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2019年3月28日 ココロココ編集部

北茨城市から建築とアートの魅力を全世界に発信中!“建築アイドル”こと都築響子さんが企画する「桃源郷芸術祭」とは?

「建築アイドル」「建築ちゃん」といったワードで検索すると、頭にユニークな「かぶりもの」をかぶった可憐な女子の写真がヒットするはず。この方の名前は都築響子(つづき・きょうこ)さん。東京藝術大学建築科に在籍していた頃には、「苔の茶室~苔庵~」といったユニークな作品を発表したり、「頭上建築」と呼ぶ髪飾りを着けはじめ、様々なメディアにも取り上げられるなど活躍されてきました。そんな彼女が、大学卒業後に“就職”したのは茨城県の最北端タウン、北茨城市でした。

2017年の春から「地域おこし協力隊」として北茨城市に移り住み、3年間の任期を全うすべく奮闘中の都築さん。今回は市内にある芸術によるまちづくりの拠点「期待場」(旧富士ケ丘小学校)にあるアトリエを訪ねて、いろいろなお話をしてきました。

東京藝術大学の建築科で学び、卒業制作の舞台に北茨城市を選ぶ

都築さんの経歴については様々なメディアでも紹介されているのでごく簡単に触れますが、普通の女子高生だった頃に「なんとなく楽しそうだったから。」と建築の道へ進むことを決意。そこから猛勉強をして名門、東京藝術大学の建築科に入学します。そこで都築さんは建築の魅力の奥深さを知り「建築アイドル」として建築業界と一般人を結ぶ役割を買って出たのでした。

「高校生の時の私のように、建築のことを全く知らないで生きている人たちが世の中の大半なんです。だからそういう人たちに、建築の面白さを少しでも知ってもらえたらいいな、って。それがアイドル活動の原点だったと思います。」

都築さん作の「頭上建築」

勉学に励みつつも、自作した建築模型を「頭上建築」として頭にのせて、アイドル活動をスタートさせた大学生の都築さん。先に卒業した友人たちに遅れること2年後に、卒業制作を始める際、現在アトリエを構えている、「旧富士ケ丘小学校」をモデルに作ることを思い立ちました。

「北茨城市は、東京藝大の創設者である岡倉天心さんが晩年に移り住んだ場所ということで、知っていました。その一方で、私の同級生は私より早く社会に出ていったので、そういう子たちから、『ファインアート(※)だけで生きていくのは、すごい厳しいぞ』っていうことも聞いていて。それを聞いた時にすごくショックを受けたんですよ。『どうして日本でいちばんの芸術大学を卒業したのに、昼間は普通の会社員をやって、夜と休日にだけ、絵を描くような生活をしなくちゃいけないの』って。『そんなことってある?』って感じですよね。」
(※ファインアート:芸術・美術を指す言葉で、日本語では純粋芸術など訳される。商業的な意味合いよりも、純粋に芸術的価値を求める活動や作品を指すことが多い。)

そんな、現代日本が抱える不可解なファインアート事情を改善するために、都築さんは旧富士ケ丘小学校を「アートホテル」に改装することを提案する卒業制作にしたのです。

「アーティストが働きながら、作品づくりもできてしまうというのが『アートホテル』です。廃校になった小学校の半分をホテルに、半分をアトリエにして、アーティストが作品をつくっていく過程を、一般の人が覗き見られるような施設ですね。」

大学4年生の春から約半年間、卒業制作の参考とするために何度も北茨城に通ったという都築さん。2016年に開催された「茨城県北芸術祭」では、この校舎も会場の一つとして活用されたことで、「モデルの学校に入れるチャンスだ!」と、ひとり大盛り上がりで訪れたのだそう。

「期待場」(旧富士ケ丘小学校)

「期待場」(旧富士ケ丘小学校)

「その時は『やった!中も見られる!!』って思って、展示の無い部屋を見つけてはレーザー距離計で実測をしていました。そこから図面を立ち上げて、東京でこっそりと、北茨城のこの小学校の改修設計案を作っていたわけですけれど、そのうち愛着が湧いてきて、『せっかく作ったんだから、(北茨城の)だれかに見てもらいたいな』って思いがふくらんできて。その時に、見つけたんですよ!!」

大学の卒業制作で提案した「アートホテル」の模型

大学の卒業制作で提案した「アートホテル」の模型

都築さんが見つけたのは、北茨城市による「地域おこし協力隊」の公募告知。卒業制作の提出日の直前でした。

「なんとその募集のページには、『芸術』って文字があるじゃないですか。それを見て、『あ、この窓口だーっ!』って思いました。勢いで、申し込み用紙を書いて送りました。その時はアートホテルを北茨城の方たちに見ていただきたいという気持ちだけで、まさか採用され、北茨城へ移住するなんて、ぜんぜん想像していなかったですね。」

