記事検索
HOME > 移住する > Iターン >
2017年5月13日 Furusato

欲しいものは自分たちの手で作り出す。徳島県・上勝町で仕事や暮らしを「開拓」する「上勝開拓団」

徳島県の中でも山深い地域、上勝町。おばあちゃんの葉っぱビジネス「いろどり」や2020年までにゴミをゼロにすることを宣言した「ゼロ・ウェイスト活動」などがメディアに取り上げられ注目される町です。ここに東京でテレビのディレクターをしていた仁木さんが移り住み、映像メディア制作やイベント企画・運営などを行う「上勝開拓団」を設立しました。仁木さんが移住することになった経緯や、上勝町での仕事や暮らしについて伺いました。

自分の暮らしを充実させたくて地方を訪れるように

上勝町の山

神戸出身で大学進学を機に東京に住み始めた仁木さんは、卒業後テレビ番組の制作会社に就職しました。ディレクターとして、ドキュメンタリーやドラマの制作に携わりましたが、その仕事は過酷。休みなく24時間体制で仕事をしていた20代を経て、30代中盤になると、自分自身の暮らしに目を向けるようになったと言います。
「これじゃ自分の人生が面白くない、面白くしたいと思うようになり、模索し始めました。撮影で日本全国の地方を訪れては面白いなと感じていたこともあり、2拠点生活を視野に、週末には関東近郊の農村を訪ねるようになりました。」

関東圏の小さな集落に通うようになった仁木さんですが、その地での物件探しは難航。そのタイミングで、環境の取り組みを紹介する番組のプロデューサーから、上勝町の「ゼロ・ウェイスト活動」を見てきてほしいという依頼があり、初めて上勝町を訪れることになりました。
「山奥の、かなりの田舎だなあと思いました。ただ、町内をあちこち見て回るうち、予想外に若い人が多く、活躍していることに驚きました。20代の若者はほとんどが移住者でした。それから、宿泊した旅館で地元の方が宴会をしていて、誘われて参加したんです。そしたら、取材させていただいた方とか、いろんな方を電話で呼んでくださって、大宴会になって。そうやって一緒に飲んだ人たちがまた来いよと言ってくれたので、時間があるときに遊びに行くようになったんです。」

その後、仁木さんはご友人と再び上勝町を訪れました。ご友人は上勝町を気に入り、移住することに。仁木さんも、ますます上勝町へ足を運ぶようになったのだそうです。

 

笑顔溢れる、信じられないくらいの温かい空間

IRORI小屋

そして2012年。上勝町での暮らしや、町民の方が大切にしているものを題材に、ドキュメンタリーを撮りたいと考えた仁木さん。NPOゼロ・ウェイストアカデミーの当時の事務局長に「この町で残しておきたいもの」を尋ねると、『キミちゃん&フミちゃん』と呼ばれるふたりのおばあちゃんの存在を教えてくれました。キミちゃん&フミちゃんは、毎朝山の上にある小屋でお餅をついて、いっきゅう茶屋という産直市に出荷しているというのです。

またふたりは、移住者の若者を応援し、手助けしていました。1年間の任期で活動していた「緑のふるさと協力隊」のお別れ会が開かれ、仁木さんはビデオカメラを持ってその会に参加しました。お別れ会では、キミちゃん&フミちゃんの手料理が振る舞われていました。折しもその月はキミちゃん&フミちゃんの誕生月で、協力隊のメンバーからふたりへ誕生日プレゼントが渡されました。その会は「こんなに笑顔が溢れることがあるのかと信じられないくらい、温かい空間だった」と仁木さんは話してくれました。

そこで、仁木さんは家を借り、上勝町に住みながらNHKのドキュメンタリー番組「笑うキミには フク来たる」を撮影することに決めました。
「最初は半年間の予定だったのですが、まだ撮れることがあるんじゃないかという風に感じて、結局それから東京には帰っていません。東京での仕事がある時は行きますが、暮らしのベースはこちらになりました。」

