ラグビーの為に茨城にスポーツ移住
「父親の影響で5歳の頃からラグビーをしていまして、ラグビーの1部リーグで活躍する龍ケ崎市にある『流通経済大学』 へ進学を決めました。」
卒業後、水戸市にあるデベロッパーの会社に就職。ラグビーのクラブチームで活動を続けながら会社員生活を送っていました。
「自分のやりたいことをもっとやらなきゃ!と思いながら働いていました。」こう当時を振り返る菅原さん。ラグビーを本格的にまたやりたい、という気持ちは日に日に強くなり菅原さんは転職活動を開始。その後「株式会社日立製作所」のラグビー部に入部することが決まり系列の会社に就職しました。菅原さんは当時の心境をこう語ります。
「転職はすごく不安でした。収入が下がることは想像できましたので…。でも県内で一番強いチームですし、顔見知りの選手もいました。寮も確保されラグビーに打ち込める環境でしたので思い切って転職を決めました。」
転職と突然の怪我が生き方を見直すきっかけに
仕事とラグビーを両立して充実した日々を送っていた菅原さん。ところがそれから約半年後、菅原さんの体に異変が起こってしまいます。
「首2カ所の椎間板ヘルニアと診断されました。手術しても完治する確率は50%で、手術を受けるか?受けないか?の選択を迫られたのですが…、その時僕は手術を受けないという判断をしました。」
当時を振り返ると、環境の変化や怪我の影響で、自分の中で既にラグビーに対しての熱量が下がってしまっていたと話す菅原さん。その後1年間試合に出場してラグビーを引退してしまいました。
スポーツのエネルギーを街おこしの為に
菅原さんが転職してラグビーに打ち込んでいた2011年3月、日立市は東日本大震災の地震による津波や揺れで大きな被害に見舞われました。
「震災直後に日立市は大規模な停電が数日間続きました。すごく大変な状況でしたが、ふと夜空を見上げると市内の明かりが全て消えていたせいもあり、星空がすごく綺麗でした。それを見た瞬間、自分の中での価値観がガッと一気に壊れていきました。」
菅原さんはこう続けます。
「綺麗な星空は秋田でしか見られないものだと思っていましたが、ここ日立でも見えるんだ!何かを始めたい!とその時思いました。」
この頃から新たな活動意欲を内に秘め毎日を過ごしていた菅原さん。活動のヒントは通勤で毎日通う商店街にありました。
「『銀座通り商店街』の疲弊した姿を毎日のように見ていて、心の中で誰か(商店街の復活を)やってくれ!と思っていました。」
そこで菅原さんはラグビーに注いでいた莫大なエネルギーの使い道に、日立の街おこしの為に自身が動くことを決意します。
「コンセプトなどソフト面を開発すれば場所はたくさんあるので、僕がキャラバン式に各所を回れば街の活性化は可能だと思いました。まずはプロジェクトを立ち上げようと思いまして、コミュニティ作りの場・地域活性の場作りをする団体『ヒタチモン大學』を始めました。」
イベント成功を後押し。地域コミュニティの力
「ヒタチモン大學」は、2013年11月に「ドリームレター~夢をかなえる4つの方法~」をテーマに第1回を開催し大きな反響を呼びました。しかしその舞台裏は苦労の連続だったと菅原さんは話します。
「第一回の企画とゲストが無事決まったのですが…、あれ?場所が決まっていない!となりまして…。(笑)その後の場所探しも大変でした。」開催場所を探す為に各所に問い合わせても菅原さんはヨソモノ扱い、なかなか取り合ってもらえなかったそうです。
「変な奴だなって思われていたと思います。(笑)そんな時相談していた日立市役所の方に運良く地域の方とつないで頂きまして、日立駅前の会場を借りることができました。」
集客も未経験だった菅原さんは、駅前で手当たり次第にチラシ配りや店舗訪問して広報活動。当初は街の人達の反応も今ひとつでしたが、その後地域の若者が集うコミュニティとの出会いがきっかけで、イベントの賛同者や協力者を多く得ることができ、集客も増えて無事開催。感触を得た菅原さんは3ヶ月後には第2回のイベントを開催し、現在まで多くのイベントを開催しています。
「1回あたりの集客は多くても30人と考えています。あまり多いと参加者一人一人の話す時間が少なくなるので。人と人との関係性を求めて来てくれている人が多いのが『ヒタチモン大學』のイベントの特徴だと思います。」空間づくりへのこだわりも、人と人とのつながりを重視する菅原さんの個性が光ります。
