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2018年1月30日 山野井 咲里

茨城県北の地域おこし協力隊が大集合!いばらきけんぽく座談会【前編】

日本の原風景ともいえる清流に育まれた田園や里山が広がる山側のエリアと、太平洋に面した美しい海岸線が広がる海側のエリア。茨城県北地域は6つの市町(日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、常陸大宮市、大子町)からなります。

6市町には、地域を盛り上げようと奮闘する「地域おこし協力隊」の方々が多数在籍。地域おこし協力隊とは、都市部の人材が地域社会の新たな担い手として移住し、さまざまな活動を行いながら定住・定着を図り、地域活性化を目指す取組のこと。平成21年度から始まり、隊員数は年々増加し、平成28年度には約4,000人が隊員として全国で活躍しています。

今回座談会に参加していただいたのは、渡邉友貴子さん(日立市)、塚田慎さん(常陸太田市)、太田将史さん(高萩市)、都築響子さん(北茨城市)、木元枝里さん(常陸大宮市)、友常みゆきさん(大子町)の計6名。地域おこし協力隊になった経緯や県北地域の魅力など、ざっくばらんにお話していただきました。前編、後編に分けてご紹介します!

座談会参加メンバー紹介

まずは座談会参加者のプロフィールをご紹介します。まちづくりや地域PR、移住定住促進などに取り組む、個性豊かな面々に参加いただきました!

①渡邉友貴子さん(日立市地域おこし協力隊)
茨城県筑西市出身。前職はデパート販売員。母校で行われたフィールドワークをきっかけに地域おこし協力隊に応募。市の協力隊第1号としての活動は最終年の3年目。グリーンツーリズムを中心とした地域コーディネーターとして幅広く活動中。地域から愛されている自負がある。

②塚田慎さん(常陸太田市地域おこし協力隊)
アパレル業界で下積みを経て、店長として経営を学んだのち、地方移住を目指しカメラマンへ転向。2017年4月より常陸太田市地域おこし協力隊として、一移住者として、全国の移住を希望する方々がスムーズに地域へ溶け込める環境を作る為に活動中。

③太田将史さん(高萩市地域おこし協力隊)
2017年に大阪から移住し、高萩市地域おこし協力隊として活動開始。高萩市の定住・移住コンシェルジュとして、地域ブランド品「花貫フルーツほおずき」の移住農業体験ツアーの企画や移住希望者向け制度「お試し居住」などのPR、支援を行っている。

④都築響子さん(北茨城市地域おこし協力隊)
2017年に東京藝術大学建築科を卒業。その後、北茨城市地域おこし協力隊として「芸術によるまちづくり」のプロデュースを行う。アートワーク「頭上建築」で地域のPRや、同市にて、2018年3月に開催される「桃源郷芸術祭」のコーディネーターとしても活躍中。

⑤木元枝里さん(常陸大宮市地域おこし協力隊)
鹿児島県出身。大学進学で上京、卒業後はアパレルの販売員として3年働くが退社。その後日本各地でボランティアやファームステイを経験し、2016年常陸大宮市地域おこし協力隊へ就任。現在は誰もが自分の好きな事を仕事に出来るよう、仕組みづくりに奮闘中。

⑥友常みゆきさん(大子町地域おこし協力隊)
2015年より大子町地域おこし協力隊として活動。茨城大学教育学部美術科卒業後、鍛金・金工作家としてオブジェやアート作品、アクセサリー等を制作。都内や県内など各地で個展を開催。2016年に袋田の滝恋人の聖地モニュメントをデザイン・制作。同年開催された茨城県北芸術祭ではキュレトリアルアシスタントを務める。

なぜこの地を選んだか

――地域おこし協力隊になるとき、どの自治体を選ぶかは大きなポイントだと思います。皆さんが今の市町を選んだ決め手は何でしたか?

木元:私は、東京からのアクセスが良かったからでした。当時はマッサージの学校に通っていたから、月1回は東京に通わなくてはいけなくて。常陸大宮市のことは何も知らなかったけれど、距離と仕事内容がちょうどよかったんです。

渡辺:そうなんだね。私は全く違って、人とのご縁でした。卒業後も大学の地域研究に関わり続けている中で県北地域に行く機会があって、その時に出会ったのが現在もお世話になっている地域のキーパーソンの方でした。もともと地元に近いところで仕事をしたいという思いはありましたが、なかなか見つからず大学卒業後は都内で働いていたけれど、その方から「日立市地域おこし協力隊を探していて、ぜひ来てほしい」という話がありまして。地域で頼れる人がいれば、できる仕事も広がるかなと思ったんです。

――私も人とのご縁でした、という方は?

太田:僕は半々ですね。ご縁もあったし、海もあったから。

一同:海?(笑)

太田:大阪出身なんですけど、大阪の海はあまり綺麗ではなくて。でもこっちの海はとても綺麗で。

一同:なるほどー!

太田:海もあるし、先輩の高萩市地域おこし協力隊で「ほおずき」を作っているご夫婦がいて、元々知り合いだったのですが一度「遊びにおいでよ」と言われて。会いに行って地域おこし協力隊のことを知ったんです。だから、人のご縁と海の半々。

人のあたたかさと生活力の高さに地域の底力をみた

――最初の地域の印象と、実際に移住してみての印象は変わるのではと思うのですが、いかがでしょうか。

都築:北茨城には面白いものがあるし、とても魅力的。でも、それがあまり伝わっていないのがもったいないな、と思うようになりましたね。そこにたどり着くまでのインフォメーションがないというか。観光ガイドに営業中と書いてあるお店がその日その時間にやってない、みたいなことも。

一同:あるある!

