農業と木工芸の盛んな長野県朝日村
山を背負うかたちで松本平を見下ろす場所に位置する朝日村は、県内有数の葉物野菜の産地でもあります。塩尻から松本を通り安曇野へと続く街道は、朝日村を通らず目と鼻の先を通過していく――朝日村の奥には山がそびえるため、地元の方は村への愛情の裏返しで「どんつき(=突き当たり)の村」というのだそう。経済的な発展を遂げ、国道沿いにチェーン店が並ぶ似たような町が増えたと言われる昨今において、朝日村は昔ながらののんびりとした姿を残しています。
また、木工作家が多く定住する村でもあります。プロ仕様の加工機械を使用することができる「クラフト体験館」という村営の施設では、長野県上松技術専門校で木工加工技術を学んだ卒業生が指導員として働き、その技術指導を受けながら、木工芸の素晴らしさに触れることができます。
豊かな自然と共にある、静かでゆったりとした時間の流れる村なのです。
人生を変えた、ある夏の日のできごと
松本出身の児玉さんは、国鉄(日本国有鉄道)に入社し技術職として勤務していました。民営化の影響で、意にそぐわない配置転換などが多く行われ、それに嫌気をさした同僚が退職していく姿が日常になっていたと言います。そして児玉さんにもその波は押し寄せ、営業職へと配置転換させられました。
「夏の多客期に、松本駅のコンコースでリンゴ売りをやらされたんです。水を張ったビニールプールにりんごを浮かべて、ぽつんとひとり。お盆だったのでりんごの出回る時期じゃないんです。齧っても酸っぱい、ご仏前にお供えするような青いりんごでした。」
それまで技術畑にいて接客業の経験のなかった児玉さんは、嫌で嫌で仕方なかったと言います。そんな中、名古屋へ帰る女性が児玉さんに話しかけてきました。「このりんご、おいしい?」児玉さんが、時期前のため甘くはないこと等りんごの説明をひと通りすると、その女性は「じゃあ、買って帰るわ。」と言ってくれたのだそう。
「初めて人様にものを売るという経験をしたんですね。人前に出て接客するなんて無理な人間だと、その日その時まで思い込んでいましたので、澱が落ちたというんでしょうか。喜んでいただくことって、いいものだなって感じたんですね。人生を変えた一冊だとか一言というのがあるんだとしたら、私の場合はあのりんごと、名古屋からいらっしゃったあのご婦人だと思いますね。」
喫茶店が大好きで、JRに勤務しながら方々の喫茶店を訪ね歩いていたという児玉さんは、この経験で接客業に対する自分への可能性を感じ、以前から「一緒に働かないか」と誘われていた飲食店への転職を決意しました。
定年後にと描いた喫茶店の夢を、前倒しするために
全く経験のなかった飲食業界に入った児玉さんは、調理の現場に立ち、資格を取得。レストランでの店長を10年勤めました。もともと喫茶店が大好きだったこともあり、定年後に自分のお店を持てたらいいなと思っていましたが、夢を前倒しすることを決めました。
そのために、コーヒーの自家焙煎を学びたいと考え、東京にある自家焙煎珈琲の有名店「カフェ・バッハ」での修行を夢見るようになった児玉さんでしたが、週末に開催されれる1泊2日のセミナーへの参加条件としてカフェ・バッハの店主から提示されたのは<勤務先にセミナーへ参加することや、いずれ退職を考えていることなど全てを説明して、理解を得た上で参加する>ということ。
「土日って稼ぎどきですからね。しかも私は店長でしたから。セミナー申し込みの期限が刻々と迫ってくるんですよ。でもこうやってモヤモヤしているのは嫌だと思って、社長に時間を作っていただき、もじもじしながら全てお話ししました。それで部下にも全部伝えて、その週末私が休んでもいいように手はずを整えることができました。」
めでたく憧れの珈琲店で修行ができることになった児玉さんは、お兄様の経営する運送会社に勤務し、トラックの運転手をしながら、月に1~2回朝一のあずさで上京しては、コーヒーの勉強をし、最終のあずさに乗って松本へ戻り、次の朝またトラックに乗るという生活を3年間続けたそう。その生活の中で、運送会社の一角にプレハブの小さなお店を持ち、コーヒーの豆売りを始めることができるようになりました。そして、その小さなお店にだんだんと人が集まるようになった頃、お兄様から「1年以内に、店舗をオープンするための土地を探してみたら?」というアドバイスをもらいました。
予算の関係上、いたしかたなかった
ご夫婦ともに松本出身だったため、土地探しも松本からスタートさせました。でも、松本の土地は高額で手が出せなかったと言います。
「それなら、と周辺町村へと少しずつ範囲を広げていったのですが、松本市への編入が決まっていた村や町もあり、金額的に難しいものがありました。正直な話、朝日村は全く眼中になかったんです。訪れたことすらなかったし、『この村で商売するのは無理だろう』と頭ごなしに決めてかかっていました。でも兄から告げられた退去期限はとうに過ぎていて、仕方なく手付かずで放置してあった朝日村の不動産情報に目を通したんです。そうしたら、あまりの安さに驚きました。」
都落ちという感覚を抱きつつも、希望の広さの土地が買えるのはこの村しかなく、仕方なく視野に入れたこの村。この村で商売が成り立つのだろうか、そう思い地図を広げてみた児玉さん。
「松本で営業していたプレハブの店舗を中心に円を描いてみると、同業他社が何軒かありました。それに引き換え朝日村には、喫茶店がない。隣町へ隣町へとどんどん円を広げていっても、だいぶ離れた場所まで同業は一軒もなかったんです。当時の村の人口が約4800人。そのうち約1000人がコーヒーを飲む世代だとしても、お店のキャパシティで1000人なんて入るわけない。これだけ安いお値段で土地が買えてお店を建てることができて、目の前にはそれ以上の人口が広がっている。それならやれるんじゃないかって思えたんです。」
