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2016年12月14日 山田智子

伊勢神宮ゆかりの地が挑む新しい伝統づくりプロジェクト

産学官が協同で新たなブランドづくりに取り組む三重県明和町。間もなく完成する日本酒プロジェクトに続き、町に残る2つの伝統工芸を活かした特産品の開発プロジェクトがスタートする。

江戸時代に一世を風靡した「御糸織物(松阪もめん)」と「擬革紙」。歴史を受け継ぎ、または復興させて現代に伝える伝統文化の継承者2人を明和町に訪ねた。

江戸で大ブームを巻き起こした「御糸織物」

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明和町に残る伝統工芸のひとつ、松阪もめんとして知られる「御糸(みいと)織物」。正藍染めの糸を使い、繊細なすっきりとした縦縞が特徴の松阪もめんは「粋」を誇りとした江戸の庶民の間で大流行。今でも歌舞伎役者が縞の着物を着ることを「マツサカを着る」と言うそうだ。三井財閥を築いた「三越(越後屋)」の創始者・三井高利や上野に「松坂屋」という呉服店を開いた・太田利兵衛はともに松坂商人。江戸に店を構え、松阪もめんの販売をきっかけに成長していった。

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明和町北東部から松阪市東部にかけての櫛田川流域は、古来より伊勢神宮と縁の深い機織りの里。伊勢神宮の境内に奉納する絹や麻を織る機殿をもつ「神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)」と「神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)」という2つの神社があり、その周囲の下御糸、上御糸、中麻績(なかおみ)、機殿、服部という地名にその名残を残す。さらに室町時代に綿が渡来し、伊勢平野で木綿の栽培が始まると、古来から受け継がれる織技術と相まって、松阪地方は木綿織物の生産地として発展していく。「元々は農家の副業としてはじまった」という松阪もめんは、斬新なデザインと品質の高さで江戸で一世を風靡する。

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 しかし明治以降は徐々に衰退。「最盛期には周辺に1000軒以上ありましたが、化学繊維や外国からの輸入品に押されて、苦しい時代を迎えた。昭和40年代にはまだ数件残っていたんですが、50年代になり、うちだけになりました」と話すのは御糸織物株式会社の西口裕也社長だ。御糸織物株式会社は、明和町では唯一、全国でも数少ない、藍染から機織りまでを一貫して行う織元だ。1874(明治7)年に創業。戦中戦後の苦難を乗り越え、松阪木綿の歴史と技術を今に伝えている。

 

伝統の技で、明和町のPRを

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中庭には染め上がった糸が竹の竿に掛けられ、天日干しされている。その奥にあるのが藍染めの工場。職人さんが天然の藍を使う「正藍染」という昔ながらの製法で丁寧に染め上げている。真っ白な糸の束を藍液に浸け、絞りながらゆっくり引き上げる。ほぐされて空気に触れると、糸は美しい青に変わる。絞って、ほぐして、また浸す。これを何度も繰り返し、深い藍色の糸へと染めていく。機械化されて作業負担は軽減されたが、仕上がりを決めるのはベテラン職人の経験と勘が頼りだ。

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染め上げた糸は、隣の紡績工場で織り上げられる。工場に響くガシャンガシャンというリズミカルな音は、どこか懐かしく心地よい。手動織機に近い古い機械を使っているからか、織り上げられる布は温かい風合を持つ。濃淡の異なる縦糸と横糸を組み合わせて織り上げられる柄は約40種類。伝統的な和柄から、チェックのような現代的なものまでバリエーション豊かに揃っている。「元々は野良着や着物が多かったんですが、最近ではシャツも人気があります。」

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西口社長が着ているシャツも御糸織物。明和町役場の夏の制服としても採用され、毎週水曜日に職員が着用しているという。「これまでもシャツや名刺入れを作ったり、本や大学の卒業証書の表紙などにも使っていただいたりしていますが、私たち地域の中の人間の発想だけではなかなか難しい。外からの、全く違う発想で、アイデアのヒントになるような提案をしていただけたら。」と西口さんはプロジェクトに期待している。「小さな町だし、伊勢と松坂に囲まれて難しい部分はあると思うが、明和町をアピールできる特産品や場所などができればいいですね。」

 

