東京のテレビマンとしての多忙な暮らしの中偶然出会った、地方で暮らすという選択肢
JR「富士見駅」から約10分、八ヶ岳に向かって車を走らせると乙事(おっこと)というエリアに入る。山の裾野の深い森、もののけ姫の乙事主(おっことぬし)の名前のモデルともなったとも言われている場所だ。舗装されていない道をガタゴト進むと、突然森が開け草原が現れる。この森の中にぽっかり空いた草原でひときわ目立つ赤い屋根のログハウス、それがテーブルランド八ヶ岳珈琲工房だ。
そもそも、テレビのディレクターとして訪れたのがきっかけだったのだと英貴さんは言う。放送作家さんが、原村でペンションを経営しており、そのつながりで番組の撮影を原村(※富士見町に隣接する村)で行ったのだそうだ。
「僕は東京出身で、東京しか知らなかったので、『ああ、こういう自然の中での暮らし方もあるんだ。』というのを知ったんです。それまでは、とっても不健康な生活を送っていました。1週間ベッドに横にならないこともあるような生活で、でもこの生活を変えようとかそういうことを冷静に考える余裕もないような時期でした。元々オートバイにテントを積んで、キャンプしながらあちこちツーリングして回るのが趣味だったので、こっちに来るようになってからは、自然の中で毎日キャンプのような生活を送れたらどんなに幸せだろうっていう、まあいずれ実現させたいけどあんまり現実味はない、憧れを持つようになったんです。」
番組がきっかけで出会った泉さんと英貴さんは結婚し、東京での暮らしを続けていた。
東京でマンション購入を検討していたふたりに、突如訪れた転機
結婚生活を東京で送りながら、やはりふたりも多くのカップルと同じように、東京でのマンション購入を検討しはじめた。しかし、物件探しは難航。そんな折にタイミングよく放送作家さんから「いい土地があるから見に来ない?」という連絡があったのだそう。
遊びに来るような気持ちで訪れたふたりだったが、あまりのロケーションの美しさに一気に魅了されてしまったのだ。しかも、都内でマンションを買う金額で、土地を買ってログハウスまで建てられるとくれば、元々自然豊かな場所での生活を夢見ていたふたりだ。気持ちが移住へと傾くのも無理はない。英貴さんはテレビの仕事を続け、週の半分ずつを東京と富士見町で過ごす二拠点生活をスタートさせ、泉さんは仕事を辞め富士見町に完全移住した。
この山深い森の中、週の半分を女性ひとりで過ごすことに不安はなかったのだと、泉さんは言う。
「どちらかというと、東京でひとり暮らししていた頃の方が、怖いという気持ちがありました。移住した人で、旦那さんが来たくて来たくて移住した人の中には、奥さんが嫌になって帰っちゃうパターンもあるみたいなんですけど、私たちはふたりで同じ気持ちできたから、ひとりでいるのも平気でしたね。虫はちょっと怖かったけど、熊もいないし、鹿は襲って来ないから。」
富士見町に移住し、生活に慣れて来ると、泉さんもなにか始めたいと思うようになったのだそう。そこで、以前東京にいた頃習っていたパン作りを本格的に勉強し、東京で師範クラスに通うことにした。富士見町でパン教室を始めるためだ。このことが、その後の英貴さんの生業を変える出会いを呼び寄せる結果となったのだから運命とはよく出来ている。
テレビディレクターから珈琲の焙煎へ、新たな出会い
英貴さんにとって、忘れられないコーヒーの味があった。テレビの仕事で木更津に行った時のことだ。駅前のなんてことない、どこにでもあるような喫茶店に入って飲んだコーヒーとの出会いを、英貴さんは「衝撃的な出会いだった」と語る。
「それは今までに飲んだことないコーヒーで、コーヒーが甘いって初めて感じたのね。それまでコーヒーはただ苦いものだと思ってたからすごく感動して。それはKEY COFFEEのトアルコトラジャだったんだけど、それを買って来て家で飲んでみても全然おいしくない。いろんなお店で飲んでみても、やっぱり全然おいしくない。木更津で飲んだあのコーヒーが飲みたい、だけどどうすればいいのか分からない。そういう時期だったんです。」
一方泉さんは、富士見町の市街地に場所を借りて、パン教室を始めていた。富士見町だけでなく、近隣から生徒さんが集まり盛況。生徒の多くが近隣の女性だったが、その中に熱心にパン教室に通う一風変わった男性がいた。その方の本業は、コーヒーの焙煎機を作ることだったのだ。
