地域の人のぬくもりが、移住、開業へと導く
――雨宮さんが上石津に移住されたのが2008年、今年(2018年)でちょうど10年になりますね。上石津への移住を決められた経緯、きっかけを教えてください。
雨宮:10年、本当に早いですね。移住する前は東京でカフェを経営していましたが、妻が三重県の出身で、いずれは彼女の実家の近くで暮らすプランがありました。夫婦ともに自然が好きだったので、帰省の度に東海地域の里山にある物件を見て回っていました。色々と回った中で、上石津の家を見に来た時に近所の方がとても親切で、「せっかく来たんだから中も見せてもらいなさいよ」と家主さんに電話をしてくれたことがありました。人のぬくもりが感じられて家主さんを待っている時間も唯願寺の鐘の音がゴーンと聞こえてきたりと心地良く「ここだったら馴染んでやっていけそう」って妻が言ったんですよね。それでここに決めました。
伊藤:僕らが住んでいる上石津の時(とき)地区は、三重県、滋賀県、岐阜県の県境の町。国道365号線はお伊勢さんへの街道だったので、昔から外の人を受け入れる気質が自然と身に付いていたのだと思います。
――住むところが決まってからは、どのように進められたのですか。
雨宮:家主さんと一緒に自治会長さんにご挨拶にいきました。その後自治会の寄り合いがあり、参加したんです。伊藤さんも同席してくれましたよね。
伊藤:そうでしたね。僕が一番大事だと思っているのは、実は寄り合いの後にみんなで一杯飲むこと。なので、雨宮さんの時も、寄り合いの後に一杯飲む席を設けました。
雨宮:歓迎されているようで、あれは嬉しかったです。でも突然外から人が入ってきてビックリしたのではないかと。正直どう思われましたか?
伊藤:全くそんなことはないですよ。一杯飲んで、すぐに意気投合しました。知れば知るほど魅力のある人だし、本当にいい方が入ってきてくれたと思っています。
雨宮:そう言っていただけて、ありがたいです。
――移住を考える際、大きなポイントとなるのが「仕事」の問題だと思うのですが、アンテナショップとカフェをオープンされるまでの間、お仕事はどのようにされていましたか。
雨宮:東京のお店ではお米や野菜を有機の農家さんから仕入れていたのですが、それを自分たちで作りたいと考えていました。不耕起栽培の勉強をして、自分たちで作ってみたりしましたが、なかなかうまくいかないんですよね。
伊藤:移住者の中には就農をしたいという方もいますが、農業だけで生活していくのは難しいですからね。兼業というか、半農半Xという形でないと難しいですね。
雨宮:だから僕もこちらに来てすぐは関ケ原町の会社に勤め、妻は垂井町のパン屋さんで働いていました。3年半経って会社を辞め、自宅の納屋で木工を始めました。1年くらいインターネットで販売をしていたのですが、近くで空き店舗利用者の公募があり、近所の方が「雨宮さん、使ってみたら」と声をかけてくださったんです。
地域の方には本当に良くしてもらっていたので、僕らが来てよかったと思ってもらいたいという気持ちを常々持っていました。だから僕の木工作品を販売しながら、僕らの目線で地域の魅力を発信できる場にできるといいなと考え、地域の特産品を扱うアンテナショップをオープンしました。
伊藤:雨宮さんのお店の前を通ると、いつもびっくりするほど車が停まっているんです。シャッターが閉まっていた空き店舗が、彼らの熱意で一気に変わった。本当にすごいと思っています。
雨宮:始めたばかりの頃は、品数も少なかったですが、地元の炭焼きアートやガラス工芸家の方の作品とか、蜂蜜などの農産物も少しずつ加わって、徐々に充実していきました。
――なるほど。場があって人が来ると、そこからつながりが生まれますよね。
雨宮:そうですね。次にオープンしたカフェの方は、元々地元の70歳過ぎのご夫婦が経営されていましたが、引退したいというお話があり、引き継がせていただきました。
伊藤:カフェも大人気で、正直なところ、僕はこんなにお客さんがくるとは予想していませんでした。私たちもここを通じて知る情報がたくさんあります。雨宮さんが「上石津っていいですよ」とこの場所で宣伝してくれることも大きいと思っています。
