世界中から音楽好きが集まる、レコードディスカウントの宿
2018年、ティピーは小さなアパートの一室を民泊施設として貸し出したのを契機にスタート。周辺の空き家を次々と改修し、現在は4棟から成るゲストハウスとして運営されています。
オーナーは隣町で生まれ育ち、小田原で青春時代を過ごした内田佑介さん。
音楽好きでバンドを組んでいた内田さんは、地元にレコード店がなくなったことをきっかけに、「もっと音楽に親しめる場所をつくりたい!」とさまざまなアイデアを模索し始めます。
市が運営する創業塾などで事業計画を立て、当時増えつつあった外国人観光客をメインターゲットに、宿泊時にレコードやCDを持参したゲストには割引をするレコードディスカウントを導入する宿をつくることになりました。
ティピーの開業は、タイミングとコンセプトがピタッとはまり、あっという間に世界中から音楽好きが集まる大人気の宿となりました。
コロナ禍での試行錯誤から生まれた小田原市内の事業者ネットワーク
2020年、開業から2年間順調に運営し事業を拡大してきたティピーは、新型コロナウィルス感染症の影響を真っ先に受けることになります。箱根や富士山に向かうインバウンド中心の顧客層だったため、先々に受けていた予約がどんどんキャンセルに。予約台帳が真っ白になる日が続きました。
内田さんは、急な状況の変化に戸惑いながらも、できることはなんでもやろうと宿の軒先で焼き芋屋をやったり、地元飲食店のテイクアウトを自前の自転車で運ぶサービス、スペース貸しや宿のデッキでのお昼寝プランを展開するなど、さまざまなプロジェクトを実施し、なんとか事態を打開しようと模索します。
そんな中、地元のゲストハウス運営仲間3人で公開型のオンライン会議をしたことが大きな意識の変化に繋がりました。
「外国人観光客だけでなく、小田原に興味があって、ここにわざわざ来て泊まってくれる人がいる。世界中から小田原に来て、そのまま気に入って長く滞在してくれる人は、何が理由だったんだろう? そう考えたときに、僕らは実はまだ十分に小田原のまちの魅力を知らないんじゃないか、と思ったんです。もっと地元のことを知ることこそ、今の自分たちがやるべきことじゃないか、と気づきました」
参加者が60名を超えたこともあったというこの公開オンライン会議は、2020年夏から秋ごろまで定期的に行われ、運営仲間のつながりが強まって一体感が生まれただけでなく、小田原や近隣地域の飲食店や地元の産業を担う企業などとも縁がつながっていきました。
その後、「地元を旅しよう」の掛け声で、インバウンド向けに開催されていたサイクリングツアーに地元の有志で参加したり、内田さんもまち案内の徒歩ツアーを行うようになります。そうした活動を聞きつけた地元の旅行会社とも繋がり、共に観光コンテンツをつくる仕事に関わるなど、まちを多面的に捉える目が自然と育てられていきました。
小田原市と連携したお試し移住プログラムは移住実現率4割超に
また、「観光できないこの時期、ティピーにできることは?」と考える中で出てきたのが、ゲストハウスを使って個人や家族でお試し移住してもらう試みでした。コロナ禍でテレワークが広がり、東京から近い関東圏への移住希望者も増えるなか、移住を検討している方に、宿で2泊3日、自由に過ごしていただき、期間中に2時間程度、内田さんと一緒に小田原のまち歩きをするというものです。
このお試し移住の宿泊プランを小田原市の移住定住推進担当の方に紹介し、市に問い合わせがあった移住検討者に案内してもらいました。このプランが移住希望者の間で大好評となり、宿の経営状況も少しずつ改善していったのです。
このプランは、開始から現在までの約半年間で50組近くが利用し、約4割の人や家族が実際に移住を決めたというから驚きです。
このお試し移住プラン、どうしてそんなに評判がよく、移住決定の決め手になるのでしょうか?実は内田さんが行うまち歩きは、今まで観光に来ていた人に案内していた場所と変わっていないそうなのです。ではいったいどうして?
