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2017年6月7日 大川 晶子

移住は引っ越し感覚!静岡県三島市からの新幹線通勤で叶える新しい暮らし方

松久晃士さんは愛知県名古屋市出身。東京で就職し長年暮らしていましたが、長女の由香里ちゃんが生まれる頃から「東京で働き、東京に住む」ことが全てなのかと疑問を持ち、広範囲で移住先を探し始めました。由香里ちゃんが生まれて半年経った2016年9月、妻・綾子さんの地元である静岡県三島市に移住。現在は夫婦ともに移住前と同じ職場に新幹線通勤しています。移住を決めた三島市の魅力や暮らしぶり、新幹線通勤について伺いました。

移住のきっかけは娘の保育園探し

三島市があるのは静岡県東部。箱根山麓に位置し、富士山を望む市内の各所には、富士山の伏流水が湧き出ていて、暮らしの近くにきれいな水がある“水の都”としての街づくりを行っています。特に、市内の楽寿園から流れる源兵衛川は、ホタルが舞い、子どもの遊び場にもなっています。市内の中心部にそうしたスポットがあることも三島市の特徴の一つです。

▲源兵衛川

そんな三島市へ移住したのは、ともに東京の企業で働く松久晃士さん・綾子さんご夫妻。

名古屋出身の晃士さんは、企業や組織の働き方改革を支援する「ワーク・ライフバランスコンサルタント」として働き、静岡県三島市出身の綾子さんは外資系企業で人事の仕事をされています。お互いのキャリアを尊重しているお二人が移住について考え始めたきっかけは、綾子さんが長女である由香里ちゃんを妊娠したことでした。

「東京で娘を預けられる保育園を探したのですが、見学することすら難しく、見学できても入園の話にはなりませんでした」。当時の状況を晃士さんは話します。

出産後も同じ職場に通えて子育てに適した環境を求め、当時住んでいた目黒区を離れて、埼玉県や千葉県、神奈川県など広範囲で引っ越し先を探しましたが、候補に上がった先でも保育園に入るのは難しい状況だったそうです。

そのまま綾子さんは産休に入り、実家のある三島市で里帰り出産をしました。晃士さんはしばらくの間、平日は東京、休日は三島を訪れていました。

「妻が里帰りしてから、東京と三島を行ったり来たりしながら、保育園探しもしていました。三島市の雰囲気を知る中で三島周辺への移住もいいんじゃないかと思っていました。そしたら、妻も同じ考えだったようです。」と、当時の心境の変化を振り返ります。

その後、綾子さんと同じく晃士さんも育児休業を取得し、由香里ちゃんが生まれた2016年3月からの約2カ月間を綾子さんの実家で過ごします。この時、晃士さんは初めて三島で「暮らす」ことを体験します。この2カ月間が、晃士さんにとってさらに三島市の地理や雰囲気を掴むことができたよい機会だったといいます。

▲松久晃士さん

三島市の他にも、複数の周辺市町を検討し、実際に役所の窓口を回って情報を集めたという晃士さん。なぜ三島市に決めたのでしょうか。

「妻の実家があるというのもありますが、子育て環境を調べる中で、三島は子育て支援が充実していて、しかも市役所に行った際の窓口の方が『よく来てくれました!』という雰囲気で。そんなことは他の市町ではなかったんです」と、三島市のウェルカムな雰囲気が、移住の決め手になったといいます。

さらに、中学校卒業まで医療費が無料であったり、「病児・病後児の保育サービス」があったりと心強い支援制度が整っていたことも移住を後押ししました。

その後、お二人は自分たちで6月から2ヶ月ほどかけて物件を探し、地元の不動産屋で現在の住まいを見つけます。そうして2016年9月に三島市へ移住しました。

自宅から徒歩3分ほどの保育園に由香里ちゃんの入園がきまると同時に晃士さんが職場復帰。12月に綾子さんも職場復帰し、お二人ともに移住前と同じ職場に新幹線通勤しています。

新幹線通勤がキャリアも子育て環境も叶えてくれた

「『移住』というとすごく大それたもののように聞こえますが、私たちの移住は、価値観の大転換を必要とするものではありませんでした。移住というよりも、引っ越したという感覚です」と、お二人。

松久さんご夫妻が三島市への移住を「引っ越し」という理由の一つが、三島市の恵まれた交通アクセスにあります。

三島市は、首都圏から100km圏内に位置し、東海道新幹線を使えば「三島」駅から「品川」駅まで47分 で行くことができるため、多くの市民が東京の企業や大学へ出勤・通学しています。また、「三島」駅には新幹線の車両基地があるため、朝の通勤時間帯に「こだま号」の始発が6本も出ていることが、座って通勤ができるという快適さにつながっているのです。

▲「三島」駅

「職場への通勤時間を調べたのですが、東京の吉祥寺から通うのとほぼ変わりません。しかも自分だけの空間を毎日確保でき通勤時間がとても快適で充実したものになります。もちろん新幹線が運行停止になるなど何か起こった際に、距離があるのは不安要素ではありますが、それでも快適な新幹線での通勤と三島の恵まれた子育て環境には勝るものがあります」と晃士さん。最寄りが新幹線停車駅なので、名古屋方面に出張や帰省で行くにも便利で、乗り換えの時間など移動に無駄がないといいます。

