新宿で「浦霞」と「三陸の幸」と「鯨料理」を堪能できるお店『樽一』

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お客さんが笑顔になれる、本当に美味しいものを通して、 東北を応援していきたい。

塩釜に蔵元を持ち、宮城県を代表する酒として名高い「浦霞」(うらかすみ)。産地までは知らずとも、この銘柄に聞き覚えのある人は多いことでしょう。
今から遡ること45年前、昭和43年(1968年)に、この酒を初めて東京に持ち込んだのが、ここ「樽一」であり、今でも「東京で浦霞を飲むなら樽一」と言われるほど。三陸の幸を使った一品料理も「浦霞」に引けを取らないと評判のものでしたが、2011年、東日本大震災により蔵元も海も大きな被害を受けてしまいました。
それから2年余りが経った2013年5月、樽一は歌舞伎町の中で少しだけ移動し、新しいビルの地下階に、装いも新たにオープンしました。今回は「樽一」新店舗に伺い、二代目店主の佐藤慎太郎さんに、店への思い、東北への思いについてお話を伺いました。

[話] 佐藤 慎太郎さん/樽一 店主

 

佐藤さん

「樽一」誕生のキッカケは、銘酒「浦霞」との出会い

まず、「樽一」の歴史についてお聞かせいただけますか。

地酒「浦霞」

「樽一」は昭和43年(1968年)に、先代、つまり私の親父が作った店です。
親父は宮城県の東松島の出身で、当時は矢本町と言ったそうですが、実家は昔からお酒や塩を売る商売をしていました。でも親父は五男でしたから、地元に居ても仕方がないということで、東京に出てきたんです。若い頃は捕鯨船に乗りたかったらしく、大学も日本大学の農獣学部に行ったようです。結局、捕鯨船には乗れなかったんですが、鯨類研究所などにも勤めていたそうです。酒を飲むのも好きで、サラリーマンをしながらお酒を飲み回っていたようです。

そんな親父が居酒屋をやろうと思ったきっかけは、「浦霞」との出会いでした。サラリーマンをしていた頃、新聞で「浦霞」を紹介している記事を見て、「これだ」と 思ってすぐに蔵元に電話をして、直談判に行ったらしいです。今の(蔵元の)社長のお父さんですね。もともと親父の実家では浦霞も扱っていましたから、私の祖父の代から、繋がりはあったようです。

 

当時はまだ東京に「浦霞」が無かったそうですね。

店内1

そうなんです。それで親父は「ふるさとのお酒を東京に」ということで、居酒屋を始めることを決めて、「樽一」を高田馬場に作りました。最初は7坪の、カウンターだけのお店だったそうです。

高田馬場は学生の街ですが、お店を出した当初から、「樽一」は学生さんお断りの店でした。サラリーマンの憩いの場として作ったんです。周りからは 「そんなの続くわけがない」と非難轟々だったそうです。でも、店はうまくいって3年後に池袋、その後神田に店を増やし、昭和49年に新宿の旧店舗も出して、一時は4店舗を展開していました。

この店になる前の(新宿店の)旧店舗はビルの5階にありましたが、昭和49年当時は、空中階に居酒屋を出すのは日本初だったみたいですよ。これも「頭がおかしいんじゃないか」なんて言われたそうです。でも親父はそんな逆境も乗り越えてきました。

 

先代から二代目に受け継がれたのは、どんなきっかけだったのでしょうか。

店内2

実は先代は10年前(2003年)の七夕に、急に亡くなってしまったんです。築地に行った後にいつものように昼寝をしていたら、そのまま息を引き取りました。68歳でした。

その時残っていた店は、高田馬場と池袋と新宿の3店舗でしたが、急なことだったので、今後どうしようかと悩みました。その時には、新宿が一番の人気店になっていて、高田馬場も池袋も「樽一」の空気じゃないとは思っていたので、思い切ってその2店を閉めました。苦渋の決断でしたね。先代の思いは自分が引き継いで、それを分かってくれる仲間とやっていければ良いと思って。そんなわけで10年近く新宿だけでやってきて、今年の5月7日からこの新しい店に移りました。

 

どうしたらお客さんに楽しんでもらえるか、を徹底的に考える

「樽一」の店作りのコンセプトについてお聞かせください。

店内3

基本的には「宮城のお店」「三陸のお店」ってことですね。もちろん主軸になるのは「浦霞」です。「浦霞」と「三陸の幸」と「鯨料理」。この三本柱は昔も今も変わらないです。

