移住体験ツアーとは違う1泊2日のプログラム、岩手初開催
青空が広がり、春の訪れを感じる3月12日、岩手では初開催となる「MEET UP IWATE」が行われました。今回のフィールドは紫波町。人口は約3.3万人ですが、半径30キロ圏内の市町村をあわせると60万人まで増えるという特徴があります。りんごやぶどうを始めとした果物の栽培も盛んで、ぶどうの生産量は県内一を誇ります。
今回のプログラムで参加者の活動拠点となるのは「オガールプラザ」(写真上)。地方創生のモデルケースとして紹介されることもある施設です。紫波中央駅(JR東北本線)の目と鼻の先にあり、ゆったりと作られた敷地内には産直や図書館、子育て支援スペースが併設され、地産地消がテーマの飲食店や地元企業がテナントとして出店しています。周囲には宿泊施設や運動場、町役場のほか、新興住宅地として家々が並びます。最近では盛岡や花巻のベッドタウンとして、若い家族にも人気の町です。
プログラムには県外在住の11人が参加。冒頭、運営を担っているNPO法人wiz(以下wiz)の黒沢さんから、「このプログラムは移住体験ツアーとは異なります。紫波町や岩手に対して、参加者それぞれが、外から地域にかかわるためのきっかけ、いわば“すきま”を見つけてほしい。」と、このプログラムの主旨が説明されました。その後、wizスタッフがファシリテーターとなり、参加者間の自己紹介に移りました。
「地元に貢献したいので、今回のプログラムを通じて地域への関わり方を見つけたいと思っている。」 「いずれ岩手にUターンを検討しているけれども、まだこれといった仕事が見つからない。今岩手でどんな働き方があるのかを聞いて参考にしたい。」 「地域おこしに興味があり、その地域の人と取り組みについてもっと知りたい。」
参加者11人のうち5人は県外出身者でしたが、これまで岩手県を訪れたことがあったり、仕事を通じて岩手に接点があったり、出身者も含めると、ほとんどの参加者は何らかの形で岩手に縁がある人でした。
少量多品種と熟成を機軸にじゃがいもに特化。ポテトメニュー専門店を仕掛けた髙橋和久さん
オガールプラザの産直内にあるポテトメニュー専門店「ポテトデリマメタ」の店長・髙橋和久さんは、紫波町出身の28歳。ご実家は農業を営む株式会社高橋農園で、じゃがいもを中心とした農産物のほか、お餅や弁当、総菜などの加工品製造にも取り組んでいます。父の淳さんによると「農業を継いでほしいと言ったことはない」そうですが、和久さんは紫波町の農業高校を卒業後、調理師専門学校に進学。食の道に進み、青森の菓子店で勤務していましたが、淳さんがオガールプラザの産直に出店するのが決まったことを機にUターン。出店を任された和久さんは、自身のあだ名「まめた」を活かして、「ポテトデリマメタ」を始めました。店頭では複数の品種のじゃがいもが並び、好みの個数で買うこともできます。
マメタのフリットは、車で30分ほどの盛岡市内の商業施設でもイートインメニューとして提供されていて、知名度も徐々にあがっています。和久さんによると販路拡大の秘訣は、機会があればどんどん外に出ていくこと。県内のイベントに出店しているほか、紫波町や近隣の若手農業者と共同で、月に一度、盛岡市でマルシェイベントも始めました。
「じゃがいもというと新じゃがが好まれますが、熟成したじゃがいももおすすめです。収穫してから貯蔵室で一定期間寝かせると、甘みが増します。芽が出やすくなりますが、きちんと芽をとってもらえれば、時間が経過したじゃがいものほうが味わい深いと思います。」
じゃがいもの産地としては真っ先に北海道が思い浮かびますが、大規模経営ではないからこそ少量多品種や熟成を特徴とし、6次産業化の新しい道に取り組んでいます。
農業にもマーケティングと経営を。新規就農者を積極的にうけいれている、高橋農園の髙橋淳さん
この日の最初のフィールドワークは、前述の和久さんのご実家でもある高橋農園で、ぶどう畑やビニールハウス、加工場の一部を見学しました。高橋農園では新規就農者を受け入れており、ビニールハウスの中では研修生がそれぞれ興味のある野菜を植えていました。
淳さんはまだ50代ですが、この地域では一番年下の農業者です。若い頃は農業高校や農業短大などを通じて農業を学び、社会人になってからも、岩手大学で開かれているアグリフロンティアスクールに通い、優秀な成績を修めたことで台湾に特使として派遣されるなど、常に学びの姿勢を持ち続けています。また、今ほど普及していなかった産直の開設もいち早く提案するなど、早くから農業に対して経営やマーケティングの発想を取り入れてきました。