「イベントは、才能あるゲストの方々をお呼びし多くの人に知って頂き、地域活性に繋げることが目的。僕は人との触れ合いや人の才能を見出すのが大好きで、イベントにはとてもやりがいを感じています。会社員をしながらで大変な時もありましたが、今は慣れましたし…(笑)楽しいですよ。」そう嬉しそうに話す菅原さん。笑顔がとても素敵でした。
「コクリエドリンクス」で気軽に地域とつながる、語り合う
菅原さんは仲間たちと「コクリエ」で、地域について語り合うことのできるイベント「コクリエドリンクス」を開催しています。「コクリエ」は「競争から共創へ」をコンセプトに、”自身の成長・地域との共創”を目指す若者たちが集まるシェアハウス。菅原さんがこのイベントを始めたのは、「コクリエ」を運営する「株式会社ユニキャスト」の三ツ堀裕太社長との出会いがきっかけだったと言います。
「在学中に起業し地域活性事業を積極的に行っている三ツ堀社長の話を聞きたがっている人がたくさんいました。」そう話す菅原さん。堅苦しい講演会ではなく三ツ堀社長の講演を聴きながら飲んで帰るという気軽でシンプルなイベントを企画したところ、満員御礼の反響。その後も三ツ堀社長の講演やクラウドファンディングの勉強会など、内容も趣向を凝らして実施しています。地域とつながりたい、地域で何かを始めたいと考える人達で賑わい、次回の開催にも大きな期待が寄せられています。菅原さんは、様々な方が集い、繋がり、コミュニケーションすることができる場になるよう、今後も続けていきたいと話していました。
「株式会社ユニキャスト」は、茨城大学発の学生ベンチャーとして最先端のテクノロジを次々と開発する企業。三ツ堀社長にもお話を伺いました。
「菅原さんは地域の為に非常に尽力下さっていて、地域で活躍する人たちとのネットワークを広くお持ちです。『コクリエドリンクス』では私自身も多くの人たちと繋がる機会を得ることができ大変感謝しています。」今後も菅原さんと力を合わせて地域を盛り上げていきたいと語る三ツ堀社長の笑顔からは、菅原さんへの大きな信頼が感じ取れました。
「茨城移住計画」プロジェクト発進
菅原さんは今後について、スポーツをテーマにした“移住の為の空間づくり”をしていきたいと話します。
「学生時代に何らかのスポーツに関わっていて、大人になるにつれ運動の必要性を感じる人は多いです。スポーツをきっかけにセカンドキャリアの拠点として、移住地として、茨城を選んでもらいたいですね。私はラグビーがきっかけで茨城に移住をすることができましたが、それを単なる偶然にせずに、誰でもスポーツがきっかけで移住にチャレンジできる環境を整えていきたいです。」
菅原さんの思いは、2017年8月「茨城移住計画」プロジェクトとして形になり進み始めました。「みんなの移住計画」と連携している今回のプロジェクトは、まだまだ立ち上がったばかりで仲間を募集中とのこと。これからの活動が楽しみです。(茨城移住計画:https://www.facebook.com/ibarakiiju/)
さらに菅原さんはこう続けます。
「移住には『居・職・住』が必要です。『居』は居場所・コミュニティ、『職』は仕事、『住』は住まいのこと。この3つの環境が整えば移住することができる、帰って来ることができると思います。茨城の現状が全く見えていなくて茨城に戻りたくても不安な人が都内には多いです。まずはUターン希望者へ茨城の魅力が見える空間づくりをすることが大事だと思います。」
スポーツをきっかけに茨城に移り、健康になり、最終的には街づくりにつながるような環境づくりをしていきたいと話す菅原さん。熱く語る姿が印象的でした。
夏は涼しく冬は暖かい。風が心地よい住みやすい街
日立は昔から住む人が多い一方で、製造業の街という性格から、全国から多くの人が集まる多様性のある街であることも特徴。若い人たちが作る横割りの新たなコミュニティが街に点在。それぞれが地域活性のために活動・活躍しています。
「新しく移住してきた方でもすんなりと入ることができるコミュニティも多く、住みやすい街です。海風が気持ち良く住み心地は最高。いつ来ていただいても大丈夫です!」日立の魅力を自信たっぷりに話す菅原さん。ラグビーで鍛えたスポーツマインドと地域への思いが日立の街に新しい風を送っているようでした。