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2014年6月25日 清水美由紀

自ら選んだ街「松本」を舞台に始めたブックカフェ「栞日」

長野県松本市、かつて写真館だったという小さなビルをリノベーションして生まれ変わったブックカフェ「栞日」。大型書店では目にしないようなリトルプレスやZINE、雑貨が並ぶ。『栞の日。それは、流れ続ける毎日に、そっと栞を差す日のこと。あってもなくても構わないけれど、あったら嬉しい日々の句読点。』栞日の名前の由来だ。訪れる人に栞の日を差し出し続ける菊地徹さんに、松本へ移住したきっかけや、松本で暮らす魅力を伺った。

 

大学在学中に芽生えた「おもてなし」の心

冊子

長野県松本市。四方を山に囲まれた盆地にあり、市街地だけなら自転車でぐるりと簡単に一周出来てしまう、コンパクトな街だ。30年前に全国に先駆けて始まったクラフトフェアまつもとが、近年雑誌やウェブで取り上げられ全国的に有名になったこともあり、「クラフトの街」と呼ばれることも多い。

そのクラフトフェアまつもとの開催地である「あがたの森公園」と、松本駅を直線で結ぶ「あがたの森通り」のちょうど真ん中あたりに、2013年8月松本になかったタイプの新しいお店がオープンした。「book+coffee栞日」だ。

ここには、大型書店で見られるような売れ筋の小説や漫画は置いていない。店主の菊地さんがセレクトした、こだわりの一冊が並んでいる。菊地さんは穏やかな佇まいでそこに居り、時にはその本の背景やストーリーをさりげなく伝えてくれる。

店主の菊地さんは、長野県の出身ではない。高校まで静岡県で過ごし、大学入学時に初めて地元を離れ、茨城県でひとり暮らしを始めた。友人を家に呼ぶようになってからは、せっかく訪れてくれた友達にくつろいでほしいと思うようになり、コーヒーを淹れたり、居心地のよい部屋を作るためにインテリアに興味を持つようになったのだという。

菊地さんの「おもてなし」の心は、この時開花した。研究熱心な菊地さんは、大学在学中にスターバックスでのアルバイトをしてコーヒーについて学び、副店長に次ぐ職位にまでなったのだそう。

「どの街に住みたいか」よりも「学べる場」を求めて

菊地さん

菊地さんが松本へ移ったきっかけは、就職活動だったと言う。 「大学卒業を控え就職活動をするにあたり、海外へ出ることや広告業界へ就職することなども考えましたが、やはり友達を家でもてなすということが好きだったこともあり、接客を本格的に学びたいと思いました。接客の最高峰といえばホテル・旅館業界だろうということで、就職活動の方向性をそちらに絞りました。そこで、松本市にある温泉旅館に就職が決まりました。」

就職活動に関しては、大学時代に暮らした場所への愛着や就職活動のし易さからエリアを選択する学生、もしくは地元に戻る学生、その2つの選択から、エリアを絞り込む学生が多いのではないだろうか。地元の静岡にだってホテルや旅館は多いはずだ。しかし菊地さんはエリアを特定せず、学びたいことが学べる、そんな場所を探して、日本全国に就職希望先を広げて検討した。そのとき候補に挙がった2軒のホテル・旅館は、どちらもたまたま長野県内にあったのだという。そして、就職した松本市の温泉旅館で、人生の伴侶となる奥様と出会った。

「彼女は飲食業がやりたくて福島から松本に出て来て、旅館内のフレンチレストランのサービスをしていました。彼女が先に勤めていた所に僕が入ったので、彼女の方が少し先輩ですね。」

自分なりのサードプレイスを作るために

ディスプレイ

学生時代アルバイトをしていたスターバックスでは、カフェはサードプレイスであるという捉え方をしており、それに共感しているのだと、菊地さんは言う。サードプレイスとは。 —— 生活するにあたり三つの“居場所”が必要だといわれている。第一の場所(ファーストプレイス)が「家」。第二の場所(セカンドプレイス)が「職場や学校」。そしてその二つの中間地点にある第三の場所を「サードプレイス」と呼ぶのだ。そんなサードプレイスをいつか自分で作りたい、それが菊地さんの夢になった。

「いつか自分のお店を持ちたいということは既に考えていましたので、北欧雑貨や家具を扱う会社に転職をしました。将来お店で、飲食も扱うことも考慮して、ベーカリーのある軽井沢店で働かせていただきました。1年くらい働きましたね。デンマークでの買い付けにも同行させてもらいましたし、それは忙しいながらも充実した1年でした。」