積極的に受け入れている研修生に対しては、ビニールハウスでの実践からもわかるように、本人のやりたいことを尊重しています。
「農業は、始めればすぐに自分が経営者になれる世界。でも最近の若い人はずっと農業ばかりではなく、何か別なこともできる環境にあると思う。うちの研修生にもスノーボードをやっているのがいて、この間は北海道の大会で優勝していましたよ。」
家族以外に従業員も雇い、経営感覚を持って農業に従事する淳さんに影響を受け、参加者からは研修生志願者も現われました。束の間ですが、いい出会いになったようです。
ひととおりの見学が終わった後は、高橋農園特製のお弁当が昼食になりました。この日のメニューを考案したのは和久さん。「ポテトデリマメタ」からかけつけ、準備をしてくださいました。
「普段は(弁当を)担当していないのですが、せっかく紫波町に来てもらうので、紫波町の食材だけを使いました。まだ珍しい紫波ポーク(豚肉)もぜひ堪能してください。」
ほかにも、瑞々しい野菜のサラダやマメタから提供されたフリット(フライドポテト)、ぶどうジュース、紫波特産のもち米「ひめのもち」を使ったくるみもち、あんこもちも振る舞われ、紫波町の豊かな食材を実感できるメニューの数々に、参加者は舌鼓を打ちました。
忙しいけれども充実した毎日。自園自醸ワインを手掛ける、紫波フルーツパーク醸造責任者の佐藤大樹さん
一行はその後、ワイナリーを運営する株式会社紫波フルーツパーク(以下、フルーツパーク)に移動。同社は平成15年に設立された紫波町の第3セクターで、ワインは町内の契約農家と自社農園で栽培した醸造用ぶどうを原料としているため、100%町内産です。これを「自園自醸ワイン」と称して販売しています。
ここでの案内役はワインの醸造責任者を務める佐藤大樹さん。岩手大学農学部を卒業後、出身地である秋田県で医療器具メーカーに3年ほど勤務していましたが、平成18年に、大学時代の恩師からの薦めもあって転職。醸造分野は素人でしたが経験を積み、現職に就きました。
フルーツパークはヨーロッパ流の垣根仕立てでぶどうを育てています。佐藤さんには畑の中まで案内してもらいましたが、参加者のほとんどはぶどう畑を間近で見るのは初めて。ワインは日本酒の発酵過程と比較して工程は少ないのですが、そのぶん、原料となるぶどうの良し悪しがそのままワインに影響します。いいぶどうをつくるため、枝の状態を見ながら残す房の数を考えて剪定すること、土づくりや周囲の環境整備の大切さなどを説明いただきました。
帰り際、剪定されたぶどうの木の断面から樹液が染み出ていることを教えてもらいました。根が吸い上げた水分だそうですが、肌の乾燥などに効果がある保湿性に富む液体で、触るとさらっとしています。これを化粧品の原料にするべく商品化に動いている大手メーカーもあるそうです。思わぬところに資源がありました。
つづいて参加者はワイナリーに移動し、佐藤さんの説明に耳を傾けました。ぶどうを発酵させる酵母は何万種類もあり、ぶどうの品種によって推奨される組み合わせはあるものの、同じ品種のぶどうを原料にしても、いかに他社と差別化を図るかが鍵になるそうです。
「この仕事は好きなので充実しています。時間がいくらあっても足りず、あぁもうこんな時間かと急いで昼食をとることもありますが、すぐに次の仕事について考えてしまいます。私は醸造現場の責任者ではありますが、蔵から外に出ることも大事だと考えていて、お客様の声を直接聞くことを心がけています。もっと普段の生活の中に気軽にとりいれてもらえるよう、流行りすたりではなく、食卓になじむワインを目指しています。」
風景の価値を活かして人との交流をはかりたい。ぶどう専業農家・松原農園の吉田貴浩さん
フルーツパークに併設されている直営店に移動し、次は松原農園の吉田貴浩さんにお話をうかがいました。吉田さんは紫波町の出身で、高校卒業後はJAに就職。フルーツパークに転職してからはJA時代の経験を活かし、ぶどう農家の栽培指導や販売業務などに従事しました。前述の佐藤さんとは元同僚の間柄です。
平成22年にはご実家のぶどう栽培を継ぐために退職し、現在は専業ぶどう農家として自立。契約農家として、フルーツパークのほか、隣接する花巻市のワイナリーにも専用品種を提供しています。さらに地域の後継者仲間と「東葡萄倅倶楽部(とうぶどうせがれくらぶ)」という会をつくって会長に就任。後継者とその家族も交えて情報交換や切磋琢磨の場を設け、地域全体を巻き込んだ活動にも力を入れています。