雰囲気作りについても、親父が学生を入れなかったのを引き継いでいますし、本当に「サラリーマンが心からくつろいで、充電してくれる場所」でありたいと思っています。

お客さんはみんな、店に入ってきた時の顔と出て行くときの顔が全然違うんですよ。それを見るのが、私らの最高の喜びですね。

でも、若い方がダメってわけじゃないんです。大人の中に、飲み方が分からない若い子が混じっていたら、飲み方を教えてあげればいいんです。周りが騒がずに飲んでいると、若い子も「大人の飲み方ってそういうもんなんだな」と感じてくれるんですよ。料理もそうだけど、“理屈”じゃないんです。もちろん盛り上がるけれども、それはバカ騒ぎとは違うんです。

佐藤さん2

だからうちでは、大騒ぎをするお客さんはいないんですが、みんな本当に楽しそうに飲んでくれます。だから私らスタッフも、どれだけお客さんに楽しんでもらえるか、そのために何ができるか、っていうことを徹底的に考えているんですね。

これは、料理で言えば本当に美味しいものをすべて手作りして提供することだし、徹底的に掃除をすることだし、お客さんに合わせて席の割り振りをしたりすることなんです。うちではいつもお客さんの顔を思い浮かべながら、席も割り振っています。9割が常連さんですからね。

お酒で言えば、店長が全部仕入れを担当しているんですけれど、「この日にあの人が来るから、それに合わせてこのお酒を入れよう」とか、お客さんに「あなたのために仕入れたお酒です」と言えるように心がけています。それをカウンターのお店でやるのは簡単ですが、この店は140席あるので、この大箱でどこまでやれるか、ということが私らの“勝負”だと思っています。

 

蔵元直送の「浦霞」と、それに合う美味しい料理を提供

「樽一」自慢の料理と「浦霞」について教えてください。

鯨・絵

「浦霞あっての樽一」ですから、料理も「浦霞」に合わせて作っています。「浦霞」は素晴らしいお酒で、お客さんも「浦霞」があるから来てくれていると思うんです。だから「浦霞」に負けない肴(さかな)を用意することをいつも考えています。

「浦霞」は塩釜の“海の酒”で、基本的には海のものが合いますから、料理もやっぱり三陸の幸が主役になりますね。ホヤとか牡蠣とか、あとは笹蒲鉾とか、松藻(まつも)なんかが人気でしょうか。松藻っていうのは、三陸沖でしか採れない希少な海草で、東京では「樽一」でしか出していないと思います。もちろん三陸のものだけじゃなくて、美味しいものを全国から取り寄せていますよ。

ホヤ

でも震災後は三陸のものがなかなか手に入らなくなってしまって。今もやっとのことでホヤを見つけて、今日入ってきたところなんですが、手に入ったのが30個だけなので、これもすぐにおしまいですね。こんな風に食材が入るたびに、メルマガを送ってお客さんにお知らせしています。冬場は牡蠣が大人気ですね。

名物のひとつに自家製笹蒲鉾もあります。もともとうちの笹蒲鉾は石巻の業者さんから入れていたんですね。もう店を閉めてしまった業者さんなんですが、閉めた後でも、うちのためだけに特別に作って送ってくださっていたんです。でも津波ですべて流されてしまって、ほかに同じ蒲鉾って無いですから、「じゃあうちで同じものを作りましょう」となって、今では店内で手作りしています。こんがり焼きたてを召し上がって頂くのが「樽一」定番のスタイルですね。

メニュー

お酒は蔵元直送で「浦霞」をほぼ全種類揃えていますし、中には市販されていないような、「樽一」だけの「浦霞」もあります。銘柄は10種類以上になりますね。一番人気は「原酒金ラベル」です。蔵元に行っても飲めないお酒もあったりします。とにかく「浦霞」を飲むなら「樽一」なんです。

うちは140席ありますけど、大箱ならではのメリットもあって、回転が良くなるからいつでもお酒は新鮮だし、珍しい銘柄を開けたはいいけどそのあとどうなるか、なんて心配も無いんです。ほかの食材も同じで、例えば魚も、入れたものからどんどん出ていくからいつでも新鮮だし、いつ来ても美味しく安く食べられるわけです。

 