移住者も地域も嬉しい出会いを創る
――伊藤さんが移住のサポートを始めたきっかけを教えていただけますか。
伊藤:5年ほど前に、空き家を活用してくれる人と繋いでほしいと地域の方から相談を受けたのが始まりでした。ちょうどある大学の学生たちが学業の一環として時地区に来る機会があり、空き家があるから拠点として使ったらどうかと紹介したところ、すぐに決まって。僕に空き家活用の相談をした方が本当に喜んでくれたんですよ。他にも空き家がかなり出てきていたので、繋げられたらいいなという思いで移住支援の活動を始めました。
――5年間でどれくらいの方が移住されてきましたか。
伊藤:僕が窓口になったのは20家族50人くらいですね。ハーブ農園をしている方とかケニアの大使館に勤めていた方とか、薪ボイラーの会社をしている方とか面白い方ばかりです。この3月、4月でまた3人が移住される予定です。
先日も移住予定の方を地域の役員会に連れて挨拶に行ってきました。仕事をどうするかは地域の人にとっても気になるところなので、事前に関ケ原町にある企業にお願いして、内定をもらってから行きました。ありがたいことに、企業の方も気持ちよく受け入れてくれました。
雨宮:うちのお店にも移住の相談に来られる方がいるのですが、伊藤さんに繋ぐと、がっちりハートを掴んでしまうんです。
同席されていた、地域おこし協力隊の勝川さん:
とにかく伊藤さんは熱量がすごいんですよ。自治会で「なんか面倒が起きたら責任持つから」と言い切るんです。
伊藤:いい人さえ来てくれれば、家主さんにも地域の方にも喜んでもらえますからね。
――その“いい人“というところ、つまり地域に馴染める人かどうかを見極めるのが難しいようにも思うのですが、何かポイントはありますか。
伊藤:基本的なことですが、会って話をすることを大切にしています。しっかりヒアリングして、自分がこの人ならと思える人であれば、できるだけ力になりたいと思います。隣の人にも挨拶しないとか、地域のことを全く考えない方が来てしまうと、小さな集落なのでコミュニティが壊れてしまう。だからその点には非常に気を遣っています。
都会に近い、日本の原風景
伊藤:このエリアには不思議な魅力があるんですよ。山、川、田んぼ、どこを捉えても、まさに日本の原風景。一度来るとファンになってもらえます。岐阜県外から来られた方の地元にはあまりこういう里山がないのか「近くにこんないいところがあるのか」と褒めていただくことが多いですね。
雨宮:僕は北海道出身なので、瓦屋根の日本家屋ってあまりなかったんです。だからこちらに来た時に、「まんが日本昔話」のような、心の原風景が広がっていて、なんだか落ち着くなあと思った。どこかに旅行に行っても、帰ってきたらなぜか落ち着くんです。
伊藤:都会に近いというところもポイントですね。どこに行くにも便利ですし。私も会社員時代は、岐阜県の羽島市や岐阜市、三重県の四日市市や滋賀県の長浜市、愛知県の尾西市まで通っていました。関ケ原駅か垂井駅まで車で出れば、朝の電車も座って名古屋まで出られます。ここは都会に近い、里山ですね。
雨宮:素晴らしい風景があって、そこにいい人がたくさんいる。本当にいいところに入れていただいて、幸せすぎます。東京では隣に住んでる人も知らないような生活でしたが、こちらはみんな家族みたいですごく安心感がある。夕立の時に洗濯物を入れてくれたりとか、野菜の交換とか、人との交流を楽しめる人にとっては最高だと思います。
伊藤:県境の町なので、元々職人や事業をやっている人が多い土地柄ですが、大学生が来たことをきっかけにたくさんの優秀な方が集まってきて、ますます面白くなってきていますね。私の活動のきっかけになった元学生の子たちとは今も繋がりがあって、時山祭りの時はみんな集まってきてくれます。
人との繋がりが大切にされている西濃・上石津。移住者側も、受入側も、お互い感謝の気持ちを持って接することで、良い関係を築いているのだと感じました。岐阜での暮らしが気になっている方は、「CAFEあめんぼ」を訪れてみてはいかがでしょうか。