文化財の補修に需要がある「茅」の生産が金ケ崎町で復活
現在ではすっかり珍しくなった茅葺き屋根(写真下)。一般民家に用いるケースは少なくなりましたが、世界遺産としても有名になった岐阜県白川郷の合掌造りの家や歴史ある神社など、文化財という視点で見ると全国的にはまだ需要があります。岩手県内でも、金ケ崎町にある写真(下)のような復元された侍住宅や、隣接する遠野市の南部曲り家など、数棟が現存しています。
▲金ケ崎町の旧武家屋敷エリアで復元された侍住宅(片平丁・旧大沼家侍住宅)。屋根には「南部茅」を使用している
茅葺き屋根の原料である「茅」というのはイネ科植物の総称で、すすき、わらなどを指します。戦前の金ケ崎町では茅場と呼ばれるまとまった土地ですすきが植えられ、「結(ゆい)」と呼ばれる相互扶助システムにより、住民が共同で生産、管理、収穫まで行ってきました。
戦後、徐々に茅葺き屋根の需要が減少したことや、農業一本ではなく会社勤めをする人が増えたこともあり、「結」のシステムや茅場も消滅。茅葺き屋根を有する建物はまだ残っているものの、補修が必要な際には町内に限らず県内でも茅の材料が手に入らないという事態に陥りました。
この状況を何とかしようと住民らが発起人となり、平成12年に「NPO法人岩手で茅葺き技術の伝承を促進する委員会」が発足。町や県からの支援も受け、千貫石(せんがんいし)地区に60haの新たな茅場を設け、ここで収穫された茅を「南部茅」と名付け、茅文化の技術継承に取り組みました。
▲千貫石茅場にて。すすきの刈取りの様子
茅の生産管理や収穫にはシルバー人材センターを活用するなど、行政と民間の協働事業という形で3年ほど取り組みが続きましたが、NPO法人が発展的解散したことに伴い、事業譲渡を受けた町が、平成16年度に一般財団法人金ケ崎町産業開発公社(以下、公社)を設立し、事業を引き継ぎました。
茅の生産工程を記録し、技術継承にも力を入れる「南部茅」
現在、公社にて南部茅の生産販売事業を担当する渡邉久美子さんに、南部茅の特徴や現在の取り組みについてお話を伺いました。
「公社には専任の男性職員が2名いて、私は役場から兼務という形で関わってまだ3年ほどです。基本的に茅は栄養のない痩せた土地でも生産できるというのが特徴です。」
以前は茅文化があったとはいえ、一度廃れた技術を復活させるには苦労もあったようです。
「NPOがまだあった頃に外部から指導を受けて茅(すすき)の生産を始めたのですが、その方が本来は葦を専門としていた方だったので、この土地や茅(すすき)にあうように苦労しながら徐々に改良を重ねていったそうです。まだ葉が残った状態で刈り取るというのもその苦労の中から生まれた、ほかとは違う特徴のひとつです。水源に近いこともあって、農薬・肥料を使わずに生産しています。」
さらに生産管理の工程についてお話を聞くと、町内でも工程そのものを知る人が少なくなっているため、公社では一連の流れを再現できるよう、写真を撮って記録しているそうです。特に刈り取ったすすきを乾燥させるために組む「島立て」は後世に伝える技術のひとつ。シルバー人材センターのスタッフも含めて講習会を開き、技術を絶やさないようにしています。
▲9月中旬のすすき
▲刈り取ったすすきは結束する。長さは約2m
▲大人数人がかりで「島立て」
▲10月下旬。束にしたすすきを茅場で越冬、乾燥させるために組まれた「島」
評判は上々の「南部茅」生産性の向上が当面の課題
「南部茅」の現在の販路は主に東京都や宮城県の建設会社で、そこから各地の茅葺き屋根の補修等に使われます。東京都では小金井市にある江戸東京たてもの園の一部で「南部茅」が使われており、茅文化の継承で連携している遠野市(岩手県)にも毎年一定量を供給しています。
渡邉さんによると「南部茅」の評判は上々で、さらなる供給を求められていますが、それに応じるために必要なことや課題があるそうです。
「茅葺き屋根の材料としてはまっすぐに伸びたすすきが必要なのですが、歩留まりが悪く、60haある茅場の約6割しか使われていません。原因としては充分な手入れができないこと、人手不足、天候などが挙げられますが、人手不足解消の策として今、公社の職員が中心になって専用の茅刈り機を開発中です。白川郷とも交流があるので、いずれこの茅刈りの技術面でもノウハウを提供できればと考えています。」
▲試運転中の茅刈り専用機。稲刈り機をベースに開発中
さらに渡邉さんは続けます。
