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2016年1月6日 山田智子

【まいばら みらいつくり人#3】「器をつくるだけでなく、つながりをつくっていきたい」〜暮らしの色に染まる器をつくる・陶芸家・市川孝さん〜

まいばらの魅力を発見し、新たな民藝創生に挑戦しようという作り手、「水源の里まいばら 民藝創生みらいつくり隊員」を募集している滋賀県米原市。

地元・米原市出身の市川孝さんは、自然豊かな伊吹山麓の工房で、使う人を思いながら丁寧に器をつくる。器やお茶、料理を通したつながりは、米原から世界へとゆっくり広がっている。

日本中をまわって感じた、ものづくりの魅力

──市川さんは米原のご出身ですよね。

はい、ここが実家です。1999年に地元に戻ってきて、窯を作ったり作業小屋を作ったりして、販売を始めたのは2000年です。

元々美術の方向に進みたいと考えていて、高校で教育系に進めば美術の勉強ができると聞き、北海道教育大学に進学しました。その時に北海道を2年かけて回って、アイヌの彫刻家の方や染の人など美術関係の色々な方に出会いました。それまでは「美術=絵」という目しかなかったのですが、彫刻やデザイン、陶芸など様々なジャンルがあるというのが分り、さらに色々な作り手の生き方を知って、美術の世界の魅力をより強く感じるようになりました。

──大学院を卒業後、一度滋賀に戻られたそうですね。

1年間母校で教員をしたんですが、ものづくりでやっていきたいという気持ちが強くなり、滋賀のものづくりに関わる方に話を聞きにいきました。当時は木彫をしていたので欄間彫刻の方に話を聞いてみたり、長浜のガラスに行ったり、陶壁の会社を受けたりしました。しばらくして、信楽の古谷信男さんの製陶所で働かせてもらうことが決まり、最初は土づくりなどの裏方の仕事をしながら、夜中に自分の作品づくりをして、技術を身につけていきました。

3年働いて伊賀で独立したのですが、あらためて陶芸という目で全国を見てみようと、気になる陶芸家の方を回ることにしました。その過程で出会った和歌山の森岡成好さんに弟子入りするのですが、そこは陶芸もすばらしいのですが、暮らしもとても豊かで、魅力があり、仕事も遊びも色々なものが気持ち良かった。弟子がまかないを作るので、料理のことにも興味が出てきて、ただ単に食器というものを作るのではなくて、その周りのことにも魅力があるんだなと学びました。

使う人の暮らしを想い、生まれる器

──使う人の暮らしを意識したものづくりは、その経験が原点だったのですね。

使うことを意識して、少しだけ工夫してものを作ると、新たな価値が生まれてきます。自分は魚や麺類が好きだったので、最初は面鉢やお寿司1パック分がのるお皿を作りました。
するとそれを見た料理人の方から「カウンター越しに出すので、もう少しグリップがしっかりしていた方がいい」とか、「カルパッチョをのせたい」など具体的なイメージをいただいて、それが新しい刺激となって、次の制作のモチベーションになるんです。

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──それぞれの作品には、それを使う誰かの存在があるということですね。

そうなんです。それぞれの作品には作るきっかけや、なぜこの形をしているのかというストーリーがあります。ものが出来上がるまでの背景を知ると愛おしさが増すと思うので、できるだけお客様にダイレクトに、つまり行商スタイルでお届けしたいと考えています。
今は月に1度のペースで個展を開催していますが、展示会ではなるべくその場で料理をしてもらい、お客さんと一緒に料理を食べながらストーリーを伝えています。そうすることで、作品の味だけではなく、もう一つ別の味わいを感じていただけると思います。

なるべく自分自身のココロの“旬”をお届けしたいので、焼きたてを車に積んで走ります。ここの良さは、交通の便が良くてすべての方向に動きやすいところ。フェリー乗れば九州にも北海道にも行けるし、東京は半日、大阪と名古屋に1時間くらいで行くことができます。空港も関空も中部も使えるし、すごく便利です。

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自分が想定していなかった使い方をお客様に教えていただくこともあります。耐火の皿を作った時は、私自身は鍋のような使い方をイメージしていたのですが、それを見た料理人の方が炒めものをしたり、ケーキを焼いたり、逆に冷やしたりして使ってくださいました。使うことでしか見えてこないことがたくさんあります。

特に耐火のお皿や土瓶は、使うことでその人の暮らしの色に染まって、本当にいい“顔”になっていく。骨董品もそうですが、やはり器は使い込まれることに魅力があるのだと思います。

お茶や料理を通じて、世界がつながる

今チェコの陶芸家、マルティンさんが家に滞在していて、工房で制作をしているのですが、きっかけは「台湾茶」でした。耐火の皿を作ったことで、耐火の土瓶ができて、それを台湾のお茶の先生が気に入ってくださり、台湾で個展をすることになりました。そこで台湾茶のおいしさに目覚めて、お茶とお花、お菓子の方と一緒に「茶菓花器事(ちゃかきごと)」という遊びを始めたのです。それをチェコでマルティンさんが見ていてくれて、交流が始まりました。

こんなふうに出会いがつながっていくと、一生懸命に器をつくるだけでなく、お茶や料理を通してつながりをつくっていきたい、どう伝えるかも考えていきたいなと思うようになりました。

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──米原の自然が作品や暮らしにインスピレーションを与えることはありますか。

山奥に薪の窯を持っているんですけど、そこは谷間ですごくきれい。猿や鹿や、ししもいる。電気が来てないので、夜は真っ暗になって、目の前の火だけを見ていると、沢の音や風の香り、動物の鳴き声を感じられます。山奥で茶碗や壷を作っていると本当に気持ちがいいし、お茶を始めて水のおいしさも実感しました。もうひとつの窯の周辺にはホタルが飛んでいるので、見ていてホッとしますね。

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でも同じようにきれいな場所は日本中にたくさんあります。高村光太郎さんの「内にコスモスを持つ者は、世界の何処の辺遠に居ても常に一地方的な存在から脱する」ではないですけど、目の前の美しいものに気がつけるかどうかが大事だと思います。米原には、その(美しい)素材はたくさんありますよ。

取材先

陶芸家 市川孝さん

滋賀県米原市生まれ。北海道教育大学卒業。大学を卒業後、滋賀県に戻り一年間の教員生活を経て陶芸の道へ進む。

山田智子
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私が紹介しました

山田智子

山田智子岐阜県出身。カメラマン兼編集・ライター。 岐阜→大阪→愛知→東京→岐阜。好きなまちは、岐阜と、以前住んでいた蔵前。 制作会社、スポーツ競技団体を経て、現在は「スポーツでまちを元気にする」ことをライフワークに地元岐阜で活動しています。岐阜のスポーツを紹介するWEBマガジン「STAR+(スタート)」も主催。 インタビューを通して、「スポーツ」「まちづくり」「ものづくり」の分野で挑戦する人たちの想いを、丁寧に伝えていきたいと思っています。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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