Bar IRORI

 

高齢者と若者が混ざり合う、心地よい町

おばあちゃんの葉っぱビジネス「いろどり」を筆頭に、高齢者が元気な上勝町。その高齢者と、そこに惹かれ移住してきた若者が共に仲良く暮らしていることに、仁木さんは魅力を感じたそうです。
「キミちゃん&フミちゃんだけじゃなく、本当にみんなお元気なんですよ。しかも常に楽しく暮らしている。不便な山間地域だし、農作業は体力的にきついこともあるし、大変なことは多いんですけど、みんな明るいんですよ。若い移住者と一緒にお酒を飲んだりしていて、両者がいい感じで溶け合っているのが魅力でした。」

仁木さんが上勝町のもうひとつの魅力としてあげてくれたのが、町民のDIY精神です。山の中の古民家を改装して、ほとんど電気も使わずに暮らしている人もいるそうです。
「なんにもない不便な場所だから、みんな工夫してなんでも自分で作っちゃうんですよね。買って済まそうという考えがあまりないんですよね。自分たちで作るから面白いし、その過程が楽しいという人がたくさんいるんです。」

 

土地を開拓し、そして仕事や暮らしを開拓する「上勝開拓団」

Bar IRORIとポスト

仁木さんは現在、「上勝開拓団」という会社を立ち上げ、3名のメンバーとともに移住希望者に向けたPR動画を主とした映像制作や、音楽ライブイベント企画&運営のお仕事をされています。また、「Bar IRORI」も開店しました。これらは「自分たちの望むものを、自分たちでつくっていこう」という思いがきっかけでした。
「都市に住んでいると誰かがやってくれると思うんですよ。イベントもプロが色々なジャンルでつくってくれるから、そこから選んで足を運べばいい。でも、ここでは娯楽もないので、自分たちで作らないと面白くないし、やらないのはカッコ悪いですよね。実際にやってみたらライブも多い時には100人のお客さんが見にきてくれたし、こんな山奥にバーなんてと批判的な人もいましたが実現できました。自分たちがやる気になれば、なんでもできる可能性が非常に高い地域だと思います。」

古民家を借りてその一部をバーに、その隣に事務所を自分たちの手で作りました。去年はライブ用の屋外ステージを崖にせり出すように作ってもらったり、イベントで使用する竃(かまど)をDIYしたりも。そして今年はキャンプサイトを作り、大きなテントに泊まれるようにする予定なんだそうです。
「露天風呂もつくりたいし、畑もやりたいし、田んぼを借りて米作りも始めたい。できることなら山を買って木を切って…とか考えていると先は長いんですよ。1年じゃ全然時間が足りないので、70歳くらいまでに少しずつ実現していければいいなと思っています。そして、次の世代に託していけたらいいですね。」

多くの夢を語る仁木さん

 

先の見えない真っ暗な中、未来を切り開いていきたい

仁木さんは、上勝町に移住して物事を長い目で見るようになったと言います。
「例えば杉の木を植えるじゃないですか。それが大きく育って木材として利用されてお金になるのは、次の世代かそのまた次の世代ですよね。こんな風に田舎に住んでいる方って、自分たちのことより先の世代のことを考えているのを感じるんです。」

人口1600人の小さな町なので、自分の暮らしの楽しさだけでなく、将来的にこの町や集落がどうなっていくのかということが自分ごととしてリアルに感じられる、とも言います。
「都市部だったらなんとかなるだろうと思ってしまいがちなことも、小さな町ではみんなそれぞれに考えていかないといけない。なかなか先は見えなくて、とても大変なことだけど、そこが地方で暮らす面白い部分なんじゃないかなと思いますね。」