吉田さんは紫波町内に複数の畑を持っていますが、自ら農業に従事するようになってから、風景に価値があると気がつきました。丘の畑から眺める景色には晴れ晴れとした気持ちになり、天井につるが張ったぶどう園はこもれびが差し込むと気持ちのいい空間になります。
吉田さんはこれら風景を活かして人との交流を図りたいと、昨年は実験的な取り組みも実施。ぶどう園の中にハンモックを設置し、東京からやってきた複数の家族に解放しました。その模様は映像で紹介されましたが、大人たちは読書をしてのんびり過ごすかたわらで、子供たちは普段とは違う非日常的な空間に大喜びで遊んでいる様子がうかがえました。
今後は、市町村の垣根を越えて、農業の現場をほかの目的にも活用したいと企画をあたためている様子でした。生まれ故郷のふるさとのほかに、もうひとつのふるさとを求めて紫波を訪れる人が増えるかもしれません。
紫波町で130年続く「月の輪酒造」で、全国でも珍しい女性杜氏として活躍する横沢裕子さん
月の輪酒造は、もともとは初代横沢氏が寛政11年(1799年)に麹屋として創業していたところを、横沢家4代目が酒造りを始め、明治19年(1886年)から酒蔵となりました。
月の輪酒造として蔵元5代目にあたるのが、今回お話をうかがった横沢裕子さんです。横沢家の長女として生まれましたが、若い頃は家業や杜氏の仕事には関心が薄く、東京で学生生活を過ごしました。その後、「やってみてだめだったら次を考えよう。」という軽い気持ちで酒蔵の仕事に就き、平成17年には月の輪酒造の杜氏として、営業面を執りしきるご主人と二人三脚で家業を切り盛りするまでになりました。
岩手県内には酒蔵がいくつもありますが、女性杜氏はまだ珍しい存在。そのため注目されることも多いですが実績は充分で、今や月の輪ファンは国内だけでなく、アメリカや台湾など遠く海外にもいます。
参加者のひとりが質問した軒先の杉玉は、今回のプログラムの募集要項となるウェブサイトでも冒頭で大きくあしらわれています。杉玉は酒林とも呼ばれていて、杉の葉を集めて作った球状のもの。最初は緑色だった杉の葉が、枯れて茶色く色あせる頃を新酒ができた目安として知らせるものです。昔は酒蔵ごとに手作りしていたそうです。
杉玉が茶色くなっているこの時期は、酒造りも終わっているため仕込みの現場は見られませんでしたが、大正蔵、明治蔵と呼ばれる歴史ある建物内を移動し、5000から6000リットルの新酒が入ったたくさんの大きなタンクを前に、作業の流れについて説明を受けました。
途中、酒粕の活用に関する話題になりました。併設する売店では、酒粕そのものだけでなく、酒粕を使ったアイスクリームやジェラート、ベーグルやラー油なども販売されています。それでも使いきれないほどの酒粕があるため、肥料としてなど、なるべく手間のかからない方法での活用を考えたいとのことでした。
その後、茶の間を改装したという会議室に集まり、改めて横沢さんの経歴や月の輪酒造の取り組みについてお話をうかがいました。参加者からは、日本食ブームが起きているヨーロッパでは、現地の日本食レストランでもまだ日本酒が充実していないので需要があるのではないかという提案や、日本酒になじみのない若者に対する取り組みについて質問が出るなど、活発なやり取りが行われました。
特に若者のアルコール離れについては話が広がり、親が自宅で晩酌するシーンを見なくなった若者世代の話、成人式の祝宴には地元の日本酒をプレゼントするとよいのではといった参加者からの提案、横沢さんが企画していた女性だけの日本酒の会にも話が及びました。横沢さんは杜氏としてだけでなく、飲食店にも様々な提案をしており、なかでも、居酒屋で寒がる人には日本酒がおすすめという話は目から鱗でした。日本酒は冷たいままでも体を温める効果があるからだそうです。寒い季節には試してみたいですね。
初日をふりかえって
オガールプラザに戻ると、1日の振り返りが行われました。この日は農業や酒蔵など、主に食におけるものづくりの現場を訪問し、5人の方に話をうかがいました。これらをもとに、自分ならどうかかわれるかを考え、参加者間で共有しました。
プログラムは2日目につづきます。
*2日目のレポートはこちら!
紫波町の“すきま”が見つかった人も、まだ見つけられなかった人も、またここに来たくなる充実のプログラムが終了!~MEET UP IWATEレポート②~