「思いつき」の企画から始まった「MMM」
MMMの創設者であり、現在も事務局として中心的に活動しているのが田島悠史さん。田島さんは、「MMM」をはじめ、日本各地の「文化芸術×地域」事業の実践や運営コンサルティングに従事し、「木津川アート」や「亀山トリエンナーレ」、「新宿クリエイターズフェスタ」などの芸術祭に出展作家としても参加する地域芸術祭のスペシャリストです。
まずは田島さんに、2009年当時の「MMM」の立ち上げの頃のお話から伺ってみました。
「MMM」の創設者で、現在も事務局をつとめる田島悠史さん
田島さん:
「言ってしまえば、学生のノリみたいな形で始めたのがきっかけです。当時、博士課程の1年生として大学に戻ってきたタイミングで、“アートと社会活動”を研究テーマにしていました。アートの潜在能力を社会に活用したいなと考えていて、都市交通の研究をしていた後輩に、どこか鉄道の中でアートイベントを開催して、地域活性に繋げることはできないかと提案したところ、二つ返事で『やりましょう!』と(笑)」
その後、その後輩と一緒に、全国の鉄道路線図を広げながら「どこの鉄道がいいか?」を探し続けたという田島さん。イベント開催までの間、何度も現地まで通うことを考えて、行き来がしやすい関東地方にターゲットを絞ります。
田島さん:
「アートイベントに行って帰って…と考えると、都内から1~2時間がちょうど良い距離感ではないかと思いました。茨城県には、それに当てはまる候補がいくつかあり、そこで見つけたのが『ひたちなか海浜鉄道湊線』でした。湊線は第三セクターなので地域活性化にもつながるし、ちょうど『おらが湊鐵道応援団』という地域活性化企画を募集していたので、すぐに応募しました」
おらが湊鐵道応援団が管理する「キハ20系」での、「MMM」の展示
田島さんは「ひたちなか海浜鉄道湊線」の吉田社長宛に一通のメールを送り、企画を提案させてもらう機会を得ます。何もかもが初めてのことで、当初は交渉が難航することもあったといいますが、そんな田島さんを救ってくれたのが、地域の人のサポートでした。
田島さん:
「『おらが湊鐵道応援団』団長の佐藤さんは、なぜかすごくこの企画を喜んでくれて、『素晴らしい!ぜひやろう!』と言ってくださいました」
吉田社長から「具体案が欲しい」と言われていた田島さんは、自身の出身校である「東京芸術大学」の卒業生宛にメールを送り作品を募集しました。
送られてきたいくつかの作品を使って新しい企画書を作り、応援してくれる佐藤団長にも同行してもらって提案をしたところ、開催OKに漕ぎ着けることができたそうです。
「企画を持ち込んでからOKをいただくまで、3,4週間という短期間での出来事だったと思います」と当時を振り返ります。
アートイベント開催の決定を喜ぶのも束の間、開催までには様々な難題をクリアする必要がありました。
田島さん:
「イベントを8月上旬に開催すると言ってしまったので、それまでに人と金、アートの全てを揃えないとまずい…ということになりまして。アーティストは、友人・知人や同期のメーリングリストに連絡して集めて、毎日のように出展の打ち合わせをしていました。お金は何もないところから始めましたので、私と後輩の貯蓄額を見て、『とりあえずこれで2ヵ月間頑張ろう!』とギリギリで協力し合いました。大学からの助成金も申請できましたので、書類を書いて、そのお金を使って…という自転車操業でしたね。人については、大学院生としてサポートに入っていた大学一年生の授業でイベントの宣伝をさせてもらい、スタッフを何とか確保しました。当時はとても忙しく動いていたことを覚えています」
賑わいを鉄道から商店街へ広げたい。アートの規模も拡大
こうして2009年に初開催となった「MMM」では、毎年優れたアートが生まれています。その中でもひたちなか海浜鉄道線の全駅に設置されている駅名標は「MMM」を代表するアートの一つ。駅周辺の情報を収集し、それにちなんだ「オリジナルフォント」を作った作品で、2015年には「グッドデザイン賞」を受賞。今では湊線の名物になっています。
オリジナルフォントを使った駅名標の作品。小佐原孝幸『ひたちなか海浜鉄道湊線駅名標』
さらには、このアートを使ったキーホルダーやお菓子「駅銘菓トレンシェ」も販売され、街中の案内板にもフォントが使用されるなど、地域活性にもつながっています。2015年には「いばらきデザインセレクション」にも入選しました。
田島さん:
「2年目からは鉄道だけではなく、商店街にもアートを広げたいと思い、“まちの回遊性”をテーマに開催しました。この頃には出展する作家さんの数も急増しまして、前年度14名だった作家さんが40名になりました」
3年目の2011年、3月に東日本大震災があり、那珂湊地区も大きな被害を受けました。復興に向けた作業など大変なこともありましたが、震災をきっかけに、より若年層の方も、イベントに関わるようになったと田島さんはいいます。
田島さん:
「震災によって、街と人との距離が近くなり、商工会議所の青年部などのバックアップも得られるようになって、協賛金やクラウドファンディングでも資金を集めることができました。 この頃から、役目を終えた鉄道の車両を使った大規模なアートなど、作品の規模も大きくなっていきました。2012年から2014年には、来場者の意見を取り入れたコミュニティ・カフェ 『みなとカフェ』をオープンして、多くの人に来店していただきました」
このようにして、2009年に思いつきからスタートした芸術祭は、震災というピンチを経て、巻き込む人の数も、作品の規模も大きくなっていきました。
学生時代から「MMM」に関わる平賀美隆さん
今回の取材では、田島さんの他にも、実行委員として「MMM」に携わる3名の方にお話を伺いました。
そのうちの1人、平賀美隆さんは東京都多摩市出身。田島さんに声をかけられて、大学1年生だった2011年から「MMM」に関わるようになりました。
平賀さん:
「田島さんは、同じ大学に通う10歳年上の先輩でした。2011年当時は、地域活動というと、東日本大震災復興に向けてのボランティアや現地の後片付けなど、ハード面の活動が多かったのですが、『MMM』はアートの力で地域を復興させるという文化やソフト面での活動だったので、とても興味を持ちました」
学生時代から「MMM」に関わっている平賀さん
「MMM」の実行委員は、当時は主に協賛金のお願いなど地域と連携を取る「地域班」、作家さんとの連絡役を担う「キュレーション班」、取材やSNSでの情報発信を行う「広報班」に分かれていて、平賀さんは「キュレーション班」を担当していました
平賀さん:
「公募で作家さんが応募してきた作品を書類選考し、フィールドワークを経て、作品を現地で制作するお手伝いをしていました。当時は大学1年生で、作家さん等と電話やメール連絡をするのも初めての経験だったので、戸惑うこともありましたね」
と当時を振り返ります。
「MMM」の展示作品。伊藤沙織『かっぱのきもち』
平賀さんは就職のため、大学卒業と共に「MMM」の活動からは一旦離れますが、その後も「MMM」への想いは変わらず、那珂湊地区には度々出向き、田島さんとも連絡を取り続けていたそうです。そして、社会人として落ち着いたタイミングを見て、2021年に「MMM」の実行委員に戻ってきました。仕事との両立は大変ではないのでしょうか?
平賀さん:
「仕事は『早く、論理的に』やることが重要ですが、『MMM』の活動は、論理というよりも『やりたいからやる』という感じで、右脳も使えるので、そのバランスがちょうどいいかなと思っています。今は、社会人経験も活かして、経営側とスタッフ側の両方の立場で活動をしています。『MMM』は人もお金もまだまだ足腰が弱い団体なので、もっとしっかりとした組織を構築していけるようにしたいですね」
那珂湊地区に移住し、ゲストハウスでキッチンを営む篠崎桃子さん
同じく「MMM」実行委員の篠崎桃子さんは埼玉県春日部市出身。もともと東京でWEB制作の仕事をしていましたが、2019年に日立市に移住、その後2021年に「MMM」の舞台であるひたちなか市に移住しました。現在は那珂湊のゲストハウス「編湊(あみなと)」の1Fで「キッチン編湊」を運営しています。
篠崎さん:
「海がある環境に憧れて、最初は沖縄に移住したいと思っていたんです。そんなとき、たまたま知り合いに、日立市で飲食店をやらないかと誘われて、2019年に日立市に移住しました」
「編湊キッチン」での田島さんとの出会いがきっかけで「MMM」に参加した篠崎さん
前職でやっていたWEB制作の仕事をフリーランスで受けながら、居酒屋を経営していたという篠崎さん。コロナ禍で日立市の居酒屋を閉めることになった際、「移動式居酒屋」というかたちでお店を続けたいと考え、その拠点のひとつとして、那珂湊の「編湊」を使わせてもらうことになりました。
篠崎さん:
「コロナ禍で居酒屋経営をしている中で、飲食店で、もっと楽しく自分らしく働くことができる仕組みをつくれないかと考えるようになりました。日立市にいた頃から「編湊」の話は聞いていたし、オーナーさんともお会いしたことがあったので、相談してみたんです」
ちょうどその頃「編湊」でも料理人を募集していたことから、「ぜひ来てほしい」という話になって、2021年に那珂湊へ移住。ゲストハウス「編湊」の店長にとなり、「キッチン編湊」をスタートさせました。
「編湊キッチン」の様子
篠崎さん:
「ちょうどキッチンをオープンした頃に、田島さんも遊びに来てくれて、そこで『MMM』のことを知り、面白いことをしているなあと思いました。私は今後『編湊』で、イベントを立ち上げたり、『泊まれる居酒屋』なんかもやってみたい。那珂湊に、もっとたくさんの人に来てほしいし、せっかくなら泊まって堪能してほしい。そういう活動をするにあたって、『MMM』とは親和性も高いし、いろいろ活用できると思って、参加することにしたんです」
