興味の赴くまま「ものづくり」を続けてきた
神奈川県相模原市出身の繁昌孝充さん。父親の出身地が鹿屋市で、子どもの頃から鹿児島は夏休みや正月などに遊びに来る場所でした。
「家の裏が竹林で、竹を切ったり割ったりして遊びました。祖父母は家で牛を2、3頭飼っていたので、餌をあげたりもして。当時は普通の家庭でもあたり前のように牛を飼っていましたね。」
高校卒業後は美容専門学校で特殊メイクを専攻し、舞台の仕事に携わります。その後、転職して神戸の木工職人の元で働きました。メイクから木工への転身は意外なようにも思えますが、「手を動かして何かを作ることが好き」と、ジャンルは違えど、ものづくりへの尽きない興味がありました。それから、扱う木材のことをもっと深堀りしたくなり、山梨県小菅村の森林組合へ。
社会人として忙しい日々を送る中で、いつしか鹿児島からは遠ざかっていましたが、祖父が亡くなり祖母が一人暮らしになったこともあり、10年ぶりくらいに鹿屋市を訪れることになりました。
「せっかく祖母に会いに来たから、『もうこのタイミングでこっちに住んでしまえ!』と思いました。ちょうど、鹿屋市で初めての地域おこし協力隊の募集が出ていて。仕事内容がどういうものかはよくわかりませんでしたが、森林組合の仕事で田舎暮らしにはなじみがあったし、縁のある土地なので大丈夫だろうと申し込みました。」
鹿屋市で第一号の地域おこし協力隊の募集。自治体側もまだ手探りで「田舎の集落に入って活性化してください」というような、ざっくりした募集要項だったといいます。
実際暮らしてみると、鹿屋市は鹿児島市や空港まで90分前後と多少遠いものの、中核都市で病院や店、施設など必要なものはすべてそろっており、何も不便を感じることはありませんでした。
自分が持っている引き出しの中から何かをする
高隈地区という標高1,000メートル級の山々が連なるふもとの集落を拠点に、地域おこし協力隊として働き始めた繁昌さん。地域のイベント・行事のサポートや、自身の経験を生かした木工など、多岐にわたる仕事を手掛けていきます。
「ゼロから何かを生み出すのは難しいことなので、自分が持っている引き出しの中から何かをしようと思いました。地域おこし協力隊の目的や業務内容がはっきり定まっていない分、やりたいことができたように思います。」
任期中、鹿屋リノベーションスクールや南大隅町カヤックガイド養成講座にも参加。様々な人に関わることで、地域の魅力を深く知る機会を自ら増やしていきました。
「神奈川にいた頃から海が好きでしたが、シーカヤックを体験したのは鹿児島が初めてでした。カヤックを使って普段行けないような海の領域へ自分で行ける感覚がすごく新鮮で、たまらなく魅力的でした。」
サンセットタイムの海の上から見る夕焼け空の美しさは圧巻です。刻々と変わりゆく広い空の色、境界線が溶け合うような水平線、遠く望む桜島に開聞岳。陸地から見た海とはまったく違う世界が、そこには広がっています。
カヤックガイド養成講座同期の安藤誠さんとは、大隅半島でのマリンスポーツやアウトドアアクティビティを提案する「PADDLERS(パドラーズ)」を一緒に立ち上げ、現在はユクサおおすみ海の学校内のテナントを拠点に共に活動しています。
多世代が集まるユクサおおすみ海の学校
地域おこし協力隊の任期が終わり、友人と合同会社を立ち上げて地域の特産品開発や建築関係の仕事に携わっていた繁昌さん。ちょうどその頃、鹿屋市では、廃校になっていた菅原小学校をリノベーションして地域の拠点「ユクサおおすみ海の学校」に生まれ変わらせる計画が進行しており、メンバーに誘われて関わることになりました。
計画の中心は株式会社Katasudde。東京でリノベーションを手掛ける株式会社ブルースタジオと、鹿屋市で街づくりを中心に活動する株式会社大隅家守舎が合同で立ち上げた会社です。
繁昌さんがメンバーに加わった半年後の2018年7月1日に「ユクサおおすみ海の学校」はオープンしました。宿泊のほかテントを張ってのキャンプも可能。そして、カヤックやSUP、高隈登山、サイクリング、磯遊び、船釣りと、海と山のアクティビティを提供しています。さらに、大隅の食材を使ったレストランや海辺でのバーベキューなど、大隅半島の豊かな自然と食を満喫できる拠点となりました。
こうして、120年の歴史に幕を閉じて廃校になっていた菅原小学校の新たなスタートが切られました。菅原校区活性化協議会の代表を務める上薗勝己さんは、「ユクサおおすみ海の学校」ができる前の廃校の様子をこう振り返ります。
「昔は子どもたちの元気な声が響いていたこの土地も、通う子どもたちがいなくなると草がボーボーになって誰も寄り付かん。それを見てどこか情けなく思っていました。」
集団就職で大阪に出て、60歳までずっと大阪で暮らしていた上薗さん。鹿屋に戻ってきたときは浦島太郎状態で、人口が減り様変わりしている故郷に驚いたそうです。その後、菅原校区活性化協議会の活動に携わり、グラウンドゴルフ、しめ縄づくり、潮干狩り、軽トラック市など地域イベントの企画運営に尽力してきました。
「ユクサおおすみ海の学校ができたことで、また人が集まる場所ができました。若い人たちの発想、人を呼び込む力はすごいと思う。冬にキャンプをするなんて年寄りの誰も思いつかん(笑)。せっかくこうしてよみがえったから、この施設が続いていけるように、できることは協力して一緒に頑張っていきたいですね。」