「僕が歩くとだいたい知り合いにばったり出会うからでしょうか。まち案内をするとほぼ毎回、知り合いや移住の先輩たちとすれ違う。レストランやカフェ、道を歩いていてそのまま立ち話をすることも多いです。そうすると、移住に際して疑問に思っていることを、お試し移住の方が相手に直接質問できるんですよね。最近はお試し移住がきっかけで移住した人も増えたので、会うと移住の経緯や出身地の話、保育園や学校は?なんていうリアルすぎる声を、僕が介在しなくても聞けるわけです」
お試し移住のまち歩き案内は、日を追うごとにクオリティが上がっていったと内田さんは話します。既に移住した人が市内にたくさんいて遭遇率がどんどん上がっていく。まるでロールプレイングゲームで歩き回る度に、キーパーソンに情報をもらってゲームが進むような、そんな感覚になってきたそう。地元の人やちょっと先輩の移住者にわざわざ話を聞きに行くのではなく、偶然ばったり出会うそのハプニング性もまち歩きの面白さに繋がっているのかもしれません。
実は先日ココロココの記事でご紹介した横山さんもまた、このお試し移住プランを利用して移住を決めたご家族です。
⇒コロナ禍で決めた小田原移住。夫婦でハードな仕事を継続しながら、豊かな家族時間を楽しむ横山遼さんの心地よい暮らし
実際、移住者が増えている自治体の関係者にお話を聞くと、いかに移住前にそのまちの知り合いをつくれるか?まちの人と繋がるきっかけをつくってあげられるか?が、その後の移住定住への大きなキーポイントなのだそう。その役割をしっかり認識して活動している内田さんの存在が、お試し移住から本格移住への成功率の高さにつながっているのではないでしょうか。
このお試し移住プログラムは、内田さんにとっては、ゲストハウスの空室対策であり、自分自身が小田原のまちをよく知り、魅力を伝える技術を磨く機会にもなっています。一方、小田原市としても、シティプロモーション効果と移住定住促進につながっており、双方にとって、まさにwin-winの関係が築かれています。
ひとりの移住希望者からはじまった若者支援プロジェクト
2021年春、お試し移住プログラムに1人の大学生から申し込みがありました。 参加者は東京都内在住の大学3年の男性。通常は30〜40代の家族の利用が多いプログラムに、大学生が単身で申し込みをするのはどうしてだろう?と内田さんがたずねてみたところ、意外な需要があることがわかりました。
それは急激なオンライン授業の増加による社会接点の減少。
彼は「大学構内に行くのは今もゼミ活動程度。来年には就職活動が始まり、社会に出て行くことになるけれど、このままレールに乗ったかのように進んで行っていいのか?という疑問をもった」というのです。
オンラインでも授業に出られる今、彼は都内から近い小田原移住も視野に入れて、「何か自分が社会と関わるきっかけになるのではないか?」と感じ、お試し移住プログラムに参加を決めたそう。
話を聞いた内田さんは、「もしかして同じように感じている若者が他にもいるのでは」と考え、若者限定の「ティピーのローカルキャンパス」という企画を立ち上げることにしたのです。
これは、何かを始めるきっかけや人との繋がりを求めている20代の若者に、交流の場と学びの機会を提供する1年間のプログラムで、1ヵ月に1回、宿に泊まる権利と、小田原で事業を行う大人の話を聞く「ご近所さん制度」を通して、自分達でまちと関わるプロジェクトを作り、何らかの行動を起こし、最後に、まちの人たちの前で発表するというものです。
まるで地元主催の大学課外ゼミのようなこの企画は、首都圏在住の学生を中心に、地元小田原からも3人の参加者を加えて、総勢10名のメンバーでスタートしました。
参加者ごとに温度差はあるものの、毎月1回以上通う学生もいるなど、プロジェクトは順調に進んでいるようです。この企画を内田さんと共に考えたという移住歴半年のスタッフ東條さんも、今は小田原住民側の立場になっている自分に驚きつつ「彼らの気持ちはよくわかる。自分がこの半年で築いた人脈もどんどん紹介して、彼らと近い存在として関係性をつないでいきたい」と話してくれました。
広い視野でまちとつながり、小田原を愛する仲間を増やす
以前は、世界中からゲストハウスに訪れる旅人をおもてなしするので精一杯だったという内田さん。コロナ禍を経て今は、地元のネットワークが広がり、移住や若者など旅人以外の目線に気づき、自分たちももっと深くまちを知ろうと考えるようになりました。この経験が、これから先、宿に戻って来るゲストへの案内にも活かせるだろうと意気込みます。
「小田原へ移住する人が増えたら良いなとは思っていますが、何より「小田原を愛する人」が増えて、楽しい仲間がどんどん加わっていけば嬉しいですね」
自分の住んでいる地元が好き。そういったシビックプライドを高めることが、まちの魅力を引き出すことにつながります。にも関わらず、実は地元の人ほど地元を知らないものです。内田さんは、コロナ禍がきっかけでそれに気付き、地元を深く知ること、ウチとソトをつなぐ活動を広げることで、小田原を愛する仲間を増やしていこうとしています。
ティピーでは、ひとり旅からご家族の貸切まで、さまざまな宿泊形態に対応しています。興味が湧いた方は、ぜひ小田原にふらりと泊まりに訪れてみてください。