代表的な伊勢土産「擬革紙」

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江戸時代に松阪もめんと並び、お伊勢参りのお土産としてはもてはやされたのが、和紙を革に模して加工した「擬革紙」の煙草入れだ。
擬革紙とは名前の通り、和紙を加工し動物の革に似せた紙。 堀木忠次郎(三島屋、のちの三忠)が、ヨーロッパから輸入されていた金唐革を模造し、雨合羽の油紙を改良して作ったのが始まりと伝わる。「江戸時代は 豚や牛の肉を食しなかった。だから豚革、牛革は海外から輸入しなければならなかったので、非常に高価だった。その高価な革に憧れて、和紙を加工して革に似せたのが擬革紙です。」(堀木茂さん)

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鉄砲の伝来とともに伝えられた煙草。当時、刻み煙草の携帯には布製の巾着が使われていたが、湿りやすかったため、擬革紙製の煙草入れは評判になる。また伊勢神宮参拝には不浄なものとして革類を持ち込むことが許されなかったため、擬革紙製の煙草入れが参宮土産として人気を集めた。かつては伊勢神宮へ続く街道には100軒もの擬革紙の煙草入れを売る店が軒を連ねていたという。明治時代になると、金唐革の代用品として擬革紙を輸出。1900年のパリの万国博覧会では金賞も受賞するなど、ヨーロッパでも高い評価を得る。しかし昭和にはいると、新材料の台頭もあり徐々に衰退。三忠も昭和10年に廃業、擬革紙の加工技術も途絶えてしまった。

 

仲間とともに、失われた技術を復興

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「15年ほど前に再現できないかなと思い一人でやってみたが、なかなかできなくて。今の(参宮ブランド擬革紙の会の)メンバーが応援しようと仲間に入ってくれて、今は15名で相談しながらでやってます」。そう話すのは堀木忠次郎の子孫で8代目にあたる堀木茂さん。製法に関する資料は全く残っていなかったため、試行錯誤を繰り返してきた。「暗中模索です。まだまだ完全ではないし、昔のものには及ばないが、何とか形になってきた」というところまでたどり着いた。2013年には三重県の指定伝統工芸品にも認定された。

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これからの課題は再現された擬革紙をどう活用していくか。名刺入れや巾着袋、帽子にカバン、アクセサリーなど、参宮ブランド擬革紙の会のメンバーとともに作品を作り、活用方法を提案しているが、まだ多く可能性を持っている。

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「昔の人作った技術を、後世に伝えていきたいですね。そういうことに興味がある若い方がいるといいですね」という堀木さん。
江戸時代の粋を代表する御糸織物と擬革紙。伝統の技術と歴史を受け継ぐ若き担い手がプロジェクトに参加し、新たな参宮土産が誕生することを楽しみにしている。

 

「伝統工芸」について、さらに詳しいお話を!

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2016年12月15日(木)19時から、東京で明和町取材のイベントが開催されます。

イベントでは、伝統工芸の技術を使って、今の生活に合わせた商品を作り、社会に提案されている株式会社KARAFURUの黒田さんに現在の暮らしと伝統工芸についてお話いただくとともに、日本酒プロジェクトの千田さん、そして、茨城県里美地区の地域おこし協力隊を卒業後、地域に残り、起業して地域を元気にする活動に精力的に取り組んでいらっしゃる「合同会社ポットラックフィールド里美」さんの御三方にお話しを伺います。どうぞ、12月15日(木)は三重テラスまでお越しください。お待ちしております!

お申込みはコチラまで!
https://goo.gl/forms/uR5vYd7z9IIevI7p2

・伝統工芸が好きな方

・人と人をつないで、新しいプロジェクトを進行することに興味のある方

・三重県とはこれまでご縁が無かったけれど、気になる!という方も!

皆さまお誘いあわせの上、ご来場ください。お待ちしております。

山田智子
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私が紹介しました

山田智子

山田智子岐阜県出身。カメラマン兼編集・ライター。 岐阜→大阪→愛知→東京→岐阜。好きなまちは、岐阜と、以前住んでいた蔵前。 制作会社、スポーツ競技団体を経て、現在は「スポーツでまちを元気にする」ことをライフワークに地元岐阜で活動しています。岐阜のスポーツを紹介するWEBマガジン「STAR+(スタート)」も主催。 インタビューを通して、「スポーツ」「まちづくり」「ものづくり」の分野で挑戦する人たちの想いを、丁寧に伝えていきたいと思っています。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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