「奥能登」ってどんなところ?
能登半島は石川県北部にある日本海側に突き出た半島。豊かな生態系や自然環境が残る「里海里山」が集約された地域で、伝統的な農林漁法や工芸、食文化が息づいています。2011年6月には日本で初となる世界農業遺産に認定。さらに「のと里山空港」ができたことにより、羽田空港から約1時間でアクセスが可能になりました。
「奥能登」は輪島市・珠洲(すず)市・能登町・穴水(あなみず)町の2市2町を指す、能登半島最北部の地域。日本酒だけでなく、焼酎、ワイン、ビールの企業が、このエリアだけでなんと15社もあるのです。小さな地域のなかでこれほど密集しているところは大変珍しく、全国各地からお酒を求めて幅広い世代の観光客が足を運んでいます。
奥能登の酒の魅力を発信する「奥能登の酒プロジェクト」
近年、人口減少や高齢化が進行している奥能登。地域の活性化や交流人口の拡大を目指し、奥能登の食文化や観光資源を活用した事業を生み出す「奥能登ウェルカムプロジェクト」が2007年にスタートしました。
その一環として、 “お酒”をキーワードに奥能登の魅力を発信したいと立ち上がったのが「奥能登の酒プロジェクト」。酒づくりに関わる15社が連携し、さまざまな取り組みを行っています。
世代交代、移住者……個性豊かな若者がリード
今回はちょうど「奥能登の酒プロジェクト」の会議が行われているということで、少しお邪魔させていただくことに。中をのぞいてみると……メンバーそれぞれが意見をかわし、和やかな雰囲気のなか、会議が進んでいきます。
同業種はいわばライバル。しかし、奥能登では酒類の垣根を越えて各社が強い連携で結ばれています。そのきっかけとなったのは2007年3月の能登半島地震。新酒ができたばかりの時期に起こった地震は奥能登全体に大きなダメージを与え、壊滅的な被害を被った酒蔵も。しかし、蔵から酒を運び出す作業を手伝ったり、他社の新酒を預かって瓶詰めを引き受けたりと、地域の酒蔵全体で協力し合うことで危機を乗り越えました。
さらに、ここ数年で奥能登の酒蔵は世代交代が進み、20~30代の若者が事業の中心となってリードしています。会議に参加しているメンバーも若い世代の多いこと!
その一人、「奥能登の酒プロジェクト」のリーダーが、数馬嘉一郎(かずま・かいちろう)さん。なんと24歳の時に、140年以上の歴史を持つ数馬酒造の代表取締役に就任し、日本酒業界の風雲児として注目を集めています。
また、奥能登の里海里山に惹かれ、酒造り・ワイン造りを志した県外からのメンバーもプロジェクトを盛り上げる追い風になっています。
奥能登を周遊できる酒蔵めぐり
能登半島は、かつては海の底だったと言われ、その大地にはミネラル等の栄養成分が豊富に含まれていることから、古くから美味しいお酒が造られてきました。今でこそ、奥能登の酒の魅力は内外に知られるようになりましたが、数年前までは地元の飲食店でさえ、お酒のメニューには「日本酒」としか書かれておらず、地元のお酒をしっかりアピールできていない状況だったそう。
「奥能登の酒プロジェクト」では、「奥能登乾杯めぐり」と題したパンフレットやホームページを作成。15カ所の酒蔵スポットを紹介し、各店舗のおすすめの1本も掲載しています。
さらに、訪れた県外の観光客に奥能登のお酒を知ってもらうために、能登の玄関口「のと里山空港」や観光客が多く集まる金沢市内で、全15社の日本酒・ワイン・ビール・焼酎を試飲できる催しも行いました。お気に入りの1本を見つけ、試飲後に早速購入されるお客様がいたり、地元の方からも奥能登の酒造メーカーの多さに驚いた、といった声をいただきました。
2019年10月には、奥能登の日本酒・ワイン・ビール・焼酎の15社50種類のお酒を飲み比べできるイベント「奥能登Bar」を開催。つくり手と語り合いながら、ふぐをはじめとした奥能登のうまうまおつまみとともに奥能登のお酒を楽しみました。
着実に認知度が高まりつつある奥能登のお酒。もっと多くの方に奥能登の酒の魅力を知ってもらうために、一般の方を対象にした勉強会「酒塾」を通して知識の底上げを図ったり、県内外のイベントに出店したりと、様々な企画を実行していきます。
後編では奥能登のお酒に人一倍熱い想いを持つ「奥能登の酒プロジェクト」のメンバーをご紹介します。どうぞお楽しみに!