能登半島「輪島朝市」は女性たちのサードプレイス!? 1000年の歴史から見えた、未来への課題とは

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日本海に突き出た能登半島の北端に位置する石川県輪島市は、さまざまな歴史や文化が息づいています。なかでも「輪島朝市」は、能登半島でも常に観光客が後を絶たない人気スポット。日本三大朝市の一つとされており、1,000年以上続く日本最古の朝市なのです。

平安時代に物々交換からはじまり、地元の人たちの暮らしを支えてきた輪島朝市。現在まで続いてきた背景を探りました。

早朝から続々とやってくる出店者たち

潮の香りがほのかに漂う輪島市街地。通称・朝市通りと呼ばれる「河井町(かわいまち)通り」では、朝日が顔を出すと同時に朝市の出店者たちが続々と集まってきます。

慣れた手つきで店を組み立てていく出店者たち。昔ながらの木組みで建てる人もいれば、可動式什器を自作している人、パラソル一つで売り場をつくる人など、露店の装いはさまざまです。

8時過ぎにもなれば、ご覧の通り。露店の数は200以上にものぼります

新鮮な地物が並び、売り手買い手のやりとりを楽しむ

朝市を歩いてみると、それぞれの店では新鮮な野菜や魚の干物がずらり。さらに、野菜や果物、花、餅、漬物などの加工食品も並んでいます。

並ぶものを見ていると、輪島の旬が感じられます

朝市に出店しているのは、ほとんどが輪島に住んでいる農家や漁師の家に嫁いだ女性。自分たちで育てたものや、それをもとに加工したものを対面販売しています。

「今日は何が出てるの?」「これおまけしとくわ」こういった売り手と買い手のやりとりは、どこか懐かしい景色。大型ショッピングセンターやネット販売では味わうことのできない貴重な光景かもしれません。

日本最古の朝市

輪島朝市の起源は遡ること平安時代。神社の境内で祭礼日ごとに行われていた市がはじまりで、海の幸は農民に、山の幸は漁師にと物々交換が行われていました。

輪島中心部にある重蔵神社。参道は朝市通りにつながっており、昔はここの境内で市が開かれていました

江戸時代は日本海側の都市に商品を運ぶ北前船の寄港地だったこともあり、近隣からの品物が充実するなどさらに発展していきました。

明治21年、石川県知事によって道路使用が許可されてからは、毎朝市が開かれるように。現在は、毎月第2・4水曜日と正月の三が日以外は、毎朝8時〜12時まで行われています。

どんな時でも出店し続けてきた

輪島朝市で地元で採れた海産物を販売している大積美也子(おおつみ みやこ)さんは、11代続く海鮮問屋「海士屋文四郎(あまやぶんしろう)」の女将。

笑顔が素敵な大積さん

小学生の頃から祖母の手伝いで朝市に立ち、7年前から店を任されるようになりました。朝市では大積さんのように子の世代、孫の世代へと代々受け継がれながら続けている出店者が数多くいます。

「小さい頃の朝市は、今とは比べものにならないほどたくさんのお客さんがいました。朝市通りにお目当てのおもちゃ屋さんがあったんだけど、そこへ行くのも人をかき分けないと前に進めないくらいでしたね」

昭和から平成にかけたいわゆる”バブル経済”の頃は、年間250万人以上の観光客が訪れる一大観光スポットとなった輪島朝市。全国各地から観光バスが押し寄せ、品物を出せば出すだけ売れていく時代でした。

今よりも賑わっていた頃の朝市の様子(写真提供:石川県観光連盟)

その後、バブル崩壊や能登半島に被害をもたらした地震、リーマンショックなど輪島の観光に打撃を与えるさまざまな出来事が起きます。しかし、どんな時も朝市が途絶えることはありませんでした。

とはいえ、昨年からの新型コロナウイルスの影響は甚大で、春先は繁忙期にもかかわらず客足が途絶えたそう。高齢の出店者も多いため、朝市組合から出店の自粛を促した時期もありましたが、それでも多くの人たちが店を出し続けていました。

取材時(2020年12月)の朝市の様子

朝市は女性たちの「サードプレイス」だった

夏の暑い日も、雪が降りしきる寒い日も、お客さんが来ない時でも毎日欠かさず店を出す女性たち。そうまでして続ける理由は何なのかと大積さんに尋ねたら「朝市は習慣のようなもの。生活の一部」と答えてくれました。

「朝市で収入を得ることも大切ですが、それ以上に、馴染みの顔に会わないと寂しいと思う気持ちの方が強いんじゃないかな。ここに来ることが元気のバロメーターになっている部分もあります。朝市で顔が見えないと『あの人身体こわしたんかな?』と心配になるんですよね」

 

