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2022年12月23日 清水美由紀

伊良部島の自然から素材とインスピレーションを得てアクセサリーをつくる「ORSA」の下地華恵さん

プリミティブで、自然界を思い起こすようなモチーフや素材。身に付けていると肩の力が抜けて「自然体でいられる自分の心地よさ」を感じさせてくれる。
そんなアクセサリーをつくっているのが、大阪出身で現在は沖縄県の伊良部島に暮らす「ORSA」の下地華恵さんです。
伊良部島は、2015(平成27)年に宮古島本島から伊良部大橋で繋がった、宮古島諸島の中では二番目に大きな島です。サトウキビ畑の広がる素朴な島での暮らしや、製作についてお話をお伺いしました。

全部、タイミングが運んでくれた

大阪で生まれ育った下地さんが、宮古島と出会ったのは20代初めの頃でした。

「就職する前に沖縄に住んでみたい」という気持ちから、住み込みのリゾートバイトをすることになった下地さん。アルバイトはすぐにやめてしまったそうですが、半年だけ住むつもりで宮古島の新聞社に就職をしました。

「元々建築系の勉強をしていたので、半年だけ住んだら建築関係の仕事に就くつもりだったんですが、沖縄に強くはまってしまったんです。結局その新聞社に勤めながら、3年間を宮古島で過ごしました」

宮古島での生活を満喫し、充分楽しんだと感じた下地さんは、関西に戻り、京都にあるセレクトショップで働くようになりました。新しい商品や流行を追いかける刺激的な日々を過ごし6年半が過ぎた頃、東京への転勤の話が出ました。

「嫌じゃないけど、しっくり来ない」という気持ちを持て余し、ある男性にそのことを打ち明けたのだそう。

ORSAさんのアトリエには、自然物や民藝の品々が並ぶ

「宮古島の新聞社で働いてた頃に出会ったのですが、当時7年くらいの遠距離恋愛を経ていて、付き合ってるのかどうかよく分からないくらいの状態でした。でも、私のことをよく理解してくれる人だったので、何かあった時には相談をしていたんです。それで、東京に行くかどうかというタイミングで話をしたら、『宮古島に遊びに来たら?』と言ってもらって。それで宮古島に戻ってきて、そのまま居着いちゃったという感じです。もう本当に全部、タイミングが運んでくれたんですよね。だって、永住は絶対しないと思ってたので、最初は戻ってくるのも少し抵抗があったんですよ」

暮らしの変化の中で「自分を表現したい」という気持ちが強くなった

7年ぶりに宮古島に戻り、看板屋さんに勤務して、デザインのお仕事をするようになった下地さん。ひょんなことからアクセサリーを作り始め、知り合いの美容室で販売させてもらうことになりました。

「当時は本当に簡単なものを作っていました。ビーズを通すだけ、みたいな。今よりも、流行を取り入れたポップな雰囲気でしたね」

そして、少しずつ、オンラインショップでの展開も始めます。

けれど、お子さんが生まれ、伊良部島にある旦那さんのご実家での同居が始まり、下地さんの生活は大きく変化していきました。暮らしのこと、仕事のこと、そして子育てとの両立…。

製作中の下地さん。作りたいものを形にするためにその都度必要な技術を身につけてきた。

「産休中だったのですが、自分の世界観というか、自分の中の何かが減っていくような危機感がありました。自分の核がなくなって行くような怖さを覚える、というか」

常に雑誌やお店をチェックして、店舗で何を扱うべきか、トレンドを追い求める生活から一転した、宮古島での暮らし。京都のセレクトショップで働いていた頃に自分の心を満たしていた何かを、宮古島に来てから失ってしまったように感じたといいます。

製作途中のアクセサリー。真鍮を叩いて作るアクセサリーはORSAさんの代名詞のような存在

「元々は、作るよりも、買ったりセレクトする方が好きだったんです。だけど、こっちではセレクトする場所もないから、デザインに飢えていたというのもあったんですね。そもそも、宮古島に来てからは、あんまりおしゃれする場面もない。私はもうあの世界には戻れない…というか。子供が生まれたのもあって、余計に自分のやることが制限されていく感じがしてしまって。それで、自分を表現したいという気持ちが徐々に強くなっていきました」