ひとりひとりに向き合って、地域に愛されるお店に
お店が完成して松本から引越しをしてきたのは年末のこと。その年の大晦日大雪が降り、松本ですぐに溶けて消えてしまった雪も、朝日村では消えずに残っていたのだそう。
「西の山から雪が飛んできて、雪が横に降るのを初めて経験しました。それから3月まで、寒くてため息しかでなかったんです。ここから見える松本の山は日が当たっているのに、この辺はどんよりと曇っていて。時々風花が舞ってきて。決意をしてきたけれど、こんな村こなきゃよかったって思っていました。」
そんな中、ある景色の美しさに児玉さんはハッとさせられました。枝だけになったカラマツに雪が張り付き、その背景には常緑の杉林。
「それからは景色ががらっと変わって見えるようになりました。里山の雪景色っていいものだなあって。そこからはこの村のことが好きになりましたね。先週田植えが終わったんですが、窓から日に日に伸びる稲が見えます。ヒバリやツバメ、シジュウカラの囀りが聞こえたり、夕方ともなればカエルが大合唱を始めます。カッコウの生の鳴き声を聞きながらコーヒーが飲める喫茶店が、近郊に果たしてどれくらいあるのか。いい環境ですよ。」
サードプレイスという考え方があります。自宅でも勤務先でも学校でもない場所。
「とまり木のような場所ってありますよね。親でも上司でも先生でもなく、僕を知っている誰かがいる場所っていうのが。日常生活で何かあった時にワンクッション置けるような、そんな機能を昔から喫茶店は果たしていたんだと思います。入ってきた時と帰っていくときの目つきが明らかに変わっているのを見ることもあります。もちろん直接お話をしてくださる方もいます。こういう場所って必要なんじゃないかって私は思いたいですし、人の数だけ私たちの使い方があるのかもしれませんね。だから、ここじゃなきゃ、私たち夫婦じゃなきゃいけないということだけは心がけています。きちんとお客様ひとりひとりに向き合って。」
こうやってひとつひとつ関係性を積み上げ、「カフェ・シュトラッセ」はお客さんの絶えない人気店となりました。そしてその人気は一過性のものではなく、10年の年月を経ても続き、益々の広がりを見せています。
自立できる人が移り住んだら活躍できる村
土日ともなれば、村への移住希望者がカフェを訪れるそう。
「物件紹介できるわけじゃないんですけど、カフェ・シュトラッセ不動産部とか言ってご相談に乗ったり質問に応えたり、役場の方をご紹介したりしてますよ。来村してくださった方が、村のお店で居合わせた村民の方と同じ時間を共有し、この村の時間を過ごしていって、こういう考え方もありかなって感じてもらうこともできると思うんです。」
これも、10年間かけて児玉さんが大切に交流し築き上げてきた村での関係があるからこそです。村のお祭りに参加して神輿を担いだり、露天商として出店してコーヒーを販売したり。
「一年に一度、村の文化祭でしか会えないおばあちゃんに、『七夕さまだよね』『やだ、困る~』なんて冗談を言って笑ったり。そうやって一年に一度でもうちのコーヒーを飲んでいただけるという機会を、大事に大事にしてきたいなって思ってやっています。」
自分で考え、自立できる人が村に移住してくれたらと考えている児玉さん。カフェ・シュトラッセがオープンしてからというもの、安曇野にあった人気蕎麦屋さんが移転したり、自然農に取り組む若い夫婦が数組移住してきたりと、村は着実に面白みを増しているようです。
「パン屋さん、ケーキ屋さん、美容室、本屋さん、花屋さん、シェアオフィス…。村で営業できるかって常識で考えると、なかなか難しいですよね。でも、僕たちと同じようにここに拠点を置きながら、どこかに売りに行くような事業モデルがあってもいいと思うんです。予算がないから事業化できないというなら、朝日村を視野に入れたらいい。永遠に手に入らない小さなテナントにお家賃を払いつづけるより、その何分の一かで土地を買ってお店が持てる。需要をどう掘り起こすのか、掘り起こすだけでは足りないというなら外へ出て行くアグレッシブさも必要でしょう。それができる方には、活躍できる場所だと思います。これしかできない予算でこれだけのことが実現できたっていう思いを、後に続く人たちにつなげていきたいんです。」
「素直さ」が一番の鍵
村民から「こんな村にカフェを作ってもお客さんは来ないよ。」と言われた朝日村に、ポツンと誕生したカフェ・シュトラッセ。児玉夫婦に会いに、または自然豊かな環境の中でコーヒーを味わいに、様々な目的でお客様がわざわざ訪れるお店となりました。そして、夫婦ふたりの引力に引き寄せられた移住者が増え、広がりを見せています。
児玉さんは、この村で事業を成り立たせることができた秘訣は「素直さ」にあると教えてくれました。
「地域でいち村民として、いち事業者として成功できるかというのは、カフェ・バッハで修行させていただくにあたって、師匠が示してくれた『素直であれ』っということにすべて帰結しているような気がいたします。誰かが『こうしてみたら?』とアドバイスしてくださった時に、『前はこうだったから』『親はこうしてたから』とか、『成功している人はこうしてるようだ』といった聞きかじったことを自分のことのように言うような人間には、『お前はもういいや』ってそっぽを向かれちゃうんじゃないですかね。変なプライドを持たないこと、それがプライドです。」