自分のつくったものを朝市に出し、お客さんに買ってもらう喜び。さらに、朝市はお客さんや出店者と会話をかわす社交の場であり、慌ただしい日常から解放される憩いの場になっています。

女性たちが母、嫁など家庭内で求められる役割から離れ、自分自身でいられる重要な役割を担ってきた場所。まさに朝市は出店者にとっての「サードプレイス」なのかもしれません。

「朝市は女性の世界なので、ちょっとしたいざこざや妬み嫉みもあります(笑)。でも基本的に女性は強いし根性がある。だからこそどんな時も歯を食いしばってでも続けてこれたんじゃないかな。もしも男性だけの市場だったら、今まで続いていないかもしれないですね」

外からの視点で朝市を楽しむ

さまざまな人たちの心の拠り所となっている輪島朝市ですが、近年は出店者の減少が課題の一つとなっています。特に野菜などを販売する農家の多くは高齢者で、跡取りもいないことから出店を辞めるケースが増加。新規出店者も最盛期に比べるとかなり少ないのが現状です。

そんななか、輪島塗を学ぶため10年前に千葉から移住した福塚真梨(ふくづか まり)さんは、3年前から朝市に出店するようになりました。

漆を使ったオリジナルの作品をつくっている福塚さん

「輪島に住み始めた頃は朝市通り沿いの建物に住んでいました。毎朝通るたびに『朝市って楽しそう』と思ってはいたのですが、自分が参加するにはハードルが高くて……」

出店者による「朝市組合」で運営されている朝市は、組合の承認を得てはじめて出店が認められます。組合員の多くが地元の人という環境のなか、県外出身の福塚さんには組合に入る勇気が出なかったそう。

しかし、作家たちが集う展示会に出品したり、朝市通り沿いにある家具店で一画を間借りし販売したりするなかで、地元の人たちとのつながりが生まれ、朝市組合に入ることになりました。

『URUSHI ひとしずく』という屋号で活動する福塚さん。輪島塗の蒔絵の技法を使ったアクセサリーやブローチが人気

「思い切って朝市に出店してみたら『意外と私にもできるんだ』と思いました。お客さんとの会話や自分の手で売る楽しさなど、これぞ朝市の醍醐味だなと感じています」

出店者仲間からも「まりんちゃん」と親しまれ、今ではすっかり朝市に溶け込んでいる福塚さん。

「全国から多くのお客さんが集まってくれて、楽しんでくれる。そんな朝市の良さを輪島の人にこそ、知ってもらいたいですね。お客さんとして来たり、組合に入ってみたり、関わる人が増えるといいなと思っています。私も朝市でもっと経験を積んで、いつか理事として運営にも挑戦してみたいですね」と語ります。

朝市を未来に残していくために

福塚さんのように輪島に移住してきた人たちの存在は、地元の人たちの価値観も変えつつあります。先ほど登場した大積さんもその一人。

「地元に長年いると、悪いところばかり目についてしまうので、福塚さんのように外からの目線で朝市を楽しんでくれたり、『輪島のこんなところがいいね』と言ってくれたりするのは素直に嬉しいし、自分には気づきもしなかった発見があります」

4年前には朝市組合の理事を務めた大積さん。福塚さんとの交流を通して、さらに朝市の今後について考える機会も増えたそう

1,000年以上続く長い歴史のなかで、発展を遂げてきた輪島朝市。これまでに、存続が危ぶまれるような出来事も何度もありましたが、その度に女性たちのたくましさと想いのある人たちによって支えられてきました。

「この朝市をこれからも残していくためには、組合理事の若返りや情報発信の工夫など、やるべきことがまだまだたくさんある」と語る大積さん。
福塚さんのように県外からやってきた人や地元の若者など、新しい風を受け入れ、さまざまな価値観がゆるやかに混ざり合う。そんな未来を目指し、これからも輪島朝市はさらに進化し続けるはずです。

興味を持った方は、まずは一度、輪島朝市を訪れて、1,000年続く朝市を支えてきた女性たちのパワーを感じてみてください。

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関連情報

輪島朝市:https://asaichi.info/

輪島朝市

1,000年以上続く日本最古の朝市で、日本三大朝市のひとつとされる。平安時代に物々交換からはじまり、地域の台所として、地元の人たちの暮らしを支えてきた。


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石原藍

石原藍ISHIHARA-Ai

大阪府豊中市出身。フリーランスライター兼プランナー。 大阪、東京、名古屋と都市部での暮らしを経て、現在は縁もゆかりもない「福井」での生活を満喫中。「興味のあることは何でもやり、面白そうな人にはどこにでも会いに行く」をモットーに、自然にやさしく、自分にとっても心地よい生き方、働き方を模索しています。趣味はキャンプと切り絵と古民家観察。

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