館山からデュアルライフを発信する「ミナトバラックス」
館山市の湊エリアにある「MINATO BARRACKS TATEYAMA 3710(以下、ミナトバラックス)」は、元公務員宿舎を、賃貸住居・ゲストルーム・DIYレンタルガレージ・カフェ等を併設した複合施設としてリノベーションするプロジェクトです。2017年4月にグランドオープンを迎え、「都心から70分、人が集まるDUAL LIFE拠点」というコンセプトのもと、東京などの都市部住民に向けてデュアルライフ(二地域居住・二拠点居住)を提案するなど、新しい暮らし方、働き方の拠点としても注目されています。
「“リノベーション特区”と勝手に題しまして(笑)、部屋のDIY可能、原状回復義務ナシ、DIYガレージ等共用スペース付で敷金・礼金0円の物件です。住居として二地域居住の拠点として、SOHOの利用や開業等にもオススメです。」
「ミナトバラックス」についてそう紹介する漆原さんは大阪生まれ、埼玉育ち。大学在学中に仲間と起業し、その後はCG制作を行うベンチャー企業への就職、様々な経験を積み、再起業を果たします。起業時に設定した「収入を前職の給料の3倍にする」という目標も達成し、順風満帆な生活を送っていた漆原さんでしたが、ある時、心に穴が空いてしまったような感覚になったといいます。
「いざ目標を達成してみると、この次はどうしよう・・?と、仕事をする意義を失ってしまった状態でした。」
母親と自分の病気がきっかけ
心機一転するためにも別荘を建てようかと思い、海沿いの街を中心に物件を探していたところ、たまたま見つけたのが館山市の隣、南房総市の富浦にある土地でした。しかし、結局別荘建設はうまくいかず、今度は埼玉県に住んでいた母親が病気になるという事態に。そこで、漆原さんは両親に、埼玉県にあった持ち家の売却を提案します。
「売却で得たお金を元手にアパートを建設して、両親にはのんびり暮らしてもらいながら家賃収入で両親を養おうという計画でした。そこに見える黄色いアパートですよ。」 こうして2008年、館山市の湊地区に戸建てとアパートを建設し、アパート経営を行いながら、サラリーマンとして働く日々が始まりました。
この間、IT関連企業へと再就職を果たしていた漆原さんでしたが、多忙な毎日に追われ、仕事のストレスからパニック障害に陥ってしまいます。
「夜に車を運転していたら、地震のようなガクガクッという感覚に襲われて、車のスピード感や距離感が分からなくなってしまったんです。今地震あった?と隣の妻に聞いたんですが、そんなことないよ?と言われ、心と体が悲鳴を上げていることに気づかされました。」
「当時、子どもがまだ2歳で大事な時期でしたし、自分の体のためにも会社に雇われない生き方をもう一度考えないといけない、と強く思いました。」
不動産投資を学び人気ブロガーに
では何をやろうか、と考えた漆原さんは、両親のために行っていたアパート経営が不動産投資であったことに気づきます。それからは、不動産投資について独学で猛勉強。2011年に千葉県船橋市と埼玉県八潮市に中古マンションをそれぞれ1棟ずつ購入します。
「借り入れた金額は大きかったですが、キャッシュフローとして毎月お金が入ってきて利益を生み出しているので、とりあえず誰にも雇われずに生きる事はできそうだと感じました。」
購入したマンションの部屋はほとんどが埋まり、順調なスタートを切った「サラリーマン大家」生活。漆原さんは、その中でもなかなか入居が決まらなかった八潮の物件の1室を、DIYでリノベーションし、別荘とすることに。2012年からは、毎週末八潮の別荘(部屋)に通い週末別荘生活を送りながら、DIYを楽しむようになったそうです。ここから、あくまで個人的な趣味で行っていたリノベーションは、予想外の展開に発展していきます。
「リノベーション雑誌の、白いソファーが似合うお部屋募集というモニター企画で選ばれ、ソファーをもらいました。リノベーションしたらモノももらえるんだなって。その企画の後に、雑誌の編集担当者から、WEBマガジンを立ち上げるからブログを書いてほしいと依頼があったんです。」
このWEBマガジンの公式ブロガーとなった漆原さんのブログはすぐさま人気となり、DIY活動がインテリア雑誌に取材されるほどになりました。
「これは面白いなと思いましたね。不動産投資とリノベーションをうまく絡めれば本職にできないか、考え始めたきっかけでした。」
不動産投資とリノベーションという分野に可能性を感じていた漆原さんは、さらにカスタマイズ賃貸住宅の第一人者である青木純さんのような「コミュニティの前面にたち、新しい暮らしをリードする」生き方に憧れを持ち、さらに次の行動に移していきます。
「ミナトバラックス」の誕生
そんな時、館山のアパートの隣に使われていない官舎があることを思い出した漆原さん。
「数年経てば売りに出されるだろう、と直感しました。落札できたら、直営で大家をしながら、建物や部屋をリノベーション、DIYし放題の空間にしたいと考えていました。」
2016年8月、予想通り競売へと出された公務員宿舎を落札、単なる賃貸住居ではなく「都心から70分、人が集まるDUAL LIFEの拠点」をコンセプトにリノベーションを進め、2017年4月に「ミナトバラックス」をオープンさせました。
「あれをやろう!これが出来たらこれをやろう!と一つ一つ繰り返していたら、気づけばもともと両親のために用意した館山の地に帰ってきた、という感じです。」