東京にいた頃と、仕事のペースは変わらないという仁木さん。夜中まで仕事をすることもあり、週1回休みがあるかどうかという生活だそうです。それでも、東京に住んでいたころと感覚的な何かが全く違うようです。移住後始めたウクレレでバンドを組んだり、仕事中に地元の人たちとのんびりする時間を持ったり。
「町の人たちに喜んでもらいたいとか、町の人たちのことをもっと知ってもらいたいと思いながら仕事をしているので、何かを作っている時の気分がだいぶ違うんです。ルーティンになっていない仕事をしているというか、先が真っ暗な中を歩いていくのが面白いんですよね。『上勝開拓団』というネーミングも、自分たちで未来を切り開けたらという願いも込めています。」

現在は上勝町内の仕事が多いという「上勝開拓団」ですが、今後は上勝町を拠点にして、都市部や日本の他の地方の仕事も増やし、映像の力で面白いものを発信していきたいと考えているそうです。「閉鎖的になったら面白くない。私たちは上勝町と外とのつなぎ役だと思っているので、地元の人とのつながりも、町外の人とのつながりも両方どんどん強めていって、ここに来たいと思ってくれる人を増やしたいですね。そういう人たちのサポートはできるだけしたいと思っていますし。」

Bar IRORIの看板犬

 

人と人との距離が近いから、一期一会を大切に

「上勝開拓団」のメンバーは全員、東京や大阪からの移住者です。東京から移住したひとり、菅原さんは、ご友人の結婚式で会った仁木さんがfacebookでメンバー募集の投稿をしているのを見て、「行きたい!」と思い移住を決めたのだそうです。移住後は「よく覚悟決めたね」「大変だったでしょ」と言われることが多かったようですが、菅原さんの想いは全く違いました。
「私は試しに行ってみようという軽い気持ちで来たんです。住んでみて違うと思えば東京に戻ればいいし、他の地方に行くこともできる。同じ日本国内、言葉が通じるのだから、気合いとか覚悟とかそう構える必要はないと思います。インターネットの情報もいいけど、実際に訪れてその地域のものを食べたり、人と関わったりしてみたらいいと思います」と菅原さん。町内のことに関わり人との距離が近くなる。その関係性により自分の暮らしがここにあるという実感があるそうです。

全員移住者の「上勝開拓団」のメンバー
▲全員移住者の「上勝開拓団」のメンバー

人との距離が近いのが魅力だと、仁木さんも感じています。「一度会った人とまたばったり出くわすことも多いし、徳島市内に飲みに行ってもだいたい誰かに会う。東京にいた頃は、情報も人も多いから、その中で自分が取捨選択をしたものだけが残っていくイメージでしたが、そういうことをしていたらなにも残らないなと思います。だから、出会った人はみんな大切だって、いつも感じていますね。」

イベントにBARと、欲しいものをつくりあげた「開拓村」▲イベントにBARと、欲しいものをつくりあげた「開拓村」

取材先

上勝開拓団/仁木 啓介(にきけいすけ)

兵庫県出身。大学入学のため上京し、テレビ番組の制作会社へ入社。東京で約25年間過ごしたのち、2012年に徳島県上勝町へ移住。2015年に「上勝開拓団」設立。映像制作やイベント企画・運営を通して、上勝町の魅力を発信している。

上勝開拓団HP:http://kmktkaitakudan.com/

Furusato
記事一覧へ
私が紹介しました

Furusato

Furusato「Furusato」は、NPO法人ふるさと回帰支援センターが運営するWEBマガジンです。 出身地のふるさとに戻るUターンや地縁のない地方で暮らすIターン、定年退職後の田舎暮らしなど、さまざまな形で都会から自然豊かな農山漁村へ移り住む方々のお手伝いをしています。 各道府県の移住相談員がお待ちしていますので、東京・有楽町のふるさと回帰支援センターまで、お気軽にお越しください! [WEB] Furusato:https://www.furusato-web.jp/ ふるさと回帰支援センター:https://www.furusatokaiki.net/

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

人と風土の物語を編む