記事検索
HOME > はたらく > 農林漁業 >
2014年2月20日 ココロココ編集部

ボランティアやツアー客、地元仲間との交流が農業を続ける力に―生木葉ファーム 佐藤良治さん

いわき中央インターから車で5分ほど、山あいにおよそ1ヘクタールの畑をもつ「生木葉ファーム」は、自家製「ぼかし」(発酵有機肥料)を使い、無農薬、無化学肥料で野菜を栽培している農園。四季折々、数多くの野菜を“少数精鋭”で育て上げ、併設の直売所で販売したり、レストランに提供したりしている。また、一方では体験型農園としての営業も行っており、一般市民や観光客にも広く親しまれている。

ファーム代表の佐藤良治さんは、「ine(いーね)いわき農商工連携の会」のメンバーのひとりでもあり、特に震災後には、多くの都会の人々の見学を受け入れ、「いわき野菜」の復興に尽力を続けている。

 

震災前には、クラインガルテン(滞在型市民農園)を作るのが夢だった

野菜

「生木葉ファーム」代表の佐藤良治さんは、震災以前からこの地で有機農法を使った野菜栽培を行っており、農作業体験や収穫体験を通して、「農業の大切さ、楽しさ、大変さ」を伝えてきた。震災前、直売所にはなじみのお客さんが訪れ、市内の保育園にも野菜を納品するなど、「安心・安全な野菜」という面でも高い評価を得ていた。
2011年の始まりは、佐藤さんにとって、希望の年の始まりだった。農場では新たにクラインガルテンとして整備する計画が進み、7棟の滞在施設が作られるということで、胸は期待に満ちていた。
「農園全体をクラインガルテンにするっていう話は、震災の前の年に立ち上がりました。都会の人が来て、宿泊もできて、その周りに畑があるというものですね。でも震災が起きて状況は一変しました。放射能の影響で首都圏の方が来ることは無くなって、計画も白紙になりました。」
佐藤さんの苦しみは、クラインガルテン計画の頓挫だけではなかった。
「この直売所は平成20年ぐらいに作ったもので、震災前には一緒に住んでいた娘がクッキーなども焼いてくれていたんです。娘は震災の年の4月に出産予定だったんですが、震災で産院が閉鎖してしまって。福島県内では出産できるところが無くなってしまったもんだから、県外に避難してしまったんです。今は孫も2歳になっているんですが、まだ戻ってきていません。」
そう語る佐藤さんの眼はどこか寂し気だ。震災によって夢も、畑も、家族との暮らしも、大きく傷付けられてしまったのだから、その切なさを計り知ることはできない。

3か月をかけて、100人以上のボランティアと一緒に除染をした

畑

震災後、放射能問題で福島県の農産物は市場に拒絶されるようになり、佐藤さんが手塩にかけた農産物も、破棄するほかは無くなってしまった。
「何とかしないといけないと思いました。だから畑の土についても、ほかの農家が取り組む前から、全部手作業で、表層から15センチを除染したんです。除染は震災の年の6月から9月まで、のべ100日かかってやりましたね。ボランティアの方にも沢山来てもらいました。うちでの寝泊まりと食事付きなんですが、絶えず、8人くらいの方が来てくれていました。」
除染には補助金が出るというケースが一般的だが、佐藤さんの場合は、「自主的な除染」に該当したため、補助金は一切もらえなかったという。しかし、「安心・安全には代えられない」と、佐藤さんは誰よりも除染を急いだ。

佐藤さん

「せっかく何年もかかって有機土壌を作ったものを、除染で全部剥がしてしまったので、予想以上にきつかったですね。野菜の出来が全然違うんです。除染が終わってから2年が経ちましたけれど、まだ土は(震災前の水準まで)戻っていないですね。」

自慢の「ぼかし肥料」で、新しい“土づくり”に取り組む日々

佐藤さんの農園の一角には、プラントのように機械が並んでいる一角がある。脇には小さなハウスがあり、中に入ると、茶色く柔らかそうに盛られた土から、ぷんと有機肥料の香りが立っている。これが、震災前から続いている、生木葉ファーム自慢の「ぼかし肥料」(発酵有機肥料)だ。
「これがうちの唯一の肥料なんですよ。おから、粉ぬか、もみがらなどを土に混ぜて作っています。有機栽培というのは、微生物を活性化して、作物が“住みやすい”環境を作ってあげることが大事なんです。発酵していない有機質肥料はお店にも売っているんですが、それでは作用が強すぎる。こういうちょっとソフトで、微生物が中に混入している肥料というがちょうどいいんですが、お店には売っていないので、自分で作るしかないんです。」
佐藤さんのぼかし肥料は、肥料成分の濃度よりも、「いろいろな種類の微生物を住まわせること」を大切にしている。微生物はデリケートなので、しっかりと温度や水分をコントロールしてあげなければ育たないが、佐藤さんの几帳面で真面目な性格が、この肥料づくりにも生かされている。しかし、震災を経てこの肥料づくりにかける手間も変わった。