そう笑う漆原さんは、「ミナトバラックス」のオープンと同時に一家そろって館山の地へ移住しました。現在は、1週間のうち2日間は引き続き東京の会社での仕事に携わる「サラリーマン」、5日間をここ館山で「大家」として暮らしています。「ミナトバラックス」では、DIYによるリノベーション作業、清掃、ゲストルームの準備・片付け、キャンピングトレーラーの「エアストリーム」を使った貸別荘の管理など仕事は多岐に渡ります。
「この日が休みでこの日が仕事という区切りがなく、朝起きて草むしりをして、子どもが海に行きたいと言ったら海に連れて行き、戻ってきたらまた別の作業に入るといった毎日です。家族との時間はしっかりと取るようにしていまして、18時頃には家族と夕飯を食べていますよ。」
家族と過ごす時間について楽しそうに話す漆原さんに、この館山の地に出会ってからの約10年について聞いてみました。
「この10年間で様々なことを経験しましたが、子どもができて子どもと一緒にいることがこんなにも心を豊かにしてくれることだと気付くことができた時間でもありました。子どもにパパの夢は何?と聞かれることが怖かった時期、自分は何を生きがいにしているんだろう?と自問自答する日々もありましたが、今では「ミナトバラックス」でその答えにたどり着くことができたと感じています。」
地域を巻き込む大家族コミュニティに
11部屋ある「ミナトバラックス」の居室には、現在、単身者や夫婦、子育て世代の家族など20代から60代までが暮らしていますが、この建物自体がコミュニティとなっていることも特徴です。
「入居者同士で大家族みたいな関係になることができるのも魅力です。ここを始めるにあたってある程度のシナリオ作りはしていましたが、いざ蓋を開けてみると思った以上に素敵な日々が訪れていて驚きや発見の連続です。」嬉しそうに話す漆原さん。
また、「ミナトバラックス」では定期的にイベントも開催されています。5月には鯉のぼりをあげ、7月には七夕飾り、8月には夏祭りを開催。焼きそばやかき氷を提供し近隣の方を含め子育て世代を中心に、30組ほどの家族が祭りを楽しんだそうです。
さらに、「ミナトバラックス」住人の会、「ミナ会」というイベントも開催されています。
「実は、昨日も開きまして、住人の方から頂いた茄子を、また別の住人が料理してみんなで食べたり、わいわいみんなで語り合ったりしました。10日に1回くらいの頻度で、いつも3家族ぐらい集まって開催しています。」
「私の娘は一人っ子なのですが、「ミナ会」の時は一気に弟や妹ができた感じでとても楽しそうですね。ここでの暮らしは、子どもにとって良い変化が見られる事が多く、子どもの成長を実感する時でもあります。私の子どもも学校から帰ってくると住人のご近所さんにも大きな声でただいま〜!って、家族みたいに元気良く挨拶しますよ(笑)。」
取材に伺ったこの日も敷地内では入居者の家族がハーブの苗を植える姿も。暖かいコミュニティがある「ミナトバラックス」の暮らし。入居者からの評判は上々の様子です。
「トゥクトゥク」がつなぐ街の魅力の輪。
敷地の中だけでなく、周辺地域を巻き込んで発展し始めた「ミナトバラックス」の活動。
漆原さんは、現在も新しい価値や場を生み出す活動を模索中で、今後はリノベーションを通して館山の街の活性化をしていきたいと話します。
「館山には魅力的な場所などのポイントが多くありますが、それぞれを繋げる移動手段が乏しいのが欠点です。地方都市特有のマイカーを持っていないと生活が不便な事もウィークポイントの一つ。せっかく館山を訪れたバックパッカー達も交通手段がなければ動く事ができません。交通手段が絶たれると街の活性化に問題が生じてしまうのが現状なんです。」
そんな館山の街の課題を解決すべく、既に動き始めていました。
「交通手段の問題を埋めるべく実験的に始めたのが『フォルクスワーゲン・ビートル』のオープンカーのシェアでした。ところがビートルだと格好よすぎて地域の皆さんにも観光客にも取っつきにくかったのか…、成果は今ひとつでした。そこで現在は三輪バイク「トゥクトゥク」を使ったビジネスを計画しています。」
「トゥクトゥク」は主に東南アジアなどを走る三輪タクシー。漆原さんは「館山トゥクトゥクタウン構想」と題し、「トゥクトゥク」を館山の街に走らせて、平日は地域の高齢者に、休日は観光客に利用してもらいたいと話します。
「まずは『館山トゥクトゥクタウン構想』を1,2年の間に頑張って実現したいと思っています。その先の構想は…、まだわかりません。今までも目先の1,2年を頑張ってその先が見えてきましたから…(笑)。」
「館山に生涯に1回しか来ない観光客を呼び込むのも重要ですが、何度も足を運びたくなる魅力あるまちづくりや、二地域居住者を増やすこともとても重要だと思います。館山はどちらかというとあか抜けない雰囲気で、そこが魅力でもあるのですが、新たな魅力付けができる可能性が沢山ある街だと思います。デザイン性やクリエイティブを感じさせるものが街にもっとあれば、訪れた人がわくわくする魅力的な街になると思います。」
そのために、「ミナトバラックス」を二地域居住、クリエイティブの拠点にしたい、「ミナトバラックス」をきっかけとして、新しいことが始まっている土壌をつくりたい、そんな思いが、漆原さんの話から感じ取れます。「館山ミナトバラックス」の今後にも期待が高まります。