熊野川町で林業を営んできた熊野山木材の上野展央さん(70歳)が額に汗しながら、百年生ヒノキの丸太にオノを入れはじめると、木の香りが一帯に漂いはじめる。「わー。こんなに、におうもんなの?」直径70㎝はある丸太が、割れた。参加者の男性が、たまらず手にとる。「すごい、すごい、これは」「いいにおい!」「本当にすごい、いいにおい!」
これは、移住を検討する人に向けた「わかやま”和み”暮らし現地体験ツアーin那智勝浦町・新宮市」(2017年10月7〜9日実施)のワンシーン。
今回は、現地に家を借りる編集者が、2泊3日のツアーをレポート。ツアーの行程表はこちら。
このレポートでは、3軒のゲストハウス訪問時の様子をピックアップして紹介します。
移住を考える人がもっとも知りたいことの一つが、現地での暮らしと仕事ではないでしょうか。移住者であり、起業者でもあるゲストハウスオーナー。彼らの話から、見えることがきっとあります。
今回の訪問先である那智勝浦町・新宮市は紀南(紀州の南部)地方と呼ばれ自然の豊かなところ。2004年に紀伊山地の霊場と参詣道(通称・熊野古道)が世界遺産認定。年々海外からの訪問客も増加。
色川地区(那智勝浦町)
2017年10月7日。神奈川、千葉、大阪から4組6名の参加者が集いました。南紀白浜空港からは、バスで移動。2時間ほどかけて那智勝浦町の色川(いろかわ)地区へ。
ここ、色川地区は和歌山県における移住の先進事例地として知られる地区。1975年から、移住者と地元住民が主導して、ともに暮らしていく道を模索してきました。360人のうち、約半数が移住者です。
2016年には、小中学校舎が新設。現在は移住者の子どもたちが、あらたに家族をかまえる局面へ差しかかりつつあります。
農家民泊JUGEMU-お金に依存しない生活の提案-
2014年春、色川地区にオープンした農家民泊JUGEMU(ジュゲム)。営むのは、壽海(じゅかい)真也・千鶴さん夫婦です。
居間に上がると、参加者からは矢継ぎ早に質問が。「移住は夫婦が多いですか?」「女性もいますか?」「冬は?」「英語のメニューもありますが、海外からもお客さんが来るんですか?」「にわとりを飼うのはむずかしいですか?」「かまどでの調理はコツが必要ですか?」「農家民泊の申請はどんなくらい、どんなものが?」
色川地区でとれたお茶を振る舞いながら、受け答えしていく千鶴さん。実は、かつてタイに8年間暮らし、食堂を営んでいた経験も。
そんな千鶴さんの調理器具に、参加者一同は驚く。
台所には、ガス台もIH調理器もないからだ。あるのは、カセットコンロ一つと、カマド。
「薪をくべて、羽釜(はがま)でお客さんにご飯を炊いてもらうんです」と千鶴さん。たまらずと参加者から。「それ、すごいですね」「コツとかいるでしょ?」「うん、でも教えて。みんなやれますよ」
羽釜で炊く米も調理する野菜も、50年以上放棄されてきた農地を開墾してつくったもの。
▲端境期(はざかいき)の10月。畑には、里芋、ナス、大豆。タイ料理にも用いるゼラニウムやレモングラスなども。
色川地区の特徴は、自給的経済にあるといえるようだ。
裏山でこしらえた薪。棚田で育て、天日干しした無農薬の米。太陽光で温めた水はお風呂に(雨の日や冬場は、薪で加温する)。
参加者から「月にいくら必要ですか?」と質問が飛ぶと「2人で8万円あれば、じゅうぶん。電気代は月に2,000円ぐらい。水道は地区で川から引くから。年間で数千円。あと、必要なのは燃料費かな」
ガソリン代についても、工夫がうかがえる。道の駅へ野菜を出荷する際は、地区のバスに預けて那智道の駅まで届けてもらう。
「ゲストハウスと農業の落ち着く冬場に、海外へ行くこともありますよ」「お金をつかって、何かを売り買いするのは楽だけれど、ほんとうは『今日薪を割るから、夕飯食べさせて』とか。そういう交換が出来たらと思うんだよね」
▲鶏を抱きかかえる参加者。「あったかい」「かわいい」「動きおもしろい」「足キモい(笑)」「おいしそう」「トマトとレンゲが好物なんて、女子力高い」「わたしちょっと無理かも(笑)」「チキンが走ってる」といった声が飛び交う。
Cafe&ゲストハウス縁ga環-どこで子どもを育てるのか-
10月9日の午前10時。新宮市熊野川町にあるCafe&ゲストハウス縁ga環(えんがわ)を訪ねました。オープンは、2017年。
内山家は、千葉県九十九里浜から家族5人で移住しました。
ツアー参加者に薪割りを指導するのが、ご主人の清市さん。
「どうして移住をしたのですか?」という問いに答えたのは、妻の始希さん。
「子どもと過ごす時間が持てなかったんですね。2013年3月末に会社を退職して、その年に、田んぼを借りて自然農で米づくりをして。2014年2月に自宅でカフェをはじめて」
