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2018年9月10日 小川佳奈代

個性が光る「四国の右下」。活躍する移住者たちからその魅力を探る!

「四国の右下」と聞いて、日本のどの場所かお分かりだろうか? そう。まさに四国の地図の右下(東南部)に位置する徳島県の南部エリアのことだ。太平洋を臨む1市4町(阿南市、美波町、那賀町、牟岐(むぎ)町、海陽町)を総称してこう呼ぶが、今ここが移住先としてじわじわ熱いらしい。その魅力は何か。このエリアの移住コーディネーターや、先輩移住者たちに話を聞いた。

“右下のゴッドマザー”に聞く。「四国の右下」はこんなところ

まずはこのエリアはどんなところなのかを教えてもらうべく、小林陽子さんを訪ねた。小林さんは、四国の右下のなかでも民間の有志が主体となって比較的早い時期から移住者の受け入れを進めてきた「美波町」の敏腕移住コーディネーター。40年前からボランティアで移住者のサポートをはじめ、今までに200名以上の移住を実現、定住率は100%を誇る。これまでの実績を買われ、現在は徳島県の移住アドバイザーや総務省の過疎対策委員や、四国の右下移住アドバイザーも務めている。

小林さんによると、四国の右下は、以前は“海が近い”という理由でやってくる移住者が多かったものの、最近は“海だけではなく、里山や市街地機能もバランスよく含んでいるエリア”という認識で来る人が増えているのだとか。それぞれのまちが個性的で際立っているのだという。

やくよけ橋

“個性”の中身をざっくり言うと「阿南市」は、商業地と田舎のどちらも備えたまち。「那賀町」は林業やゆず、相生番茶など第一次産業がさかんで、「美波町」はコンパクトで暮らしやすい。「牟岐」には離島があり、「海陽町」はサーフィンのメッカ。それぞれのまちが刺激しあい、競い合うように魅力を発信しているのだという。
さらに、移住者に対する行政サイドの受け入れ体制も次第に整っていきているそうだ。
住まいについてはもちろん魅力的で、古民家を借りてDIYしたい人にはぴったりだし、「300万円もあれば新築が建てられる」のだとか。

移住のコツは“1年間は静かに暮らすこと!?”

これまで何人もの移住に携わった小林さんに、スムーズな移住のコツについて聞いた。

「私は移住する人には“1年間は静かに暮らして”と言います。地域のために何か特別なことをしたいと張り切る人もいらっしゃいますが、しばらくは地域の中の人関係性を見ることが大事です。それとATMがないとか、都会のモノサシでまちを見ないということ。時間、距離、セキュリティ、いろんな感覚が都会とは違います。田舎暮らしをするにあたって、まず自分が何を求めるのかはっきりしておくことが必要だと思いますよ」。

小林さんが移住コーディネートし、空き店舗の改修にも関わった『三七三食堂』

移住や空き家に関する相談が増えたため、4年前に一般社団法人を立ち上げ、地域の課題解決に取り組んでいる。こちらの事務所でもあり、移住希望者の宿泊施設として運営している『移住者交流施設やまさき』にて

なるほど、「四国の右下」のまちの個性は色々。どんな暮らしがしたいかを明確に先輩たちは何に魅かれて移住し、今どんな活躍をしているのだろうか。詳しく話を聞いてみよう。

リアルな右下ライフ① 人生を変えた「きゅうり」! 夫婦で探る農業の新しいカタチ

―海陽町「きゅうり塾」卒業生・満尾夫妻―

「四国の右下」の最も南にある「海陽町」。明るい太陽が降り注ぐ緑と海に囲まれたこの町で、きゅうり栽培を始めた満尾夫妻。2017年5月に大阪府吹田市から移住してきた。

夫の匡記(まさき)さんは、元システムエンジニア。「定年後は田舎で農業を」と漠然と思っていたそうだ。しかし社会人となって9年目の32歳のとき、仕事も好調、家も新築して落ち着いたかと思った矢先のこと。ふと「このままでいいのか」という思いが頭をよぎり、情報収集を開始した。一方、妻の美香さんは、当初環境を変えることに全く乗り気ではなかった。しかし、子どものためには自然豊かな環境で少人数制の教育を受けさせようと考えはじめ、最終的には家を手放し移住の決断をしたという。
夫婦ふたりとも両親の暮らす実家が大阪のため、何かあった時にアクセスがいいだろうと、移住先は四国を中心に検討。大阪での移住相談会で出会ったのが「きゅうりタウン構想」だった。