東京に住みながら「MMM」の活動を続ける田島さんや平賀さんにとっても、那珂湊に移住した篠崎さんの参画は、非常に心強いようです。
地元からの協力者。川崎達也さん
もう1名、地元から「MMM」に関わる実行委員の方をご紹介します。
川崎達也さんは、新たな交流拠点「みなとのおへそ(通称:みなへそ)」の向かい側にある「川崎クリーニング」を経営しています。生まれも育ちも那珂湊の川崎さんが、「MMM」やアートに関わるようになったきっかけは何だったのでしょうか。
地元メンバーとして活動を支える川崎さん
那珂湊地区のブロック長を担当していた2011年に、後輩から「MMM」のことを聞いたという川崎さん。
川崎さん:
「最初は、よく分からないことをしているなあというのが正直な感想でした。でも同時に、それが街の活性化につながるなら良いのではないか、とも考えました。それまで、私自身はアートには全く触れてきていませんでしたので、普通では出会えない人たちと出会えたなあという感じでした」
川崎さんは、「MMM」でのつながりがきかっけで、今では、阿字ヶ浦で行われる「ひたちなかプロジェクションマッピング」や、地元の方たちに頼まれて始めた「那珂湊野外劇」の運営にも関わるようになるなど、興味や活動の幅が広がっています。
川崎さんをモデルにした作品。君嶋海裕『那珂湊で働く人々を描く』
ヨソモノと地元の人をつなぎ、「この人に頼めば何とかなるかも!?」という地域の頼れる窓口的存在になっている川崎さん。
「街にアートが根付いて賑わいを生み、訪れる人が増えて地域のためになるなら良いですね」と嬉しそうに語る姿が印象的でした。
多様な人と情報が集まる、地域の“おへそ”を目指して
さまざまな立場のメンバーが関わって活動の幅が広がっている「MMM」ですが、2021年から、那珂湊駅前の空き家をリノベーションして、新しい交流拠点「みなとのおへそ(通称:みなへそ)」をスタートしました。
地域の方がふらっと立ち寄って利用できる「図書館」や「レンタルスペース」、「コミュニティカフェ」、「ギャラリー&アーカイブセンター」、「小箱ショップ」、「観光案内所」などの機能を想定。地域内外を問わず、さまざまな形で利用される場所となることを目指して、リノベーションをしています。
”みなへそ”の前で
田島さん:
「昨年は『MMM』のクロージングで受賞者を呼んで、アートギャラリーを開催しました。駅からも近くて良い場所なので、いろんな方に気軽に来ていただけたらと思いますし、この場所を利用する団体と『MMM』とがコラボレーションして、何か面白いことができたら嬉しいですね」
現在は「図書館」を不定期で開館しているという状況ですが、今後「ギャラリー&アーカイブセンター」を稼働させ、本年中には全面オープンとする予定だそう。
「みなへそ」が多様な人と情報が集まる場所になって欲しい、と田島さんは語ります。
地域に恩返しがしたい~MMMが目指す未来
2009年の創設以来、地道な活動を続け、地域との信頼関係を構築してきた「MMM」。
最近では、市役所や地域とのコラボレーション企画などの話があったり、学校とのつながり、地域の若い経営者との関係性もできてきました。
田島さん:
「2020年は、すでに参加アーティストも決まっていたのにコロナで中止となってしまい、2021年に『MMM2020→2021』として開催しました。コロナ禍でいろいろと制約がある中ではありましたが、フィールドワークの代わりに地元の人にZoomで話を聞いたり、アーティストと地域のオンライン懇親会を開催するなどの工夫をし、またこれまで築いてきた信頼関係の成果もあり、より充実した作品の展示が実現しました」
今後は、「MMM」をNPO法人化していきたいという田島さん。
田島さん:
「これまで、補助金のほか、地元の方からの協賛金やクラウドファンディングなどを資金として運営してきました。これからは、協賛金を出してくださった地元の方たちへ恩返しをするフェーズだと感じています。そのためにも、任意団体からNPO法人化をして、事業として、自分たちで経営をまわしていけるようにしていきたいですね」
左から篠崎さん、川崎さん、田島さん、平賀さん
最後に、思い付きから始まった企画で、10年以上も関わり続けている、ひたちなか市那珂湊地区について、お伺いしました。
田島さん:
「那珂湊の良いところは、良い意味で“冷たいところ”だと思っています。私のようなヨソモノがイベントを企画・開催しても、何も言われない。基本的に放置です(笑)。それでいて、困ったときには助けてくれる、応援してくれる人もいる。東京から関わる立場の人からすると、一番楽なスタンスだと思います」
東京から2時間ちょっとという距離感、適度な街もあり自然もあるという規模感が、ちょうど心地よいのかもしれません。
田島さんいわく「平日東京で働いて、週末は那珂湊で過ごす」というパターンもおすすめとのことなので、ぜひ「MMM」などを機会に、那珂湊に足を運んでみてください。
2022年のMMMは、8月7日から8月20日に開催の予定です。