「もっと自然豊かなところで生活をしたくなったんです。熊野川町は、水がきれい!子どもたちは橋から川へ、ポンポン飛び込んでいく。そうやって、自分の体で、自然を学んでいくんですね」
そうした環境で生活をつくる上で、始希さんは、“専業”よりも“多業”をすすめるという。多業とは、ゲストハウスだけで身を立てようとするのではなく、カフェも営み、イベントもひらき…色々な仕事を組み合わせていくことだ。
Guesthouse ikkyu
最後の訪問先は、同じく熊野川町のゲストハウスikkyu。「地球一個分の暮らし」をテーマに、オフグリッド(電力を自給自足)で運営。2017年にオープンした。
迎えてくれたのは、オーナーの森雄翼(もり ゆうすけ)さん。
熊本出身の森さんは、京都で結婚。その後、熊野川町へ。2015年に新宮市の地域おこし協力隊に着任した。
「この家は、2011年の紀伊半島大水害で、床上浸水後、空き家になっていたんです。床は腐って、屋根には『人でも落っこちたのかな?』くらいの大きな穴が空いてたんです」
「それでも、『出会っちゃったからにはやるしかない』と思ったんです」
ゲストハウス開業にかかった費用は延べ350万円。そのうち、屋根の張り替えにかかった150万円は、地域おこし協力隊の年間活動費を利用。
「地域おこし協力隊は、移住して起業する人に適した制度だと思うんですね」
内装は、1年ごしで可能な限りDIY。そうすることで、費用を200万円におさめた。その内107万円はクラウドファンディングを活用して資金を集めた。
集客について、参加者から質問が飛ぶ。
「熊野古道を歩く外国のお客さまがメインですね。それからオフグリッドの生活を求めて、日本各地から訪れてくれるお客さんもいます」
森さんは、ikkyuの宿泊客に向けてオフグリッドワークショップを実施している。これは、電力自家発電のノウハウを学べるもの。
「出張オフグリッドワークショップの依頼もいただくようになったんです。先日も兵庫県西宮市で開催したんですよ」
オフグリッドのゲストハウス運営にはじまり、ワークショップ、今後は、コンサルティング事業も考えているという。
縁ga環の始希さんが話していた“多業”の一つかもしれない。
参加者の声-2泊3日の振り返り-
森さんの話をうかがった後は昼食。縁ga環さんが届けてくださった弁当をいただきつつ、ツアー参加者に感想を聞いた。
大阪府に在住。移住のタイミングを探していると話す50代の男性は。
「今回は一人で参加したんですけど、全然楽しかったですね。今度は妻と来たいな。妻は、移住もいいよって言ってますけどね、ホントかどうか(笑)。確かめる意味でも、ぜひ来たいですね」
移住先を探して西日本をめぐってきた千葉在住のご夫婦は。
「体験ツアー、すごくよかったです。自分ではじめている人の声を聞くことが、一番いい。わかりやすいし、信じられるから。これだけ自然豊かな土地での生活は、よくて当たり前だと思う。じゃあ実際に大変なところは。生の声が大きな収穫でした」
またある参加者は、ikkyuの森さんから、見せてもらった空き家情報に触れ「心がゆれています」と話してくれた。
月内に、再び和歌山を訪れる予定という方もいました。
そうした参加者の声を受けて、わかやま”和み”暮らし現地体験ツアーを県から受託する和歌山IT教育機構の向井さんからは。
「今回のツアー参加費は39,800円。飛行機代込みとはいえ、けっして安くありません。だからこそ、移住への意識の高い参加者が集まっているように思います。過去の体験ツアーでは、参加した年の内に移住した人もいます。一方で3、4年かけてじっくり移住する人も。わかやま”和み”暮らし現地体験ツアーをきっかけに、色々なつながりが生まれていったら。訪問先、交流会で出会った人たち、そして参加者同士が」
3カ所のゲストハウスを巡り、僕が印象的だったのも、つながりだった。それぞれの訪問先で、こんなやりとりがあった。
色川地区のJUGEMUを出発する際のこと。壽海さんから「次どこ行くの?」と声をかけられる。「あ、縁ga環さんね」。
次に縁ga環へ行くと「次、森くんとこでしょ?よろしく言っといて」。
最後に、ikkyuで縁ga環のお弁当を食べていると、「内山さんのつくるご飯おいしいですよね〜」と、森くんの妻である千里さん。
どれも何気ない一言ではあったけれど。つながりの中で、みなさんが仕事をつくり、生活しているさまが垣間見えると思った。
紀南地方のような「自然の豊かなところ」に住まうのは、けっして楽なことではない。そうした生活の大変さが、人のつながりを生む。そして、人と人の共存は、かけがえのない面白さに変わりうる。
そうした生の体験がある2泊3日でした。
(写真と文 大越元/紀伊半島の住まい 仕事 遊びKii編集長)