月給をもらいながら農業を学べる「きゅうり塾」

この地域で70年もの歴史がある「促成きゅうり」。高齢化などによる担い手不足が課題となっている。

「きゅうりタウン構想」とは、「JAかいふ」と行政が中心となり、移住就農によりきゅうりの一大産地を作ろうという取り組みだ。移住就農希望者は「海部きゅうり塾」で1年間研修を受け、2年目からはレンタルハウスでデビューが保障されている。順調にいけば年間500万円ほどの収入が見込めるうえ、半農半Xなライフスタイルも期待できる。 研修中の約10か月間は、栽培技術や経営などの座学や実践を行うが、その間は月給15万円(年度により支給額の変更あり)が支給されるうえ、寮もあり家賃は不要。さらに卒業後の独立サポートや相談体制も整っている。

元技術者の心をくすぐる「ミライの農業」

ハウス内は土足厳禁で定植前ということもあったが農業ハウスには思えないクリーンさ

きゅうりタウンでは、ハウスの中で土を使わずに育てる「養液栽培」を行う。生育はコンピュータ制御により安定した環境に保たれるなど、従来の農業のイメージをがらりと変える最新の技術を備えている。
「自分がかかわってきたIT技術を農業に生かしてさらに新しい価値を生み出せるかも」。そう考えると匡記さんの夢はどんどん膨らむ。ふたりは、今年2018年3月にきゅうり塾を無事に卒業。現在、レンタルハウスで初めての定植に向けて着々と準備を進めている。

作業の効率化を図るために作ったさまざまな仕掛けを話す匡記さん

会社員時代は家と会社の往復で、地域とのかかわりはなかったが、今は地域のソフトボールに誘ってもらったり、積極的に清掃活動に参加したり。子どもたちは、新しい小学校は1クラス20人に先生が2人という手厚い体制でのびのびと過ごせている。教育施設は高校までちゃんとある。美香さんは笑顔で、子どもたちは「移住前より言葉数が増えた」と話す。「道ですれ違う全然知らない人があいさつしてくれるんです。海陽町は“あったかいよう”、と言うらしく、ほんと人も気候もあったかいんです」。

リアルな右下ライフ② 田舎で起業! 自然体験と田舎暮らし体験の拠点づくりに奔走中

―牟岐町「むぎ青空プロジェクト」井上知美さん―

四国の右下の中間部にあたる「牟岐町」は、農業・漁業が中心のノスタルジックタウ ン。離島もあり釣りやアウトドアスポットに恵まれている。ここで2014年に夫である貴彦さんと起業し「むぎ青空プロジェクト」をスタートさせたのが井上知美さんだ。

井上知美さん

現在、築150年の古民家を拠点に、遊びを通して自然を知ってもらう活動を企画・運営している。知美さんは東京出身。幼少時の自然体験はほぼなく、田舎暮らしに憧れていた。大学での自然保護活動をきっかけに、阿南市の「NPO法人自然スクール トエック」で自然体験スタッフとして働くように。元トエックのスタッフで吉野川でラフティングガイドをしていた貴彦さんと結婚。2013年、貴彦さんの祖父母がいる牟岐町に“孫ターン移住”した。

田舎暮らしで大事なのは「信頼関係」と「どう暮らしたいか」

井上夫妻

活動拠点を獲得するまでには苦労した。今の古民家は通りがかりに偶然見つけて気に入ったものの、家主はわからず。近所の方を通して家主を探し、自分を信頼してもらうために今の活動を伝えるなど粘り強く交渉し、約1年半後に賃貸契約にこぎつけたとか。行動力あふれる知美さんだが、一番大切にしているのは信頼関係だ。

「自分がしたいことだけをやるのではなく、地域の方たちに自分から関わっていくことが大切です。子どもが少なくお年寄りの多いところなので、地域の草刈りに行ったり、集落の集まりに参加したり。これから田舎暮らしをしたいなら、どうやって生業をつくるのかしっかり考えることも大事。自分の考えに沿った暮らしに挑戦できる環境が、ここにはあります」。

原体験の楽しさと大切さを伝えたい

むぎ青空プロジェクト

「むぎ青空プロジェクト」では、イベントのほか、随時予約制で四季折々の自然の恵みを活かしたアウトドアや田舎暮らし体験などを一年を通して家族で体験することができる。
「川は0歳児から遊べるんですよ。子育て中だから自然体験は難しいと思っているお母さんも、子どもと一緒に楽しんでくれています」と知美さん。県南には赤ちゃんから大人までが楽しめる、フィールドがいっぱいだ。