就職活動もせず、翌春からの予定も白紙だったという大学4年生の冬。ところがそこから一気に話が進み、“トントン拍子”で北茨城に移り住むことが決まります。

『桃源郷芸術祭』の誕生秘話

こうして2017年の4月、都築さんは北茨城市に移り住み、地域おこし協力隊の中でも“コーディネーター”としての業務をスタートさせました。これまで1年半あまり、どのような活動をしてきたのでしょうか。

都築響子さん

「活動のいちばんメインになるのは、『桃源郷芸術祭』というアートイベント企画・実行です。『さらに記録やPRもできるとなお良い』みたいな仕事なので、PR活動もしています。北茨城市の皆さんはとっても優しいので、大学時代からかぶっていた『頭上建築』も『PRになるならどんどんやっていいよ』と言ってくださっていて、今も六角堂をかぶってPRに励んでいます。」

実は都築さんが北茨城に来た当初、市からは1年後に「地域おこし協力隊成果発表展」を実施するように言われていたそうです。しかし都築さんは「市内には作家さんがたくさん住んでいるのに、もったいない!」と、市内の作家さんに呼びかけて、北茨城市のアーティスト達がみんなで作品を展示する、「桃源郷芸術祭」に企画を変更しました。こうして生まれた第1回「桃源郷芸術祭」は当初2000人の来場者を目標にしていましたが、5000人以上の方が訪れる大成功を収めました。

第1回桃源郷芸術祭の様子

第1回桃源郷芸術祭の様子

第1回桃源郷芸術祭の様子

第1回桃源郷芸術祭の様子

そして2019年3月、第2回目の「桃源郷芸術祭」が開催されます。今回の見どころはどんな点なのでしょうか?

「見どころは、すっごくたくさんあるんです。今年は昨年の美術館とは異なり、廃校の小学校が舞台です。なのでアートに興味がある人はもちろん、そんなに興味がない人でも『アートを楽しむはじめの一歩』になるようなイベントを目指しています。」

都築さんのアトリエ

都築さんのアトリエ、飾られているガーランドも展示の一つになるのだとか

「まず、『アートマーケット』では、地元芸術家の方たちの作品や東京藝術大学などからの滞在制作作家の作品が150点ほど展示・販売されます。『クラフトマルシェ』では、作家さんの手作りアクセサリーや陶器、革小物など、 “手のぬくもり”を感じるような商品を、たくさん販売したいと思っています。」

「また、日替わりで、飲食店やワークショップ、野外ステージではアコースティックライブやライブペインティングも行います。新しいアーティストの発掘のため、市民の方にも気軽に出展していただけるように、『市民アーティスト&クリエイター』や『こどもアーティスト』という枠での展示も行います。」

とめどなくあふれ出る芸術への愛、北茨城への愛を織り交ぜながら、「第2回桃源郷芸術祭」の魅力を語ってくれた都築さん。もっとたくさんのお話をされていたのですが、より詳しく知りたいかたは「桃源郷芸術祭」のホームページをご覧ください! 最後に「桃源郷芸術祭」を堪能するための「楽しみ方のコツ」を聞いてみました。

「今回の桃源郷芸術祭は『見る、買う、体験する』アートと過ごす1日を楽しめるイベントです。気に入ったものを見つけてゲットするだけではなく、自分が作家になって何かを作ってみる、ということも是非“体験”していただきたいです。体験することで、『あの作家さんが作るあれって、すごいんだ!』ということに気がつけたり、『作るってなんて楽しいんだろう』って感じたりすると思うので、私としてはこの芸術祭が、作家さんが増える機会になったら面白いな、と思っています。日替わりで内容が変わりますから、とくに地元の方などは、何度来ても楽しめると思います!」

アート作品の展示についても、今回は1年前にテーマを決めて、そこからテーマに沿った作品制作をしてもらっているとのこと。地元の作家さんたちが、北茨城市の木々や山々のことを考えながら作った作品を見られるという点も、今回の芸術祭の見どころです。

都会と地方の違い。芸術家にとって北茨城市に住むメリットとは?