「『南部茅』という名前はNPO法人があった頃につけられたものですが、商標登録をしていません。このまま使い続けたほうがいいのかどうかも含めて、金ケ崎町産の茅のブランディングが平成29年度の課題です。また、規格外で出荷していない4割ほどの茅も、いろいろと需要を調べるとあるようなので、活用していきたいですね。」
利益をあげる生産モデルへの転換が鍵の「南部茅」。協力隊に期待されることとは
金ケ崎町は2014年度から地域おこし協力隊(以下、協力隊)を採用し、これまで2名の方が文化遺産を活用した町のPRを担ってきました。今回、第2期となるメンバーは「TSUNAGIプロジェクト」と呼ばれる4つの分野で1名ずつ採用される予定です。そのうちのひとつが、ここで紹介した、「南部茅」を使った茅文化を後世につなげる活動に取り組む「茅文化を後世につなぎ隊」です。
協力隊に期待することや金ケ崎町の特徴について、前述の渡邉さん、金ケ崎町総合政策課の松本浩和さん、そして非公認キャラクターとして歴史文化のPR活動に取り組む千貫石太郎(せんがんいしたろう)さんにお話を伺いました。
▲(一財)金ケ崎町産業開発公社 渡邉久美子さん
「茅文化を後世につなぎ隊」の活動では渡邉さんと連携しながら、公社の職員らと活動します。どんな方が向いているでしょうか。
「まずは現場をひととおり経験してほしいので、茅場に出向くことや体を動かすことに積極的な方がいいですね。公社にいる職員とコミュニケーションをとっていきながら、徐々に経営面でも力を発揮してもらいたいです。私は兼務という形で関わっているので、この事業に割ける時間に限りがありますが、可能性は感じています。実は茅場から眺める景色はとてもいいんですよ。県から借りている土地なので制約はありますが、季節を通じて茅場の景色もPRしていけたらいいのではないかと思っています。」
▲金ケ崎町総合政策課 松本浩和さん
松本さんは協力隊の採用窓口となる方ですが、今回のTSUNAGIプロジェクトに対する背景をお話いただきました。
「南部茅もそうですが、どの分野も(任期終了の)3年後に協力隊の方ができるだけ自立できるように、という点を重視して活動分野を選んでいます。南部茅の場合は既に公社があって、茅の生産から販売までの基盤があります。公社職員として利益をあげる、あるいは自分自身がロールモデルになって起業につなげたり、可能性に挑戦していただければと思います。」
さらに、協力隊の方へメッセージをいただきました。
「金ケ崎町は大手の自動車工場があり、町外から通勤する人も多いですし、町内に暮らす人の中には他県の工場から家族や単身で転籍してきた人も多くいます。住民は多様性に富んでいて、外から来る方に閉鎖的ではないですね。『TSUNAGIプロジェクト』という名称のとおり、こういった多様性、いろんな人やモノ、コトをつなぎ合わせることができると、ますます楽しい町に変われる、可能性にあふれた町だと思います。」
▲町内の子どもたちからも人気がある千貫石太郎さん
金ケ崎町の非公認キャラクターとして活躍する千貫石太郎(せんがんいしたろう)さんは、歴史探検隊の結成や講演活動を通して、町内の小学生に向けた歴史文化遺産のPRにも取り組んでいます。金ケ崎町の魅力について、お話しいただきました。
「金ケ崎町はいわゆる“田舎”ではなく、東京や仙台など、都市部への交通アクセスも便利で恵まれた町だと思います。野菜も安いですし、生活していて特に不便だと思う点はありません。あとは優しい人が多いですね。いつだったか、未舗装の道で車がぬかるみにはまって困っていたことがあったのですが、どこからともなく何人かの方が助けに来てくれて、名も名乗らずに去っていきました。とてもシャイな方が多いのも特徴です。さらに素晴らしい歴史や文化があります。身近すぎてまだその価値に気がついてない方もいますが、今後も大切にしてほしい。それを願って、私はこれからも活動を続けていきます。」
▲千貫石太郎さんも収穫のお手伝い
最後に、「茅文化を後世につなぎ隊」への応募を考えている方にメッセージをいただきました。
「茅場のある千貫石は非常に景色がよく、野山を駆け回るのが好きな私はトレイルランができたら最高だと思っていました。ぜひ一度、訪れてほしい場所です。」
野菜や果樹の6次産業化とはまた違ったビジネスモデルですが、全国的に見ても例が少ない分野であることから、手腕を発揮できるチャンスかもしれません。石太郎さんお勧めの千貫石茅場も見学できる現地ツアーも実施されますので、ご興味のある方はぜひご参加ください。
▲「協力隊への応募お待ちしていますよ~」左から松本さん、千貫さん、渡邉さん