伊良部島にきて、人に甘えられるようになった

そして、ついに大きな決断をします。

「子供が生まれてからも、2年ほどは看板屋さんで働いていたんですが、とっても忙しい職場で、残業も多かったんです。10年後の自分の姿を想像した時に、このままでいいのかなと考えるようになったんです。せっかく宮古島に戻って来たのに海にも全然行っていない。これって自分にとって、いい暮らしじゃないなと思って…」

その頃には、つくったアクセサリーがオンラインでちょこちょこと売れるようになっていたこともあり、「ダメだったら仕事なんかいくらでもあるから、ひとまずやってみよう」と決意をして、会社を退職。2017年から、本格的にアクセサリー作家としての活動を始めました。

最近ではアクセサリーに留まらず、インテリア雑貨の製作も増えている

伊良部島で、アクセサリー作家としての暮らしが始まってから、下地さんにはどんな変化があったのでしょうか。

「伊良部島の人って、本当にみんな裏表がないんです。すごく距離が近いので、みんな家族や親戚みたいな感じなんですよ。最初は、みんなよくしてくれようとするのが、ちょっと重いなと思ってたんですけど、甘えられるようになってからは楽になって、子供も育てやすくなりました」

人に甘えるというのは、意外に難しい。「ひとりでなんでもやりなさい」「できないことがあるなんて恥ずかしい」そんな教育を受けてきているのだから。下地さんは、人に甘えられるようになったきっかけを、こう話してくれました。

「以前、車で事故をしてしまったことがあったんです。幸い怪我人が出るような事故ではなかったんですが、反射的に怒られる、迷惑かけちゃうと思って心配しました。でも、まわりの人たちが、本当に私のことを第一に考えてくれて、そのことにすごく愛情を感じたんです。甘えてもいいんだなと思えるようになってから、相手もより受け入れてくれるようになったなと思います。伊良部の人って、まわりに付着する外側の部分じゃなくて、本質を見てくれてる感じがして、だから甘えられるのかもしれません」

伊良部の自然から、素材とインスピレーションをもらって作品に

「静かで、環境も良くて、海もすぐそこにあって、もう伊良部島以外住めない」と話してくれた下地さん。早朝、太陽が昇る前に近所の浜へ行き、散歩をする。波紋を見つめたり、ビーチコーミングをしたり。創作のイマジネーションは、大抵海からもらっているといいます。

下地さんがよく散歩する、渡口の浜

水の流れる感じを表現したくて作ったピアスや、貝殻の型をとって金属を流し込んで作ったピアスなど、伊良部島の身近な自然からヒントを得た作品も多くあります。最近では、宮古島で昔から使われている芋麻(チョマ)という繊維も取り入れるようになりました。大半が、ひとつとして同じものはない、世界にひとつだけの作品です。

「以前は、同じものを作れないのがコンプレックスだったんですけど、今はそれが1番いいんだなって思ってやっています。作り手の雰囲気が残っているものを作りたくて」

貝殻や珊瑚の型をとって金属を流し込んで作ったピアス

自然からインスピレーションや素材をいただき、手を加えて、誰かの手元へ届ける―。なんて素晴らしい循環なのだろう!そう思い呟くと、下地さんはこう続けました。

「この伊良部島自体が、循環の場所なんだなって私も感じています。子供は宝と言う言葉も大切にされていて、子供を見かけるとすぐにお小遣いをくれます。多分、元々すごい貧しい島だったんですよね。だからこそ、豊かさを共有することや、分け与えることが当たり前で、みんなで循環して助けあっていこうという考えなんだと思います。何かをしてもらってもお返ししないのが当たり前。その代わり、他の誰かにやってあげなさいという感じなんです。都会で生きてきた私にとっては、目から鱗です」