鯨料理も種類豊富ですが、宮城では一般的なものなのでしょうか。

刺身

石巻の鮎川ってところに捕鯨基地があるので、鯨料理は、宮城の人にとって非常に身近な料理なんです。それは今でもそうですね。

うちでいちばんよく出るのは「鯨の三種盛り」ですかね。調査捕鯨のものを使っています。刺身って普通の店ではかなり高級品ですが、うちではリーズナブルな価格にしています。だから初めての方にも是非食べていただきたいし、食べればきっと美味しいと感じていただけると思います。親父がよく言っていた言葉ですが、「食は理屈じゃない」ですから。鯨は日本人が何千年も食べてきた、大事な食文化なんです。ただ、鯨料理ばかりだと敷居が高くなるので、沢山ある料理の中で、鯨もあるよ、っていう感じにしています。鯨の料理の種類が多いのは、うちの自慢のひとつですね。

 

蔵元および東北の復興支援への思いから生まれた
「浦霞ノーラベル」

東日本大震災とその後の日々を振り返って、いかがでしょうか。

浦霞ラベル

あの日は仕込みの時間で、揺れがあった後、みんなで歌舞伎町の交差点の中央分離帯に飛び出しました。そこしか安全な場所が無かったものですから。ちょうどビルに大きなビジョンがあって、そこで津波の映像を見ながら、「ああ、浦霞の蔵が流される・・・うちも終わりか」と思いました。私の実家が矢本ですから、親戚も友達もあっちにいて、「うわ・・・」と声も出ませんでしたね。

3日後くらいに、蔵元の社長さんとようやく連絡が取れて、蔵人たちは全員無事だということで、ああ良かったと心から思いました。蔵は胸の高さぐらいまで水が来たそうで、後日社長さんに写真を見せてもらったんですけど、メチャクチャになっていました。その中に、これからラベルを貼るという段階の瓶が荷崩れを起こしている写真があって、聞いたら「全部瓶は一緒で、崩れてしまっているから中身はどのお酒か分からないんだ。だから出荷できない」と。じゃあそれをうちで全部引き取ろうって話になり、震災から10日くらい休んで再開した時に、これを「浦霞ノーラベル」として店で出したんです。

 

「浦霞ノーラベル」の反応はいかがでしたか?

店内4

うちのお客さんは全員が「浦霞」の大ファンですから、瓶が汚れていようが、キャップが凹んでいようが、そんなの全然関係ないんです。中身が分からないってことを言ったら、うちの常連さんが「やっと俺達の出番が来た」「飲めばいいんだよね。支援になるんだよね」って、すごく興味を持ってくれて。お客さんは働いている人ばかりだから、現地にボランティアには行けないし、被災地のために「何かできること」を探していたみたいなんですね。「ノーラベル」はうちで全部引き取りましたから、数としては1000本以上ありましたが、3か月かからずに無くなりましたね。

 

最後に、今後の展望についてお聞かせください。

料理

三陸の食材に関しては、まだまだ復活してきたばかりですから、いろんなところに掛け合って、お客さんにも聞いて、少しずつ復活させていきたいですね。今日のホヤもやっとのことで見つけたんですけど、そういう地道なことを一個一個やって、東北を応援していきたいです。

ただ、「宮城だから」「三陸だから」何でもいいんじゃなくて、お客さんが笑顔になれる、本当に美味しいものを出していきたいです。「宮城やっぱりスゲエ」って言ってもらいたいじゃないですか。宮城の魅力っていうのは、やっぱり海の幸が大きいと思うんです。自分達は宮城の看板を背負っていると思ってやっていますから、まだまだ、やれることは沢山ありますね。「宮城」を通して、お客さんに喜んでもらいたいと思っています。

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取材先

樽一

所在地
東京都新宿区歌舞伎町1-2-9
ベストウエスタン新宿アスティナホテル 東京B1F

電話番号
03-3208-9772

営業時間
平日 17:00~22:30(21:30L.O.)
日曜日・祝日 16:00~22:00(21:00L.O.)

定休日
年中無休(年末年始を除く)

Webサイト
www.taruichi.co.jp


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ココロココ編集部

ココロココ編集部cocolococo

ココロココでは、「地方と都市をつなぐ・つたえる」をコンセプトに、移住や交流のきっかけとなるコミュニティや体験、実際に移住して活躍されている方などをご紹介しています! 移住・交流を考える「ローカルシフト」イベントも定期的に開催。
目指すのは、「モノとおカネの交換」ではなく、「ココロとココロの交換」により、豊かな関係性を増やしていくこと。
東京の編集部ではありますが、常に「ローカル」を考えています。

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