綾子さんも「静岡県から通勤するの大変じゃない?と職場でよく聞かれますが、そんなことないんですよと返すのが、挨拶のように通例になっています。」と、「三島」駅からの新幹線通勤の快適さについて教えてくれました。

「自然豊かで子育て環境に恵まれた三島市に住みながら、これまでの東京での仕事を継続させるという、持続可能なライフスタイルを描いて行こうというのが私たちの考えです」と松久さんご夫妻。お話を伺う中で、お二人の価値観をはっきりさせ、その価値観に合った三島市での暮らしが、心のゆとりにつながっているのだと感じました。

三島市の暮らし

持続可能なライフスタイルを描いていく。その言葉は、お二人の暮らし方にも表れていました。東京で暮らしていた頃に比べて、生活の仕方にも変化が生まれたといいます。

東京で暮らしていた頃は、お二人ともに6時半に起床。8時に揃って出勤し、早く帰宅した方が夕食を作るという流れだったそうですが、三島では由香里ちゃんの食事や保育園への送り迎えがあるため、タイムスケジュールをお二人で少しずらして対応しています。

綾子さんは5時に起床、6時半過ぎに家を出て新幹線に乗り8時前には就業。逆に退勤は早く、16時に会社を出て17時半には保育園にお迎えに行っています。

「勤務先がフレックスタイム制を取り入れているので、私は早めに出勤して早めに退社しています。帰りの新幹線は30分に1本くらいになってしまうので、それを逃さぬよう仕事の段取りが良くなりましたし、私がいない間に他の人が仕事をできるよう“仕込む”ことで効率的になりました」。

一方、晃士さんは6時に家族全員で朝食を摂れるように起床し、7時~8時に保育園へ由香里ちゃんを預けてから新幹線で出勤。19時には帰宅できるようにしているそうです。「娘が起きている時間に帰ってきたいので」と、晃士さん。さまざまな物事に興味を持ち、すくすくと育つ由香里ちゃんに温かい眼差しを向けていました。

また新幹線内では、綾子さんは個人のメールチェックや読書をしたり、思いついたことをメモに取ったり。「以前から新幹線は集中できる最高の執務室だと思っています」と話す晃士さんは、読書や資格の勉強をしていると言います。お二人それぞれが一人きりになれる新幹線内の時間を有効活用しているようです。
現在の休日は、お住まいのすぐ近くにある三嶋大社や源兵衛川に遊びに行くという松久さん家族。

「東京の友達が三島になかなか遊びに来られないのは少し寂しいですが、こちらでも市が開催しているイベントを通して友達ができました。」と、晃士さん。三島に住み始めて間もない頃は、東京と比べて夜が早いことに驚いたと言いますが、慣れればそれが当たり前となり、三島での暮らしを楽しんでいるようです。

ご近所づきあいに関しても、「娘と一緒に街を歩いていると近所の方から声を掛けてもらえますし、地域のみんなで子どもを育てていこうとする雰囲気を感じます。」と晃士さん。

価値観に縛られなければ選択肢はたくさん

今後の目標ややりたいことについて尋ねると「しゃぎり(三島囃子)」を挙げてくれました。「しゃぎり」とは太鼓と笛、摺鉦(すりがね)による囃で、静岡県無形民俗文化財指定にされている伝統芸能。毎年8月15〜17日の3日間開催される三島の夏祭りの際に、三嶋大社鳥居前で当番町が行う「競り合い」は勇壮です。


▲松久さんご家族のお宅近くから見える富士山

また、晃士さんは、キャリアを活かして「三島市男女共同参画プラン推進会議委員」に就任。英語が得意な綾子さんは、三島市からほど近い伊豆市が「東京オリンピック・パラリンピック」での自転車競技の会場となっていることから、ボランティア採用が決定しているそうです。

東京で築き上げたキャリアを活かしながら三島ならではの暮らしも満喫している松久さんご夫妻は、三島市への移住を「少しだけ視野を広く持つと見えてくる選択肢のひとつであった」と振り返ります。

「いま日本社会全体で働き方が大きく変わろうとしていますよね。働く時間や場所の柔軟性は今後ますます高まっていくことが期待されていると感じます。そのような社会で「東京で働き、東京に住む」というような固定された価値観の一歩先を歩くような夫婦・家族のロールモデルでありたいと考えるようになりました」。

仕事でまさに「働くこと」に関わるお二人だからこそ、由香里ちゃんという新たな家族を得たことで直面した新たな課題に対し、出した答えが三島市への「引っ越し」でした。

松久さんご夫妻はこの経験を活かし、東京に住み続けることによって問題が生じている方に対して、「三島市に引っ越す」という選択がその問題を解決する可能性もあることを、提案していきたいと話してくださいました。

取材先

松久晃士さん

「ワーク・ライフバランスコンサルタント」で、妻と長女の3人家族。東京で暮らしていたが、保育園探しが困難であったことをきっかけに、子育てに適した環境を求めて妻の地元である三島市に2016年9月に移住。夫婦ともに育児休業取得の後、東京で暮らしていた時と同じ職場へ新幹線通勤している。

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大川晶子

大川 晶子1986年、静岡県三島市生まれ。エディター・ライター。 京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科(近代建築史専攻)を卒業し、住宅やインテリア雑誌の編集部を経てフリーランスとして活動しています。たくさんの人・もの・ことに触れてその魅力を伝えることで、一人でも多くの方の暮らしをより豊かなものにできたらと思っています。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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