下地さんがよく散歩する、渡口の浜

信仰や神話を身近に感じる。伊良部が持つエネルギー

そして、島の持つエネルギーについても話をしてくれました。

「伊良部島には、御嶽(うたき)といわれる信仰の対象がたくさんあって、義理の母は、その御嶽のお世話をする”ツカサ”という役割でした。日常で、そういう神様の話をよく聞いているからなのか、伊良部はどこか守られているような感覚を受けるんです。自然の神様なのか分かりませんが、歩いているだけで、そこかしこに気配を感じるというか。私はスピリチュアル的に何か見えるというのは全くないのですが、なんとなく楽しそうな雰囲気やエネルギーがある感じがしています。波長が合うというか、この島の雰囲気が好きなんですね。だから離れられない」

アトリエの風景。民俗学が好きな下地さんらしいアイテム

元々、民俗学や神話が好きだったという下地さん。伊良部島での様々な慣習は、独学で勉強していた民俗学や神話の世界に通ずるところがあると感じていて、ORSAのアクセサリーにも、神話から取った名前をつけることも多いのだとか。そもそも、ORSAという名前は、ラテン語で「全てのものの始まり」という意味だそうで、プリミティブな感じを大事にしている下地さんのアクセサリーによく似合います。

アトリエの本棚

「行き詰まった時や、アイデアのヒントが欲しい時は、よく古代の装飾品やメキシコの模様の本を見たりします。すごくかっこいいんですよ。大阪のような街だったら、歩いているだけでものすごい情報が入ってきて、真似するつもりがなくても、似たようなものを作ってしまうかもしれません。きっと、影響を受けやすいタイプなんです。伊良部島の暮らしでは、自然が一番のインスピレーションの源で、本当に、自然からたくさん恵んでもらってるなあって感じます」

20代のときに描いた夢が今と重なる

現在、ORSAのアトリエ兼ショップのリニューアルオープンを目指している下地さん。心の奥底で生まれた違和感を無視することなく、その都度大切に向き合って、より自分の心地よい暮らし方や働き方のバランスをとっているように見えます。

20歳ぐらいの時に描いた下地さんの夢は「世界中を旅して、いろいろな土地でパーツを買って、自分で組み合わせてアクセサリーをつくる。それで食べてく」というものだったそう。

アトリエの入口にて

「まだ世界にはそんなに行けてないけど、あ、今の夢と一緒だと思って。ようやく帳尻があったんだ、ようやくスタートライン立てたんだなって思ったんです。条件が整うにはタイミングがあって、ある時にはできなかったことが、ピターっとできるようになるみたいなことって、あるんですよね」

タイミングや条件が揃う。それは、運や単なるラッキーではなくて、下地さんのように、自分の心の声に耳を傾けながら、今できることを積み重ねてきた結果なのかもしれません。現在準備中のアトリエ兼ショップは、来年3月頃にオープン予定とのこと。

伊良部の自然からのパワーとインスピレーションが込められた「ORSA」のアクセサリーが気になる方は、ぜひオンラインショップやSNSをチェックしてみてください。

HP → https://accessories-orsa.com
Instagram→@accessories_orsa_

取材先

「ORSA」 下地華恵さん

大阪出身で、現在は沖縄県伊良部島で活動するアクセサリー作家。アトリエ兼ショップは2023(令和5)年春に向けてリニューアルオープン準備中

住所:沖縄県宮古島市伊良部字伊良部107番地
営業日:不定休

HP: https://accessories-orsa.com
Instagram:@accessories_orsa_

清水美由紀
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清水美由紀

清水美由紀フォトグラファー。自然豊かな松本で生まれ育ち、刻々と表情を変える光や季節の変化に魅せられる。物語を感じさせる情感ある写真のスタイルを得意とし、ライフスタイル系の媒体での撮影に加え、執筆やスタイリングも手がける。身近にあったクラフトに興味を持ち、全国の民芸を訪ねたzine「日日工芸」を制作。自分もまわりも環境にとっても齟齬のないヘルシーな暮らしを心がけている。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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