白石で楽しいことがしたい!高校生が立ち上げた学生団体「ガクセイズム」
白石市には、学生らが中心になって運営している「ガクセイズム」という団体があります。発起人のふたりが地域にもっと関わりたいという思いで、高校3年生の時に立ち上げました。これまで青年会議所主催のお祭りをイベントスタッフとして手伝ったり、自主イベントを開催してきました。高校を卒業し、それぞれ進学 ・就職した現在も、白石を楽しい町にするため活動を続けています。
発起人で代表の佐藤希美さん、同じく発起人の菅野友葵(ゆうき)さん、メンバーの金子実樹さん、佐藤智(とも)さんの4名に、立ち上げの経緯、これまでの活動内容、今後についてうかがいました。
佐藤希美さん「高校生の時から地域の人と交流できる場所がほしいという思いがあって、参加した『マイプロジェクト』(※)に影響を受けました。今いるメンバーは、中高の同級生やジュニアリーダーで一緒だったというつながりや紹介などで15名ほどいます。普段のミーティングはネットを使うこともありますが、できるだけ顔を合わせてやりたいので、公民館を借りたり、私の自宅を開放したりしています。」
※マイプロジェクト:高校生が地域や身の回りの課題や気になることをテーマにプロジェクトを立ち上げ、実行することを通じて学ぶ課題解決型学習。主催は認定NPO法人カタリバ(マイプロジェクト公式サイトから引用)
菅野さん「最初の頃は、白石にバンドを呼べたらいいなという軽い気持ちで、とにかく白石で何か楽しいことをしたいと思って始めました。どこに相談したらいいか分からなくて市役所に連絡したところ、関連部署の方を紹介されました。担当の方が親身になって対応してくださって、イベントをやるなら団体を設立したほうがいいとアドバイスをいただき、ガクセイズムを立ち上げることにしました。」
白石市では、高校を卒業した若者が仙台や東京に出て進学、就職し、そのまま戻ってこない場合が多く、まさに彼女たちのような若者に地元に定着してもらうことを期待しています。卒業後の進路など、将来はどう考えているのか 尋ねてみました。
金子さん「今は看護の勉強で片道一時間程度かけて通学しています。通っている先のほうが白石より田舎だったので比較して分かったのですが、白石は都会でもないし田舎でもないし、ちょうどいい住み心地だと思います。将来は大きな病院に勤務して経験を積んでから白石に戻ってきたいです。」
佐藤希美さん「うちは転勤族で、私が中2の時にここに引っ越してきたのですが、各地を転々としてきて一番良かったと思えたのがこの白石でした。今は白石から山形の大学に通っています。将来は地元で働いて、自分が受けた恩を地域に返していけたらいいなと思っています。」
こんな思いで地域に関わり、将来は地元で働きたいと語る若者がいるのは、白石市にとっては頼もしい存在です。彼女たちに「ガクセイズム」で今後取り組みたいことについて話を聞きました。
金子さん「まずはガクセイズムの知名度をあげたいですね。ほかの団体とも連携して一緒に活動したりして、成長していきたいです。」
佐藤智さん「ガクセイズムでは、小さい子も含めて全世代が集える場を作りたいです。それとガクセイズムブランドのグッズを作って、スタッフでお揃いのものを身につけたい。」
佐藤希美さん「実はお金がないのでスタッフTシャツもないんです(笑)。でも最近はお金をかけずに知恵を出すことに楽しみを持っています。ガクセイズムは学生のうちは全力で取り組みたいです。それに自主企画を実現させたい。活動すればするほど、地域を元気にしたいという気持ちが芽生えてきました。多くの人に、自分たちが住む町にもっと関心をもってもらえるよう、これからも活動していきたいと思います。」
家族にとって一番いい環境を選んだら地元・白石だった。首都圏からUターンした跡部さん
次にお話を聞いたのは、跡部南 (あとべみなみ)さんです。2016年にご主人とお子さんと一緒に首都圏からUターンし、跡部さんのご実家で暮らしています。
現在は白石文化体育振興財団に所属し、財団が管理する施設「白石市文化体育活動センター」(愛称:ホワイトキューブ)で園児から中学生までの子どもたちに新体操を指導していますが、戻ってくる前は東京のクラブチームで勤務していました。Uターンまでのいきさつをうかがいました。
「新体操のクラブチームで指導するというのは念願の仕事だったのですが、結婚し、子どもが生まれてから状況が変わりました。チームの指導は夕方から始まるので、自分の子の面倒を誰かに見てもらわなければなりません。見学に来ている保護者の皆さんにお世話になることもあったのですが、それを続けるのに限界を感じてしまって。それに、地元でない場所ですと、例えば家族全員が体調不良で全滅してしまった時に頼れる人が少ない。夫も白石出身でしたし、家族にとって一番いい環境を考えて、のびのび子育てができる地元に戻ってくることに決めました。」