木更津で飲んだコーヒーの味を探し求めていた英貴さんは、「その焙煎機を作っているおじさんの所で飲んだコーヒーが、まさにあの木更津で飲んだ甘いコーヒーだった」と振り返る。自分でも味を再現できることに感動した英貴さんは、その方の元でコーヒーの勉強をし、コーヒー豆への造詣を深めていった。
点と点が、線につながる
ちょうどその頃英貴さんの中で「この富士見町の自然の中にできるだけ長くいたい」という気持ちが芽生え始めていた。東京に通うのが嫌になり始めてたし、テレビの仕事に対しての情熱も薄れて来ていたことも、富士見町での生活時間を増やしたい理由のひとつだった。そんなタイミングで、自分の求めていたコーヒーの味に、しかも身近な場所で遭遇するとは、見えない力で引き寄せられているよう。
「その時はそんなにつながっているとも思っていなかったけど、あとで振り返ると、色々なことが重なってつながって前に踏み出せたのかもしれないですね。」
ひとまず東京での仕事を続けたまま、泉さんの主催するパン教室と雑貨販売に加えて、英貴さんの焙煎するコーヒー豆の販売を始めた。仕事の重心を東京から富士見町へと少しずつ移し、夫婦ふたりでお店をスタートさせる準備が始まっていた。
何より大切なのは、家族と自分の人生
ふたりで常に一緒にいることで息が詰まることはないのだろうかという考えがふと頭をよぎり、そう伺うと英貴さんがあるエピソードを話してくれた。
「そう、あれは忘れもしない。引っ越して来てすぐの夏の初めに、東京に仕事に行く日の朝、蟻が家の中に列をつくってたのね。でも出かけなきゃ行けないから、車で駅まで向かってたんだけど、助手席を見たら妻が泣いてんのよ。その頃妻は蟻が本当に嫌いで、なのに俺が東京に行ったらひとりになっちゃうから。それ見て俺は会社に電話して、「今日行けません」って言ったのよ。あのときの判断は正しかったね。あのとき会社に行くことを選んでたら、(妻は)ここにもういなかったかもしれないね(笑)」
これが笑い話になるのも、それまでの困難をふたりで悩み、解決して来たからだ。もちろん地方に移住したからといって、夫婦で一緒に仕事ができる人ばかりではない。それでも、生活の中で家族の存在を上位に置くことを願い、仕事ばかりが優先される生活から脱却するのは、個人の心がけ次第だ。それに、家族で過ごす時間の中で、どれだけお互いに向かい合えるかが、都市に住んでいても地方に住んでいても家族の結びつきを強くするのではないか。
「夫婦がずっと一緒にいるっていうのは、ぜひみなさんにお勧めしたいことですね。絶対仲良くなるし、楽しくなる。最初は 慣れないことすると多少反発もあるけれど、そこを乗り越えるとぐっとよくなる。会社員だと家族よりも職場の人との方が長い時間一緒にいて、家族の大切さを忘れてしまうこともあるんだけど、自分が身体を壊したとき、それでも近くにいてくれるのは家族しかいないなって分かったんだよね。何が大切かって、仕事じゃなくて家族だったり、自分の人生だからね。本当は家族を大事にしないといけないってしみじみ思ったんだ。それでも移住する時に、絶対何か後悔することもあるだろうって覚悟はしてきたんだけど、それが一切ない。」
流れに身を任せ、富士見町への移住を決め、その後も素敵な縁と運命で今の生活を作り上げたように見えるふたりだが、どんな生活にも迷いや困難は付きものだ。英貴さんの語るメッセージは、移住を検討している人だけでなく、日々選択を繰り返す私たちにとって普遍的なアドバイスかもしれない。
「人のせいには絶対しちゃいけない。どんなに用意周到な人も失敗するかもしれないけれど、人のせいにした時に失敗するんだと思うよ。自分で選んでいれば、嫌なことがあっても乗り越えられるだろうし、乗り越えるしかないし。人のせいにした途端に嫌になって逃げたくなっちゃうから。」
人生で何を大切にしたいか、夫婦にとって何が幸せかを追求しながら、導かれるかのように、まさに自然体で歩んで来たご夫婦。どこに住むか、どうやって生計を立てるかばかりを心配してしまいがちな移住だが、まずは踏み出す勇気を持つことも必要だ。英貴さんは、「人間的な生活」という言葉を使って、富士見町での生活を表現した。美味しい井戸水に新鮮な空気、昼間働き夜には寝ること。温かな家庭と、親切な仲間。自分にとって必要なものを突き詰めていき、ストレスをひとつひとつ取り除いていくと、シンプルな生活に行き着くのかもしれない。