現在、繁昌さんたちとはイベント運営等で協力し合うほか、一緒に、ユクサおおすみ海の学校内に産地直売所を作る計画を進行中です。
「地域の方たちとつながりを持って施設を運営していくのはすごく意識しているところです。地域とのつながりが、ここの魅力にもなり、人が寄ってくる理由にもなっています。大事にしていきたいですね」と繁昌さん。
ユクサおおすみ海の学校の校舎では、地元の年配の人たちがグラウンドゴルフを楽しみ、若い人たちがキャンプを楽しんでいます。世代も楽しみ方も千差万別で、ローカルらしさがあり、それがここの面白さでもあります。
人口減少、少子高齢化が進む大隅で
とはいえ、経営は決して楽ではありません。鹿児島県内でも特に人口減少、少子高齢化が進む大隅半島で、人も減り店もなくなっていくのは避けられない現実。1987年に大隅線が全線廃止されたため鉄道はなく、公共交通機関も少なく、「陸の孤島」といわれる土地です。
「一番収益が上がっているのは宿泊です。でも観光地ではないので、年中人が来るわけではないですね。施設を成り立たせていくためには年間を通して一定の人数に来てもらわなくてはなりません。どう魅力を感じてもらって、人数を増やしていくか、これからの課題です。とはいえ、まずは来てもらわないときっかけにもならないし、魅力もこちらが一方的に押し付けるものではなく、来ていただく中で自然に見つけて頂くものだと思っています。」
大人数を収容できるので、スポーツ合宿や、企業の研修などの需要にも対応しています。菅原小学校を卒業した人たちの同窓会が開かれたことも。合宿や研修、同窓会、観光で利用する人たちと、ゆっくり着実に関係性は広がっています。ワーケーション需要にも今後対応していく予定です。
今年は新型コロナウイルスの影響が大きく県外からの宿泊客が減りましたが、一方で鹿児島市を中心に県内から遊びに来る人たちが増えました。この場所でできることの可能性は、まだまだたくさんあると、繁昌さんたちは考えています。
続いて、行政の立場から関わっている、鹿屋市市長公室地域活力推進課の駒路秀樹さんにも話を聞きました。
現在、鹿屋市役所では町内会や地域のコミュニティに入って、地域の魅力や将来像を一緒に考える機会を作ることに注力しています。ユクサのスタッフも参加して、地域の魅力や課題を施設運営とどうつなげていくか、議論を重ねて試行錯誤しているそうです。
駒路さんは、災害時に道路が寸断されたら孤立する地域だからこそ、人と人の繋がりが必要だと話します。
「ワークショップは、回ごとに人が増えることもあれば、減ることもあります。でも残ってくれる人がいるのはすごくありがたいこと。こういう機会に普段は表に出てこないけれどすごい人たちに出会えるんです。人こそが地域の素晴らしさであり魅力だなとつくづく思います。人のつながりで、地域の課題がよくなる仕組みとか、みんながお金を稼げる仕組みとかできれば最高です。」
ローカルの魅力を昇華して、繋いでいく
「正直、海のレジャーだけで言ったら沖縄の方がよほどすごいかもしれません。そういうのではなく、自分がこの土地に来て感じたような、ローカルの魅力を体感してもらって、それが施設の魅力や地域のうるおいに繋げていけたらいいと思います。」
繁昌さんにとって印象的だった体験は「鬼火炊き」だそうです。真冬の寒い夜に、休耕している田んぼに櫓を組み、お守りや正月飾りを燃やして悪霊を追い払います。その周りで大人たちは焼酎を飲み、子どもたちは餅を焼きます。
そこから着想を得て、自身が携わった音楽イベント「WALK INN FES!」のプレフェスでは、竹のアーティストと竹を組み、「鬼火炊き」のように燃やしました。
「自分がローカルで体験したことや魅力を昇華というか、新たな形として表現していけたらいいなと考えています。」
日常の延長線上にある、昔から続く地域の暮らしの中にある面白さや魅力。その灯は少し弱くなっている現実はあるけれども、ささやかに守り繋いでいく。ここでのあたり前の生活の中に、大きな魅力があると繁昌さんはいいます。
「例えば関東に住んでいた頃は、買い物とかで出かける時には電車に乗って人混みの中に出ないといけませんでした。鹿屋市から鹿児島市へ行くときは、フェリーで移動するんですよね。気持ち的にすごくワクワク感があります。」
繁昌さんは協力隊を卒業した後に結婚。現在3歳になる娘と一緒にフェリーに乗り、鹿児島市の水族館によく遊びに行きます。
「これもひとつの地域の魅力だと思います。娘は喜んでいますが、ここで生まれ育っているので、特別なことではなくごくあたり前の日常なんでしょうね。」
最後に、神奈川、東京、神戸、山梨、鹿児島と興味の赴くままいろんな土地に住んできた繁昌さんに、鹿屋市への移住について聞いてみました。
「どこかへ行ったら絶対何かがある、絶対ここに住みたいって話は、なかなかないですよね。私はずっと海の近くに住みたい願望を持ち続けていましたが、結果的にここで実現できています。大隅半島や鹿屋に興味が湧いたら、まずはフランクに立ち寄ってほしいですね。ここは宿泊施設ですし、気軽に遊びに来てもらえたら嬉しいです。」
鹿屋市では、2021年6月から、新たな地域おこし協力隊を募集する予定もあるとのこと。協力隊を卒業して現在は「ユクサおおすみ海の学校」で活動する繁昌さんとも連携して、この地域コミュニティを一緒に盛り上げてくれる仲間を募集します。
詳細は鹿屋市のホームページ等で告知予定なので、チェックしてみてください。