サラリーマンから転身、脚本と映像の勉強をする
「脚本書きたいなあってずっと思っていました。専門学校行って勉強を本格的にしようと思って決断しました。」
しかし駆け出しの脚本家は、なかなか脚本の仕事だけでは安定した収入を得ることが難しい。そこで田中さんは、専門学校で、映像や演出についても脚本の勉強と同時に学ぶことにした。卒業後は、テレビドラマの助監督や映像関係の仕事などをして都内で忙しい毎日を送っていたが、専門学校時代の恩師に誘われて、日本のアニメやポップカルチャーをインドネシアに映像や記事で紹介する仕事に携わることになる。田中さんの仕事はその他にも多岐に渡っていたが、ある段階から自宅でできるライターの仕事に特化していったという。
▲サラリーマンからの転身当時を振り返る田中さん
ある時、名古屋で行われた友人の結婚式の披露宴会場で、新郎新婦の共通の友人で、さくら市に転勤した女性と話す機会があったそうだ。田中さんが“ちあきちゃん”と親しみを込めて呼ぶその女性は、現さくら市議会議員の大河原千晶さんだった。
「話していたら仲良くなっちゃいまして、今度さくら市で映画を作るからアドバイザーとして来てもらえないか?という話をもらいました。」
それまで、栃木県にすら来たことがなかった田中さんだったが、2013年4月にさくら市で行われた映画の企画会議のために初めてさくら市を訪れることになる。
地域の人とのつながりから移住へ
「会議は旧穂積小学校で行われました。映画の企画会議というよりも、どちらかというと地域の異業種交流会のような感じで騙されたと思いましたね(笑)。でも、集まったみんなで飲んだり食べたり、その日に初めて出会ったメンバーと一緒に音楽室でテントを張って泊まった体験が楽しくて本当に特別なものでした。そこで知り合ったのは、さくら市を盛り上げようと地元の経営者を中心に有志が集まって結成された「桜縁会(おうえんかい)」のメンバーです。今思うと、その時仲良くなった人の中に映像が趣味の人が3人もいたということは運命的でしたね。その3人とは、今も番組制作を一緒にやっています。」
その後2回目の企画会議があり、田中さんは迷わず参加。その企画会議で議題に挙がったのは、旧穂積小学校を地域活性化のためにどのように活用したらいいか?ということだった。
「前回の宿泊体験が面白かったので、音楽室に誰か若い人を無条件で住まわせるみたいな変な企画があれば面白そう、と何気なく発言しました。そこからどう間違ったのか僕がこの街に住みたがっているように思われたらしく、それから一週間くらい経った頃にちあきちゃんから、住むとこ見つかったよ!家賃タダだって!と連絡がありました(笑)」
突然の話に驚きつつも、話の展開の面白さに惹かれ、その物件のオーナーである株式会社ベガの浅香さん(当時のフィオーレ喜連川自治会長)を訪ねた田中さん。浅香さんは、フィオーレ喜連川という少子高齢化が進んだまちを、若者を呼んで盛り上げたいと考え、その方策を模索していた。田中さんは、移住した背景には浅香さんの存在が非常に大きいと語る。
「紹介された物件が、現在住んでいるマンションになるのですが、当時は蜘蛛の巣が張っていてすごい状態でした。でもフィオーレを盛り上げてもらえて自分で直すなら家賃タダという条件だったので、「桜縁会」のメンバーを呼んで自分達でクリーニングして住むことにしました。当時、僕の仕事も自宅で仕事していることが多い状態だったので、別に東京にいなくてもいいし移住してもいいかな?って思いまして。はっきりとした理由もなく、流れに乗って移住を決めちゃいました(笑)」
▲さくら市の喜連川エリアにある住宅街「フィオーレ喜連川」の様子
こうして田中さんが持つ技術と人と人とのつながり、オーナーの浅香さんとフィオーレという町のユニークさ、桜縁会やさくら市、家賃面と仕事など色々な条件がいい具合に重なって導かれるように田中さんの移住が実現した。
眠っていたケーブルテレビ局を復活させ、地域の情報発信に取り組む
さくら市に移住する前は、東京、大阪などの人口減少問題とはあまり縁のない大都市圏に住んできた田中さん。そのため、地域の人口が減っていくことを心配して、まちのリーダーや経営者が率先して集まり活動する姿が新鮮だったという。また、外から来た人に優しく、歓迎されている感じがあり、地域に溶け込むためにあまり苦労しなかったところもさくら市の魅力だと田中さんは語る。住みやすさと自然環境のバランスが良いこと、米や野菜が美味しいことをもさくら市の魅力の一つだそうだ。