敷地内で飼っているヤギファミリー。小屋は知美さんが自作した

今後は、今の自然体験プログラムをさらに進化させ、地域に根差した体験型の古民家宿も始めていく。
「田舎に遊びに来た感覚で、ここでの暮らしややりたいことに挑戦できる民泊スタイルが理想ですね。そのためには今の古民家をさらに改修して、単に泊まるだけでなく、実際に田舎で暮らしが体感できる仕掛けを考えています。畑で育てた野菜を使うのはもちろん、炭で火を起こしてアメゴを塩焼きにして食べたり、山でイノシシやシカを捕って食べたりといった“命をいただく”意味も味わってもらいたいなと思います」。

リアルな右下ライフ③ 精進料理を通して地元の魅力を伝えたい

―阿南市地域おこし協力隊・久米可奈子さん―

四国の右下最大の商業地である「阿南市」中心部から車で約30分の里山、新野町(あらたのちょう)。ここで地域おこし協力隊として活動する久米可奈子さん。2017年4月に着任し、空き家調査や移住サポート、地域行事運営などで多忙な日々を送るかたわら、精進料理を通して地域の食の魅力を発信している。

久米さん

久米さんは地元・新野町出身。18歳で上京し、約10年間飲食店で朝から晩までバリバリ働いていた。
「私、誰かにプレゼントするのが好きなんですが、東京って何でもあるので贈り物選びに悩みすぎるんです。それでふと気づいたのは“買わないと、あげられない”こと」。
料理に使う食材も買ってこないと作れない。自分では何も作り出せていない無力感があった。しかし、野菜なら自分で何かを作り出せるかもしれないと、当時趣味で習っていた精進料理の世界にのめりこんだ。

野菜に身近な生活がしたいと移住先を検討しはじめ、里帰りの時に出会ったのが「おばあちゃんのスナップエンドウ」。ただ塩ゆでしただけなのに、なぜこんなに美味しいのかと衝撃を受けた。それまで知らなかった地元の野菜のおいしさや、地元のために頑張っている仲間の存在。そして自分も関わっていこうとUターンを決めた。

お寺で精進料理を楽しむイベント開催

久米さんは2018年の3月、仲間とともに「精進料理の会」をスタートさせた。年に5回、1年を通して季節の野菜を味わってもらおうというもので、四国八十八箇所霊場第22番札所・平等寺の持仏堂にて、20人の予約制で開催している。最初はメニューを考えてから食材を調達していたが、最近は農家さんの畑からおすそ分けしてもらった野菜からメニューを考える。作り手を身近に感じることで、食材を余すことなく使って食べる豊かさや感謝の気持ちが自然にわくのだという。

参加者からは「普段は捨てているような野菜の皮の部分も食材として余すことなく使う技や味付けを知れて、日々の料理に活用できる、交流ができる」と好評だ。今後も、精進料理を通して新野の魅力を発信したいと意気込む。いつかはお店を出すのが夢だ。

食が変われば人生が変わる。「本当のタフになれた」

お接待

久米さんによると「新野は田舎初心者にとってちょうどいいところ」だという。海も山も近からず遠からず。阿南市街地へのアクセスも車で約30分と悪くない。
それに、ここでは「お接待」といって、四国八十八か所をめぐるお遍路さんをおもてなしする文化が根付いているせいか、外から来た人に抵抗が少なく、人懐っこい気質なのだとも。

「こっちの野菜を食べるようになってから、どんなに疲れていても朝5時半には起きられるようになりました。免疫力が違う。回復力が違う。食が変わるとこんなに変わるんだ、と実感しました。10年間飲食の仕事でバリバリやって自分はタフだと思ってましたが、今は本当の意味でタフになれた気がします」。

「四国の右下」は、まるで日本料理の八寸のようだ。ひとつの皿に個性豊かな味わいの小鉢がキラキラ輝いて、愛嬌たっぷりにあなたを見つめている。その味、香り、カタチを味わいに、この秋ふらりと出かけてみてはいかがだろう。2泊3日で四国の右下をぐるっと回れる移住体験ツアーもぜひチェックしよう。

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小川佳奈代
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小川佳奈代

小川佳奈代徳島県徳島市出身。フリーライター、エディター、2児の母。 徳島でタウン誌編集を経て、東京、鹿児島とメディア界隈で約20年うろうろ。2018年に帰郷。まち、人、暮らし、働き方、食、旅をテーマに、「よそものの視点」でローカルネタを掘り起こし中。シャツの前後を間違えても夕方まで気づかないのが特徴。サンバが大好き。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

人と風土の物語を編む