渡邉:それは茨城全体の課題だね。

太田:高萩だけかなと思っていたけど、みんなそうなんや(笑)

友常:逆に、大子では休みだけど「来たの、いいよ、いいよ」ってお茶をだしてくれたりします。大子町地域おこし協力隊の同僚が海外のお客さんを案内しているとき、「今日はどこも休みだからうちでコーヒー飲んでいったらいいよ」と化粧品店の人がもてなしてくれたこともあったそうです。仲良くなったらものすごく住みやすい。

一同:あ~、わかるわかる。

塚田:うん、うん。おもてなししてくれる人のあたたかさは県北地域の良いところだよね。

都築:そう、地元の方たちの「おもてなし精神」は本当にすごいなと思う。ご挨拶にうかがっているのに、わたしのほうが抱えきれないほどたくさんお野菜をいただいて。大根3本かかえて帰ったりとか(笑)

太田:山間部が特におもてなしがすごいって感じる。山間部では50代でも若手と言われていて。だから僕なんかほんまに子供みたいなもの。「ご飯食べていき」とかも言ってもらいますね。

渡邉:地域性なのか、慣れるまでは遠巻きに見てるというか人見知りのようなんだけれど、仲良くなっちゃうとすごくかわいがってくれるんだよね。

友常:鍋そのままで「けんちん」とか持ってきてくれるから(笑)

渡邉:あるある!

木元:都会にいた頃は、人のお世話になったらご迷惑だ、という思いがあったから、協力隊になった当初はモノをいただくと「申し訳ないです」っていう感じだったんですけど、今は「え、いいんですか!」みたいな(笑)有難く受け取るっていうのは上手になった気がします。きちんと喜ぶ、というのは大事だなと思いました。

木元:あと、こっちにきてすごい感動したことなんですが、おじいちゃん、おばあちゃんの生活力が本当に高いこと。今まではお金がないと買えないと私が思っていたものも、なんでも自分で作りだしてしまうんです。たとえば仕事がなくなっても「究極生きていけるな」って思いました。「あ、作れるんだ」という発見から、おおげさですけど、生きるのが楽になったって思って。働かなきゃ、お金なくちゃ、と思いこんでいた、ひとつの足かせがとれた。それを求めている人は多いんじゃないかと思って。
そうした考えから、おじいちゃん、おばあちゃんのように自分で自分の身の回りのものを作って心が豊かになるような生活を実現できたらいいなと思って、今度、おじいちゃんに先生になってもらって竹かごのワークショップをやることにしました。

渡邉:もしかして、「えびら」?

木元:そう!「えびら」とよばれる竹かご作りを教えてもらうワークショップ。でも、おじいちゃんにとっては生活のなかで当たり前にやってきたことで、ひとに教えたことがなくて。だから頭にあるものを伝えるのが難しくて。それを私がレシピ化しようと思っているんです。おじいちゃん、おばあちゃんが当たり前にやってきたことを伝えたい。作ったものを売るのではなく、そのノウハウをみんなが身につけていけたらいいなと思って。

一同:おおー!素晴らしい。

後日開催したワークショップ当日の様子。完成した「えびら」を持つ参加者たちの笑顔がまぶしい。

 

地域で活動を行うために大切なこととは

――地域活動を行ううえで、これは大事だな、と思うことは何でしょうか。

都築:今年の3月に開催する「桃源郷芸術祭」の準備を進めているんですけど、「井戸端会議力」は必要だと思います。一緒に活動しているアーティストのご夫婦がいるのですが、奥さんのほうが柔らかく周りとつなげてくれています。数回しか会ったことが無いような人とも昔から友達だったみたいに話をしていて、私はその話のなかに入っていけなくて。どうすれば年上の人とも友達みたいに仲良くなれるのか、奥さんの動向を目で追いかけて、真似してみてもわからない(笑)だから、おじいちゃん、おばあちゃんと同等で話せる井戸端会議力は重要だな、と。

都築さんの活動の様子。ワークショップに参加した子どもたちとともに。

太田:1年目は特に周りの人に知ってもらうためにも、地域のボランティアやお祭りには積極的に出たほうがいいと思う。たとえば「土地を活用して何かやろう」という時、全然知らない人にはもちろん貸してくれないし、話も聞いてくれないから。縁があっていい人がいたら売りたい、貸したい、って心の中で思ってるんだよね。そこでボランティアなり地域のお祭りに貢献していたら「あの子、地域のこと一生懸命やってくれているから、ちょっとこの家貸してあげてもいいよ」と言ってくれることが増えていく。それが楽しいし、やりがいがあるなと思う。

現役の地域おこし協力隊の皆さんだからこそ感じる、地域のリアル、豊かさ、関係性構築の大切さ。会場となった常陸太田市の里美地区にある「金波寒月」は、この地域で初の地域おこし協力隊が、任期後、住民とともにリノベーションした元酒蔵のコミュニティスペース。協力隊ゆかりの場所で、なごやかな座談会となりました。後編に続きます!

山野井 咲里
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山野井咲里

山野井 咲里短大卒業後に留学した先のイギリスで、写真で身を立てることを決意。都内のスタジオでカメラマンのアシスタントを務めたのち、フォトグラファーとして雑誌やライブ撮影などに従事。子育て期間中に一度写真の仕事から離れるが、父の死をきっかけに地元・常陸太田にUターン移住。竜神峡のバンジージャンプの撮影の仕事に出会ったことで、諦めかけていた写真の仕事を再開。現在はフォトグラファーとしての活動の傍ら、ライター業にも挑戦している。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

人と風土の物語を編む