当初お店は、10年くらい働いてお金を貯めてからオープンすればいいと考えていた。しかし「やりたいなら早い方がいい!」という両親の後押しもあり、早々のオープンを決めた。店舗を持つことは、初期投資も含め勇気がいることだと思うが、そのプレッシャーはなかったと言う。

初めて積極的に選んだ街、松本

コーヒー

それまで、やりたいことや勉強したいことを優先順位の上位に置き、静岡から茨城へ、そして松本、軽井沢と拠点を移して来た菊池さんだったが、自分のお店をオープンするにあたり選んだのは、松本だった。これが初めて自ら積極的に選んだ街である。

「松本は 『コンパクトシティ』と言われるように、小さくまとまったエリアに生活に必要なものがつまっていて便利なんですね。そして、文化的な基盤がある。僕は、何もない街、といっても本当に何もない街なんてないんですが、まあそういった街にお店をつくってゼロから街を作って行くというよりは、既にある街がもっと素敵になるようなお店をやりたかったんです。サードプレイスをつくることが出来るなら、本屋じゃなくてもよかった。松本になくて、でももしあったら松本がより素敵になるものはなんだろうと考えて、ブックカフェにしたんです。東京では人やお店が多すぎて埋もれてしまうから、そこも地方でやる魅力ですよね。・・・それに山の見えるこの風景がいいんですね。山のある街が好きなんですよ。松本はアルプスの見え方というか、山と街との距離感がちょうどいいと僕は思っているんです。近すぎず、遠すぎない。4階に上がるとアルプスがキレイに見えますよ。」

松本でお店をオープンさせるまでの、こんなエピソードも話してくれた。

「お店をやると決まったものの、まだ場所も決まっていなかったので、松本の街を歩いて気になる空き家を見つけては、隣近所の方に持ち主を聞いたりしながら物件探しをしましたね。公園の東屋にMacを持って行って「ここが事務所だ」なんてやっていました(笑) 彼女も、公園の東屋に行けばいるだろうなんて、僕に会いに来たくらいです。」

それまでの凛とした仕事人の顔に、ふっと柔らかさが浮かぶ。

つながりが、つながりを生む。

談笑

インタビューの間にも、常連客がコーヒーを飲みながら菊地さんと言葉を交わす。ここには集い易い雰囲気が流れており、菊地さんを中心にして知らない者同士が話を弾ませていく。こんなつながりも、少しずつ自然と生まれていったもののようだ。

「旅館にいた頃、僕は社員寮に住んでいましたし、旅館は市街地からは遠く離れた山の中なので、松本の街との接点は全くありませんでした。彼女は旅館に勤める前に、その系列のレストランで働いていました。そのレストランは市街地にあったので、常連さんと仲良くなったり、街の方との接点もあったんですね。なので、彼女にオススメのカフェやお店を聞いては、休みの日に客としてお邪魔するということを続けていました。その頃行っていたお店の方が、今うちに来てくれることもあるんですよ。松本は、お店の人同士が仲がいいなと感じます。同業だと、ライバルみたいになって、あまりいい関係でなくなるようなこともあるじゃないですか。そういうのが松本にはないなって思いますね」

オープンから約1年。栞日では、松本近隣だけでなく全国からアーティストやクラフト作家が訪れ、展示やトークショーが開催される。たった1年でこれほど多くのつながりを生み出し、松本の風景となった栞日。益々楽しいコラボレーションを生み出し、松本の街から全国を盛り上げていってくれるのだろう。

学生の頃から、自分の人生にとって必要なピースを探しては、確実に行動に移し成長して行く。やわらかな物腰の奥に秘めた芯の強さは自分の居場所をつくる原動力になるのかもしれない。

取材先

「栞日」菊地徹さん

所在地
〒390-0815
長野県松本市深志3-7-5

電話番号
0263-87-5377

Webサイト
http://sioribi.jp/

清水美由紀
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清水美由紀

清水美由紀フォトグラファー。自然豊かな松本で生まれ育ち、刻々と表情を変える光や季節の変化に魅せられる。物語を感じさせる情感ある写真のスタイルを得意とし、ライフスタイル系の媒体での撮影に加え、執筆やスタイリングも手がける。身近にあったクラフトに興味を持ち、全国の民芸を訪ねたzine「日日工芸」を制作。自分もまわりも環境にとっても齟齬のないヘルシーな暮らしを心がけている。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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