もともとは愛知県の地方出身だという都築さん。そのため東京から北茨城市に移住した時に、あまり生活面での戸惑いは無かったのだといいます。ドタバタで引越してきたものの、腰を据えてみればすっと馴染むことができ、今は地域の皆さんに支えられて、楽しく活動をすることができているのだとか。

「北茨城の人は、とにかく人柄が温かくて穏やかなんです。芸術祭の開催にあたっても、とても沢山の方にご協力いただいています。『音がしたから見に来てみたよ』と顔を出してくれたり、『ちゃんとご飯食べてるの?』と食べ物を差し入れしてくれたり『この木を切りたいんだけど、うまく切れなくって』と相談をすると、『うちに工具があるから貸してあげるよ』とか、『やってあげるよ』みたいになって(笑)。フォローして下さる方がまわりにたくさんいるのは北茨城ならではだと思います。」

そんな家族のような雰囲気があるからこそ、北茨城に移り住んだ芸術家たちはみな、のびのびと活動ができているのでしょう。都会に暮らす芸術家の中には、田舎にアトリエを構えたいと思っている人も多いと聞きますが、その点を都築さんはどのように考えているのでしょうか。「田舎に住んで創作活動をするメリット」について聞いてみました。

「一番は、日々自然の変化を感じられるということですね。田舎は空が広く、毎日の景色の変化に気づかされます。霧が立ち込めたり、カラッと晴れたり、突然雨が降り出したり。今日の夕やけは、昨日よりも赤いなぁとか。同じ景色を毎日見ているはずなんですけれど、その変化が都会よりもずっと大きくて。そこが創作活動にも影響してくると思います。あとはやっぱり、土地が安いので、広いスペースを持ちやすいですし、木工作業をするような時でも、まわりの迷惑になりにくいから活動はしやすいですね。」

地元の方が誇らしく思う芸術祭を、未来につなげていきたい

のびのびと創造力を発揮しながら、この北茨城の地に馴染んでいる様子の都築さん。最近は外出することも多いそうなので、市内のお気に入りの場所についても聞いてみました。

「この1年、いちばん興味があったのは平潟(ひらかた)港や平潟の町並みです。細く曲がりくねった路地にたくさん古い木造の建物があって、その中に民宿が営業されていたり、お菓子屋さんがあったりして、すごく素敵だなと思います。海の景色がまたいいんですよ。おばあちゃんが、港にある木の段みたいなところにちょこんと並んで話していたりして。そのおばあちゃんたちと話すと、『みんなでいつもここに集まっているんだよ』って。そういう、海の日常の景色がすごく素敵ですね。そんな話ばかりしていたら、茨城大学の一ノ瀬先生にチャンスをいただいて、大津・平潟の民宿をリサーチする授業をもたせていただきました。そのリサーチ結果をまとめた冊子の先行予約も芸術祭でしています。」

平潟の町並み

平潟港

地域協力隊としての任期も半ば。都築さんはこの活動を通して地域がどのように変化し、成長していけば良いと思っているのでしょうか。「桃源郷芸術祭」に託した思いと、将来の北茨城市に対する“願い”を聞いてみました。

都築響子さん

「この芸術祭については、将来も、地元の人の『誇り』や『自信』になるイベントになっていってほしいです。芸術祭って、ほかの地域にも幾つかやっていますけれど、だいたい外から有名なアーティストを呼んできて、その時だけお客さんがいろんな地域から来る、というものなんです。もちろんそれもひとつの在り方だと思いますが、私はせっかく北茨城に来て、この地域に住んで、地元で活動していて、だからこそ地元の人も一緒になって(芸術祭を)盛り上げてくれていると思っているので、外部の人に頼るイベントではなくて、地元の人たちが中心になって作り上げる、地元の方々にとって“誇り”になるようなイベントになってくれたらいいな、と思っています。」

地域おこし協力隊としての任期は残り1年余り。都築響子さんのこれからの活躍が楽しみです。

取材先

都築響子さん

東京藝術大学建築科に在籍中に「頭上建築」と呼ぶ髪飾りを着け、様々なメディアに取り上げられ「建築アイドル」「建築ちゃん」といった名前で有名に。大学卒業後は茨城県の最北端タウン、北茨城市に「地域おこし協力隊」として移住。コーディネーターとして『桃源郷芸術祭』の企画・実行・㏚活動を行っている。

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https://twitter.com/tsuzukikyoko

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ココロココ編集部ココロココでは、「地方と都市をつなぐ・つたえる」をコンセプトに、移住や交流のきっかけとなるコミュニティや体験、実際に移住して活躍されている方などをご紹介しています! 移住・交流を考える「ローカルシフト」イベントも定期的に開催。 目指すのは、「モノとおカネの交換」ではなく、「ココロとココロの交換」により、豊かな関係性を増やしていくこと。 東京の編集部ではありますが、常に「ローカル」を考えています。

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