都市と農村の新しい関係性~モノコトの考え方をローカルシフトする取り組み~
働いたら幸せになれる社会を目指して
信岡さんは、大阪出身で大学卒業後、東京のベンチャー企業に就職。
2年半働いた後に退職し、自身の心に素直に暮らす方法を模索し始めた。
「会社自体は良かったんですけど、働き過ぎで体調を崩したことをきっかけに、何のために働いているのかわからなくなっちゃったんです」
と信岡さん。
それからというもの、環境やサスティナビリティなどといったキーワードが気になるようになっていったという。
「参加したあるワークショップで、土日はこうして地球にいいことや環境のことを考えるけど月〜金は仕事をすることで大量生産をしているんですよね、と話している人がいて、その人になぜ仕事を辞めないか聞いたところ、本当は田舎で自然のある暮らしをしたいけど雇用がないと言っていた時になるほどと思って。」
「月から金まで、1日8時間以上みんなが一生懸命働いて、環境を悪化させるシステムにコミットし、かたや環境のことを考える活動を土日に遊びで3時間くらいやっているんだったら絶対スピード的に勝てないんですね。 なので、もうちょっと環境に関する活動ができる人が自分の好きなフィールドで仕事ができる状態っていうのをつくりながら学べるといいなと思って田舎で持続可能性について学べる大学をつくるというプロジェクトをやろうと思って、それを株式会社として運営することで雇用もつくれれば一石二鳥じゃないかと。」
働いても働いても未来が明るくならない矛盾。
その流れを断ち切るために、信岡さんは動き出した。
海士町との出会いと巡の環の設立
その頃、信岡さんは一緒に活動していた高野清華さんに山内町長の著書『離島発 生き残るための10の戦略』を紹介されたことから海士町の存在を知った。
「海士町が改革を始めて4、5年経って徐々に人が集まりだしていた頃で、その取り組みをまとめた本なんですけど、そこに『よそ者、ばか者、若者、大歓迎です。島は生き残るために必死です』と書いてあって、三つとも当てはまるやと思って(笑)。」
一回行きたいねと話していたところ、偶然にも知り合いが既に海士町にIターンしていたことから3泊4日で海士町に行くことに。
そして実際に海士町を訪れ、「ここは理想で遊べる」と直感し、2007年11月から住み着いてしまった。
移住となると、住むところは?仕事は?と不安になるが、海士町ではそんな心配はなかったという。
「海士町には不動産屋がないんですよ。不動産業が成り立たないので役場が管理しています。だから役場に行けばなんとかなるんです。体験移住者用の家も役場が用意しています。」
と信岡さん。
「海士町の魅力は、移住者同士だけでくっつくのではなく、ちゃんと地元の人々に根付いて住んでいるところですね。海士町の取り組みに共感して集まってきているので、地域の人と何かしようという人がほとんどです。」
と、海士町の空気を教えてくれた。
役場の斡旋を受け、巡の環の代表取締役である阿部裕志さんと一緒に家を借りて島での暮らしをスタート。そして信岡さんが25歳の2008年1月、「持続可能な未来へ向けて行動する人づくり」を目的に、株式会社 巡の環を設立した。
「巡の環は、大きく3つの事業をしています。『地域づくり事業』、島のことを学んで地域の暮らしに根ざそうという取り組み。その学びを企業研修とか大学のフィールドワークみたいなことにパッケージし直して『教育事業』としています。そして、海士町で学んだことを外に伝えて、島の人と都会の人とを繋ぎ、地域を伝える『メディア事業』です。」
メディア事業では、定期的にAMAカフェという、海士町の食材を使った料理などを通して海士の魅力を伝えるイベントを開いたりしている。
「島のおじいちゃんから、うちの会社のみんなで田んぼのやり方を教わって、地域に根付くために会社で田んぼをやっています。ボーナスは米です(笑)。ハデ干しという海士町独特の稲の干し方があるんですけど、この文化を残そうと思った時に、島の外から田舎の原風景の田んぼを残すツアーとして募集し、労働力として島に来てもらっています。」
こうして巡の環では、信岡さんたちが島で学んだことを外の人と一緒に学ぶことで、海士町の伝統を守り、魅力を発信している。
都市と農村。その新しい価値観をつくる
信岡さんは2014年5月から活動拠点を東京に移し、「都市農村関係学」という分野を開拓している。
「田舎の問題は田舎の問題だけではないと思っていて、都会との関係で巻き起こっている問題が多いんです。黒字の都会が赤字の田舎を養っているという見方が強いと思うんですよ。でもその都会の黒字は田舎からモノや人が供給されているからだと。それっておかしくないかと思って。」
「どっちが経済的に上でとかでなく、役割分担として、稼ぎが得意なお父さんが都市で、育むのが得意なお母さんが田舎というように、日本全体が家族のように上手くいけば理想ですよね。」
これまで都会が偉いとされてきた価値観からみんなを紐解き、都会と田舎との関係をどうやって新しく結び直すか。そのために、都会と田舎の関係性を実感するためのワークショップを開いたり、自由大学で「コミュニティ・リレーション学」の講義をしたりして、より多くの人に田舎からの学びや、都市と農村との新しい価値観を伝えている。
海士町の島の大使として
信岡さんの東京でのもう一つの顔が、海士町の島の大使だ。
海士町では、東京・代々木の古民家カフェ「DADAカフェ」を大使館として活用している。
ここは単にアンテナショップとして消費地(都市)と生産地(島)として繫ぐのではなく、都市の人と島の人の繋がりの交流拠点となることを目的として開設された。
現在は第2、第4火曜日の月に2回、島の大使館としてランチメニューに島の食材を使ったり、信岡さんが相談役になったりしている。
取材中も移住に関するさまざまな質問をしてみたが、信岡さんは笑って一つ一つ丁寧に不安を解消してくれた。移住に興味があっても不安が拭えない方は、ぜひ海士町大使館を訪れて信岡さんと話してみてはいかがだろうか。