夫婦ともに白石市出身ということもあり、子育てで頼れる先が増えた跡部さんですが、ほかにも重宝している白石市のサービスがあるようです。
「2017年4月から一時預かりが始まった保育園があって、それがとても助かっています。定員8名、週3日間まで、時間も16時半までと決まっているのですが、好きな日に預けられるのがいいですね。一か月前から予約できるので、本当にこの日だけはどうしても、という時は予約利用しています。少人数で見てもらえているので、子どもも楽しそうにしていて。それまでは、退職して家にいる父親に面倒をみてもらっていたので、その負担を減らすこともできました。ほかにも、私はまだ利用したことはないですが、しろいしファミリーサポートセンターというサービスもあって、1時間500円という低価格で子育て経験のある方に面倒を見てもらうこともできます。」
跡部さんに同級生の状況をうかがうと、地元に戻ってきている人が多いことが分かりました。そのことも跡部さんのUターンを後押ししたようです。冒頭のガクセイズムの学生同様、ここにも“白石愛”を感じました。
最後に、東京出身で結婚まで白石とは縁のなかった谷津さんに、Iターン者の視点で白石での生活や地域活動について話を聞きました。
結婚を機に白石にIターン。仙南エリアをアクティブに活動中の谷津さん
東京出身の谷津智里さんは、2008年にご主人の地元である白石市に家族で移り住みました。以前は出版社勤務だった経験を活かし、現在はフリーランスの編集者・ライターとして仕事をしています。ご主人の実家が新聞販売店ということもあり、2008年から2017年5月までは「蔵王人(ざおうびと)」という月刊のミニコミ紙を12,000部発行していたこともあります。
2011年の東日本大震災後以降は被災地支援のプロジェクトにかかわることが多く、今も続く塩釜市の「つながる湾プロジェクト」ではコーディネーターとして活躍中。定期的に、車で片道1時間かけて塩釜市に通っています。子どもの頃から都心に住んでいたという谷津さんに、地方・白石での暮らしについてうかがいました。
「日常的なことで不便さは感じませんね。毎日の買物に不自由はしないですし、車で1時間程度で仙台市や名取市まで出られますから大きな買い物はそこで済ませられます。私の場合は仕事先が白石市内に留まらないので、行動範囲は広いほう。県内のいろいろな地域と関わっていると、地域性の違いも感じます。沿岸の方はお祭り好きでエネルギッシュな人が多いし、山のほうの人は奥ゆかしいけれど実は熱い思いを持っていたり。白石に暮らしながら、いろいろな地域性に触れながら仕事ができているので、私としては “白石市を含む仙南エリア”に住んでいるという感覚で、楽しんでいます。」
ご家族の理解もあり、フリーランスとしてアクティブに仕事をこなす谷津さん。最近はこんな地域活動も始めました。
「子どもの幼稚園のボランティア活動に参加していて気がついたのですが、お母さんたちって、子どものためならすごくエネルギーを出せるんですよね。仕事という場があれば別かもしれませんが、そうでない人は子どもが卒園・卒業するとそのエネルギーを活かす場所が減ってしまう。それで、女性の力を地域に活かすために、共感してくれた仲間と定期的にうちの会議室に集まって、何ができるか話し合いを進めています。市外からも参加があって、9人ほどいます。」
ガクセイズムや谷津さんのお話を聞く中で、使い勝手のいい活動拠点のニーズを感じました。白石市が整備中の「移住交流サポートセンター」に設けられるフリースペースに期待がもたれます。
最後に、Iターン者ならではの視点で白石市の良さについて話していただきました。
「白石は海も山もどちらも30〜40分で行けるので、子供とも遊びに出やすいです。最初の頃は、週末に気軽にスキーに行けるというのがカルチャーショックでした(笑)。東京にいると一番近いスキー場でも旅程をしっかり組んで、荷造りもして…と大掛かりになりますからね。山形にも近いので、旬の頃にはさくらんぼ、なしやぶどうなどの果物狩りにもいきますよ。いろんな経験をさせられるので子供にもいい環境だと思います。」
Uターン、Iターンどちらの女性にも「子育てにはいい環境」と評価され、地元で働きたいと話す若者もいる白石市。統計上は人口減の状態ですが、実は市外に暮らす“白石愛”の持ち主にアプローチすると、移住につながるのかもしれません。そこは「移住交流アソシエイト」の腕の見せ所。興味がわいたなら、ぜひ説明会に足を運んでみてください。
(文 藤野里美/株式会社キミドリ)