▲喜連川エリア内を流れる川
さくら市に移住して生活をスタートさせた田中さんは、現在住んでいるマンションの紹介者である浅香さんから、フィオーレ地区には今は使われていないケーブルテレビが存在することを知らされる。「ケーブルテレビが、何か田中さんの仕事につながるのでは?」との提案を受けたそうだ。フィオーレの管理組合をつないでもらった田中さんは、管理組合の理事会で、ケーブルテレビ局を再始動させることについてプレゼンをして、最初は「半年間お試し」という条件で開始の許可をもらったという。
もともとフィオーレのケーブルテレビで放送されていたのは、静止画放送だけだった。そこに新たに動画が流れるということはインパクトもあって良いのでは?と田中さんは直感した。
「最初に放送したのが、公道を封鎖し、フィオーレ喜連川内で行われる白熱の自転車耐久レース、「温泉ライダー in SAKURA」です。生放送でした。」
▲「温泉ライダー」の様子。県内外から多くの参加者が集まる
現在は、さくら市内のイベントの紹介やスポーツチームの試合など、フィオーレだけではなくさくら市全体の情報を放送している。さくら市の1ヶ月の出来事をニュース番組として放送したりフィオーレとさくら市の会議の様子をノンカットで放送したりするなど、田中さんは市民の目線に立った番組づくりを心がけているという。
「番組に自分たちや知り合いが映っているのが、みなさん楽しいみたいですね。」そう話す田中さん。地域のバレーボールの試合風景や親睦旅行の様子を放送した時が、身近な人がたくさん映っている等の理由で視聴者からの反応が良かったそうだ。
「凝った番組編集をするよりも街の人が映っているありのままの姿が面白いですね。市民のみなさんが楽しんでもらえる番組を今後も作っていきたいです。」今後は、さくら市と一緒になって番組を作る計画や、ケーブルテレビを駅や広場など公共の場所で見ることができるような計画があり、より多くの人がもっと気軽に番組を見る事ができる環境づくりを進めていくという。
地域の中の人と外の人をつなぐ仕事
田中さんの仕事は、番組の制作・放送以外に月1回の番組表や広報誌「FIORE」の制作、ホームページ制作や市のPR動画の制作など様々だ。さらに、「桜縁会」の一部メンバーが立ち上げたグリーンツーリズム事業「きつりずむ」にも活動協力をしている。「きつりずむ」とは、自然豊かな喜連川の自然を生かして都市部の人が気軽に訪れ、宿泊し、地域特有の様々な体験ができる滞在型の旅を提案する事業だ。
「グリーンツーリズム事業(きつりずむ)は、さくら市の交流人口を増やしたいという有志の思いから始まったプロジェクトです。観光地だけ回って帰ってしまう従来型の旅だと、さくら市の魅力はなかなか伝わりにくい。地域の人と交流して自然を活かした田舎特有の体験をすることで、1回きりじゃなくて何度も訪れたくなるような魅力に触れてもらいたいと思っています。今はまだその仕組みを作りながら試運転している段階ですが、活動を通して色々な地域のおもしろい人と知り合えたり刺激をもらえるので楽しいです。」
「この街をもっと盛り上げていきたいですね。今の仕事以外にも、いろいろな事にチャレンジしていきたいです。」
さくら市でできた人とのつながりを軸に、次々に新しい仕事やプロジェクトに携わる田中さん。それは、元々持っていたスキルと地域のニーズ、そして頼ってもらえる良好な関係性があってのことだろう。
やりたいことが実現できるさくら市
さくら市を盛り上げていこうと地域の人たちと協力して活動をする田中さん。さくら市が募集する地域おこし協力隊についても期待を寄せている。
「地域おこし協力隊の仕事は、僕が関わっている仕事と近い業務内容が多いと思います。お互いに番組づくりやグリーンツーリズムなどあらゆる面で協力し合うことができればと思います。一緒に番組を作るとすれば、地域おこし協力隊の仕事をカメラで追いかけ廻そうかな…(笑)。地域おこし協力隊に番組パーソナリティーとして出演していただいて、さくら市の地域や魅力の紹介をしてもらうのも面白いですね。喜連川温泉観光PR大使の「さくらメイツ」と一緒に地域を盛り上げていくのも楽しいかも!?さくら市はやりたいことが実現できる街です。お待ちしてます!」
地域の眠っていた資源を活用し、さくら市の情報発信の担い手として活躍する田中さん。さくら市に縁もゆかりもなかった田中さんが、移住をして結果的にやりたいことを実現し、地域のプレーヤーとなっているのは、その自然体で構えないスタイルのためかもしれません。