワークを実践。こうした助走期間を経て、村岡さんはあすかさんとふたり、満を持して2016年に十和田に戻ってきました。
地元に多世代交流の場をつくりたい!「村岡塾」を足掛かりにスタート
▲「村岡塾」の様子
村岡さんは現在、オフィスとして広い一軒家を借りていますが、それにも理由があります。
「広めの一軒家は、仕事場だけではなく、多世代交流の場としても活用したいと思っています。ここで、高校生とか僕のような大人が交流し、語り合える場にしたいという夢があります。」
村岡さんは十和田に戻ってきてまだ半年ですが、さっそくこのオフィスが、仕事場以外としても活用されています。
「実は、僕がUターンしたことを知った中学の同級生が、僕の仕事やキャリアに興味を持ってくれて、学んでみたいと相談されたのがきっかけで『村岡塾』というのを始めました。わかりやすく『塾』と名付けましたが、働き方や生き方を学べる人材育成の場といったらいいでしょうか。その同級生は今、林業をやっています。僕がやってきたSEの仕事がどういうものかを教えたり、仕事を通じた自己実現とか、仕事ってもっと楽しいものだということをわかってもらえるよう、自分の経験を伝えたりしています。」
村岡さんの地域貢献への熱意は「村岡塾」という形で動き出しました。これからさらに多世代交流の場として進化していくことが期待されます。
「やっぱり自分の生まれ育った町なので、この地域のためになることをしたいし、町をよりよくしたいという気持ちは大きいですね。」
地域や業種の垣根を越えたコミュニティをつくり、地元での可能性を探る
▲松本茶舗前の屋台交流会に参加する村岡さん
生まれ育った町をよくしたいという村岡さんの熱意や計画性のある行動力は、経営者としても活きています。地元での人材育成や雇用創出も考えているため、人とのつながりを広げる活動には積極的です。
もともとUターンを考え始めた頃から青森の地域コミュニティに参加し、情報収集に努めてきた村岡さんですが、新たに事業者コミュニティをつくり、その可能性を探っています。
「十和田市のほかに、三沢市や奥入瀬町在住の若手経営者ら4人と毎月三沢に集まって、事業の進捗を報告しあっています。最近は十和田市内の事業者同士でも不定期で集まるようになりました。いずれ何か一緒にやれたらいいなと模索しているところです。こういうなにかが生まれそうでわくわくする感じは好きですね。」
事業者交流以外にも、市内の商店街でこんな取り組みも始まりました。
「松本茶舗という茶器のお店があるんですが、そこのご主人が企画している交流会があるんです。お店の前に小さい屋台を出して、近所の人や移住してきた人など垣根なく、わいわいおでんをつついたり、お酒を飲んだり。そうしたら自然と人の輪も広がるんじゃないかという試みです。始まったばかりなんですが、面白いので積極的に参加するようにしています。」
車があることでアクティブになった十和田での生活
高校卒業以来、約10年ぶりに生活する地元は、村岡さんの目にはどう映ったのでしょうか。お気に入りの場所を案内してもらいました。
写真(下)は村岡さんのオフィスから徒歩数分の場所にある公園です。この通りは市役所や図書館などが並ぶ、碁盤の目状に区画された官庁街ですが、その様子はアートによるまちづくりに取り組む十和田市ならでは。近くには十和田市現代美術館があり、一帯にはアート作品が展示されています。
「この通りがきれいで、夜になるとライトアップされるんですよ。つきあたりは商店街です。オフィスの物件選びは場所にもこだわりました。近くにこういう気分転換できる場所があることも大事だなと思って。あったかい時期は時々パソコンを持ってきて仕事をしたりしています。」
▲夜のライトアップ
生活にはこんな変化もありました。
「野菜や魚など、知り合いの方にたくさんもらえるので、生活で不便なことはないですね。車があるので、東京よりもむしろ楽に移動できますし、上京してから中断していた釣りの趣味も復活しました。妻と二人で三沢や八戸や六ヶ所村にも出かけます。車のある生活、最高です(笑)」と話す村岡さんはとても充実した表情をしていました。
「理由」はあったほうがいい。地元での生活を充実させるために必要なこと
最後に、青森への移住を考えている方にメッセージをいただきました。
「Uターンであれば、“どうして戻ってきたの?”という質問をされることもあると思うのですが、その問いに対して明確に説明できるよう、自分の行動になんとなくではなく、ちゃんと理由を持ったほうがいいですね。理由は、ないよりはあったほうがいい。そうでないと、“都会へ出て行ったけれどだめになって地元に戻ってきた”と見られることもあります。自分の行動をちゃんと説明できれば、地元に戻ってきても胸を張って暮らせるし、仕事へのモチベーションもあがると思います。」
村岡さんのこのメッセージは、Uターン以外の移住にも通じるものがあります。都会の中で転職したり、引っ越したりするだけではあまり感じませんが、都会から田舎へ移り住むという選択は、ライフスタイルに大きな変化を伴うことであり、それは時にその人自身の生き方そのものを選び取ることでもあります。Iターンであっても、その場所を選んだ理由を自分自身に問い続けていくことで、自分にあった本当の「居場所」が見つかるのではないでしょうか。ぜひあなたにあった場所を見つけてください。