震災前には、クラインガルテン(滞在型市民農園)を作るのが夢だった
「生木葉ファーム」代表の佐藤良治さんは、震災以前からこの地で有機農法を使った野菜栽培を行っており、農作業体験や収穫体験を通して、「農業の大切さ、楽しさ、大変さ」を伝えてきた。震災前、直売所にはなじみのお客さんが訪れ、市内の保育園にも野菜を納品するなど、「安心・安全な野菜」という面でも高い評価を得ていた。
2011年の始まりは、佐藤さんにとって、希望の年の始まりだった。農場では新たにクラインガルテンとして整備する計画が進み、7棟の滞在施設が作られるということで、胸は期待に満ちていた。
「農園全体をクラインガルテンにするっていう話は、震災の前の年に立ち上がりました。都会の人が来て、宿泊もできて、その周りに畑があるというものですね。でも震災が起きて状況は一変しました。放射能の影響で首都圏の方が来ることは無くなって、計画も白紙になりました。」
佐藤さんの苦しみは、クラインガルテン計画の頓挫だけではなかった。
「この直売所は平成20年ぐらいに作ったもので、震災前には一緒に住んでいた娘がクッキーなども焼いてくれていたんです。娘は震災の年の4月に出産予定だったんですが、震災で産院が閉鎖してしまって。福島県内では出産できるところが無くなってしまったもんだから、県外に避難してしまったんです。今は孫も2歳になっているんですが、まだ戻ってきていません。」
そう語る佐藤さんの眼はどこか寂し気だ。震災によって夢も、畑も、家族との暮らしも、大きく傷付けられてしまったのだから、その切なさを計り知ることはできない。
3か月をかけて、100人以上のボランティアと一緒に除染をした
震災後、放射能問題で福島県の農産物は市場に拒絶されるようになり、佐藤さんが手塩にかけた農産物も、破棄するほかは無くなってしまった。
「何とかしないといけないと思いました。だから畑の土についても、ほかの農家が取り組む前から、全部手作業で、表層から15センチを除染したんです。除染は震災の年の6月から9月まで、のべ100日かかってやりましたね。ボランティアの方にも沢山来てもらいました。うちでの寝泊まりと食事付きなんですが、絶えず、8人くらいの方が来てくれていました。」
除染には補助金が出るというケースが一般的だが、佐藤さんの場合は、「自主的な除染」に該当したため、補助金は一切もらえなかったという。しかし、「安心・安全には代えられない」と、佐藤さんは誰よりも除染を急いだ。
「せっかく何年もかかって有機土壌を作ったものを、除染で全部剥がしてしまったので、予想以上にきつかったですね。野菜の出来が全然違うんです。除染が終わってから2年が経ちましたけれど、まだ土は(震災前の水準まで)戻っていないですね。」
自慢の「ぼかし肥料」で、新しい“土づくり”に取り組む日々
佐藤さんの農園の一角には、プラントのように機械が並んでいる一角がある。脇には小さなハウスがあり、中に入ると、茶色く柔らかそうに盛られた土から、ぷんと有機肥料の香りが立っている。これが、震災前から続いている、生木葉ファーム自慢の「ぼかし肥料」(発酵有機肥料)だ。
「これがうちの唯一の肥料なんですよ。おから、粉ぬか、もみがらなどを土に混ぜて作っています。有機栽培というのは、微生物を活性化して、作物が“住みやすい”環境を作ってあげることが大事なんです。発酵していない有機質肥料はお店にも売っているんですが、それでは作用が強すぎる。こういうちょっとソフトで、微生物が中に混入している肥料というがちょうどいいんですが、お店には売っていないので、自分で作るしかないんです。」
佐藤さんのぼかし肥料は、肥料成分の濃度よりも、「いろいろな種類の微生物を住まわせること」を大切にしている。微生物はデリケートなので、しっかりと温度や水分をコントロールしてあげなければ育たないが、佐藤さんの几帳面で真面目な性格が、この肥料づくりにも生かされている。しかし、震災を経てこの肥料づくりにかける手間も変わった。
「震災前までは落ち葉を集めてきて、そこに粉ぬかをかけて腐葉土を作って、この肥料に混ぜていました。落ち葉にはもともと沢山の菌がいるので、それだけで良かったんです。でも震災後は腐葉土が(放射能の影響で)使えなくなったので、今では乳酸菌、酵母菌(イースト菌)、飲むヨーグルト、EM菌などを配合して発酵させて、肥料に振りかけています。これが腐葉土の代わりなんですね。大変ですが、しょうがないです。」
新しい仲間との出会いが、農業を続けるチカラになっている
震災と原発事故を経て、佐藤さんの農業は振り出しに戻った。土地は痩せ、農産物は売れず、手間ばかりが増えてしまったが、佐藤さんは自分が信じた農業を諦めることはせず、黙々と、「できること」を進めている。そのチカラの源になっているのは、一緒に頑張っている仲間や、応援してくれる人々だ。
「『ine』の北瀬さん(北瀬幹哉さん)とは震災前から一緒にやっているけれど、彼が来るようになってから、野菜に“別の味”が出てきたんですよ。それに震災後、『ine』に萩さん(フランス料理店『Hagi』の萩春朋シェフ)が参加してからは、考え方も変わりましたね。
今までフランス料理なんて全然知らなくて、野菜は焼くだけで何も味を付けないで、本来の味を出せたらそれでいいんじゃないかな、って思っていたけど、萩さんが(調理を)やったら、これがうまいんです。『うめえよな、これどしたんだ?』って思わず聞いちゃったくらい。蒸し焼きなんかはすごく美味しいんですよ。でも、聞いたら味付けは塩だけだって。」
佐藤さんにとって、萩さんとの出会いは衝撃的だったという。プロの料理人が佐藤さんの野菜を評価して、見た目も味も素晴らしい料理に仕立ててくれて、その料理を、東京から来たバスツアーの人々が「美味しい!」と感動して味わってくれる。それが、佐藤さんの「新しい生きがい」となった。
今では、ボランティアに参加した若い人々や、バスツアーに参加した都会の人々からも、「宅配で野菜を送ってほしい」という要望が寄せられてくるようになったという。一方では、萩シェフの人脈で首都圏のレストランや結婚式場とのパイプも生まれ、震災前以上に、佐藤さんの野菜の販路は広がりつつある。
「生木葉ファーム」にはいま、屋根に大規模なソーラーパネルを設置した、新しい建物の骨組みが作られており、ツアー客の見どころがさらに増えそうだ。
「都会からバスツアーで来た人みんなに、うまいって言って食べてもらうと、『よしまた作るか!』って思うんですよ。だからとにかく、沢山の人に来てもらいたい。」
そう言って笑う佐藤さんの顔には、震災と原発事故という試練を、仲間とともに前向きに乗り越えていく力強さが感じられた。