肥料

「震災前までは落ち葉を集めてきて、そこに粉ぬかをかけて腐葉土を作って、この肥料に混ぜていました。落ち葉にはもともと沢山の菌がいるので、それだけで良かったんです。でも震災後は腐葉土が(放射能の影響で)使えなくなったので、今では乳酸菌、酵母菌(イースト菌)、飲むヨーグルト、EM菌などを配合して発酵させて、肥料に振りかけています。これが腐葉土の代わりなんですね。大変ですが、しょうがないです。」

新しい仲間との出会いが、農業を続けるチカラになっている

震災と原発事故を経て、佐藤さんの農業は振り出しに戻った。土地は痩せ、農産物は売れず、手間ばかりが増えてしまったが、佐藤さんは自分が信じた農業を諦めることはせず、黙々と、「できること」を進めている。そのチカラの源になっているのは、一緒に頑張っている仲間や、応援してくれる人々だ。

佐藤さん・北瀬さん

「『ine』の北瀬さん(北瀬幹哉さん)とは震災前から一緒にやっているけれど、彼が来るようになってから、野菜に“別の味”が出てきたんですよ。それに震災後、『ine』に萩さん(フランス料理店『Hagi』の萩春朋シェフ)が参加してからは、考え方も変わりましたね。
今までフランス料理なんて全然知らなくて、野菜は焼くだけで何も味を付けないで、本来の味を出せたらそれでいいんじゃないかな、って思っていたけど、萩さんが(調理を)やったら、これがうまいんです。『うめえよな、これどしたんだ?』って思わず聞いちゃったくらい。蒸し焼きなんかはすごく美味しいんですよ。でも、聞いたら味付けは塩だけだって。」

フランス料理

佐藤さんにとって、萩さんとの出会いは衝撃的だったという。プロの料理人が佐藤さんの野菜を評価して、見た目も味も素晴らしい料理に仕立ててくれて、その料理を、東京から来たバスツアーの人々が「美味しい!」と感動して味わってくれる。それが、佐藤さんの「新しい生きがい」となった。
今では、ボランティアに参加した若い人々や、バスツアーに参加した都会の人々からも、「宅配で野菜を送ってほしい」という要望が寄せられてくるようになったという。一方では、萩シェフの人脈で首都圏のレストランや結婚式場とのパイプも生まれ、震災前以上に、佐藤さんの野菜の販路は広がりつつある。
「生木葉ファーム」にはいま、屋根に大規模なソーラーパネルを設置した、新しい建物の骨組みが作られており、ツアー客の見どころがさらに増えそうだ。

佐藤さん笑顔

「都会からバスツアーで来た人みんなに、うまいって言って食べてもらうと、『よしまた作るか!』って思うんですよ。だからとにかく、沢山の人に来てもらいたい。」
そう言って笑う佐藤さんの顔には、震災と原発事故という試練を、仲間とともに前向きに乗り越えていく力強さが感じられた。

取材先

「生木葉ファーム」 佐藤良治さん

所在地
〒970-1146
福島県いわき市好間町榊小屋字小座取2

電話番号
0246-36-4870

直売所営業日
土・日曜日、祝日 10:00~16:00

WEBサイト
http://namakibafarm2010.blog133.fc2.com

ココロココ編集部
記事一覧へ
私が紹介しました

ココロココ編集部

ココロココ編集部ココロココでは、「地方と都市をつなぐ・つたえる」をコンセプトに、移住や交流のきっかけとなるコミュニティや体験、実際に移住して活躍されている方などをご紹介しています! 移住・交流を考える「ローカルシフト」イベントも定期的に開催。 目指すのは、「モノとおカネの交換」ではなく、「ココロとココロの交換」により、豊かな関係性を増やしていくこと。 東京の編集部ではありますが、常に「ローカル」を考えています。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

人と風土の物語を編む