奥能登の酒蔵をリードする業界最年少の若き社長
最初にご紹介するのは、「奥能登の酒プロジェクト」のリーダーで、明治2年(1869年)から続く「数馬酒造」の社長、数馬嘉一郎(かずま・かいちろう)さん。
24歳の時に父親から経営を引き継ぎ、当時業界最年少で社長になりました。小さな頃から夢は「経営者になること」。 自分でゼロから会社をつくりたい!そんな夢を叶えるため、東京の大学を卒業後、経営コンサルティングの会社を志望します。
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「数馬酒造」の社長、数馬嘉一郎さん
「志望していた会社に最初は落ちてしまって。でも『この会社に入るって決めてるんですよ!』って直談判してリベンジ選考に持ちこみ、無事入社しました(笑)。結果を出してやろうと、経営者とのアポイントの数は常にトップでした」
ところが24歳の時、数馬さんの父親が地元信用金庫の理事長に就任することになり、急遽、実家の数馬酒造を任されることに。
「それまで一度も会社を継げと言われたことはなかったですし、酒造りの知識もありませんでした。父親も新しい環境で忙しく、引き継ぎも数社同行しただけで終了。まずは経営のことをいちから学ぶ必要がありました」
そこで数馬さんは、地元出身で成果を出している現役の経営者750人(!)に「経営を学びたい」と手紙を送付。経営のことを教えてくれる師匠を探すことから始め、快く引き受けてくださった先輩経営者から経営に関するあらゆる知識を学んでいきました。
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「一度決めたら食らいついていくタイプ。教えてもらったことを全部実行していきました」と数馬さん
学んだ経営スキルを活かし、就業時間や給与体制、商品の見直しなど社内の仕組みを大きく変え、なんと社長に就任して9年で業績を3倍に。
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多くのファンを持つ、数馬酒造の代表銘柄「竹葉」
なかでも大きく見直したのは、杜氏の雇用形態。これまで、酒造りの時期だけ雇用していた杜氏を正社員化し、通年雇用にしました。これにより、コミュニケーションの密度が高まり、会社の理念を反映した酒造りが可能になったそう。ノウハウが蓄積することで酒質も向上し、数々の賞を受賞するようになりました。
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数馬酒造の醸造社員平均年齢は30歳。醸造部門も20~30代が活躍しています
近年では持続可能なものづくりを目指している数馬酒造。耕作放棄地を使った酒米づくりや廃校を利用した醤油づくり、廃ワイナリーでのリキュール事業など、能登にある資源や資産を最大限に活かした取り組みを行い、全国の酒造メーカーからも注目を集めています。
「奥能登の酒造メーカーは皆、この地域を盛り上げたいという熱い想いを持っています。私もこの地元が大好きで、守りたい。だからこそ、地域で必要とされる経営力をこれからもっと身につけていきたいと思っています」
日本酒を通して私が好きな奥能登を伝える
次にご紹介するのは明治元年(1868年)創業「松波酒造」の金七聖子(きんしち・せいこ)さん。
京都の大学を卒業後、金沢の酒造メーカーでの修行を経て、家業を継いだ金七さん。能登半島の地域ブランドになった「能登丼」の開発や、奥能登の日本酒の魅力を都内に発信する「奥能登酒蔵学校」にも携わり、2018年から始まった「奥能登の酒プロジェクト」でもさまざまなアイデアで地域を盛り上げています。
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国内外で奥能登の酒を広くPRしている金七さん
「能登は酒どころなのに、これまであまりPRできていない状態でした。地元のお店ですら飲み物のメニューには『日本酒』とだけしか書かれていなくて、もっと観光客にアピールしたいよね、と酒蔵同士で動き始めたんです。ここ数年は酒蔵で世代交代が進み、若い世代が増えたことも重なって、さらに連携が深まりましたね」
松波酒造では若女将として販売やPRを担当している金七さん。能登の寒仕込みにこだわった昔ながらの製法でつくる代表銘柄「金冠 大江山」をはじめ、最近では能登の果物や野菜を使ったリキュールを開発。酒蔵見学ツアーも積極的に受け入れており、年間8000人もの旅行者が訪れています。
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2019年12月には、店内で気軽に試飲できる角打ちスペース「松波Bar」が完成
「小さい頃は能登が嫌で、大学では外に出ていきましたが、外からの目線で見るといいところがたくさんあるなと感じます。食べ物は美味しいし、四季がはっきりしていて自然が美しい。ゆったり走る鈍行の電車もいい。それが今も残っていることに価値があるのだと思います。自分の好きなものや残したいことをどう伝えていくか。まだまだやるべきことはたくさんあるなと感じています」
金七さんは、これからも日本酒を通して”荒海の幸から甘いデザートまで、楽しく乾杯を広げたい”という思いを伝え続けていきます。
やりたいことを叶えられる場所は奥能登だった
3人目は200年以上の歴史を持つ老舗「鶴野酒造」の鶴野晋太郎(つるの・しんたろう)さん。 大学を卒業し、IT企業に勤めるも、2018年に家業を手伝うためUターンを決意します。その理由は何だったのでしょうか?
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「鶴野酒造」の鶴野晋太郎さん
「小さい頃は近所から『鶴野酒造の息子』だと見られるのがプレッシャーでしたね。大学では地元を離れて電気系の勉強をしていましたが、地元から離れたことで少しずつ考えが変わり、いつか家業を継ぐのかもとぼんやり考えるようになっていきました」
父親が亡くなったことをきっかけに能登に戻った鶴野さん。しかし、このほかにも家業を手伝いたいと思った理由がいくつかあったそうです。
「大学の時にはじめて日本酒って美味しいと思うようになり、そこから日本酒にのめりこみました。小さい頃は蔵に入ることが許されなかったので酒造りのイメージがなかったんですが…。改めて美味しいお酒に出会って、こんなお酒をつくってみたいと思うようになったんです」
また、企業に属することの閉塞感も感じていた鶴野さん。大きな企業ではやりたいことを形にするまで時間がかかりすぎるというジレンマを持っていました。
「IT企業の仕事は基本的にBtoB(business to business)。消費者の動きがアプリやデータでしかわからない世界のなかで、もっとお客さんと直接ふれあいたいと思っていました。でも、よくよく考えてみると、これって全部実家の仕事に当てはまってるんじゃないかと気づいたんですよね(笑)」
灯台元暗しとはまさにこのこと。好きな日本酒に関わり、お客さんとふれあいながらスピード感を持って家業をより良くしていく。まさに鶴野さんの理想の働き方を実践できる環境が能登にはありました。
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「谷泉」は鶴野酒造の代表銘柄
現在はWEBサイトの更新や県外へのPRなど、各地を奔走している鶴野さん。酒造りの勉強も本格的に進めていくそうです。
大好きなワインに魅せられてたどり着いた奥能登
「奥能登の酒プロジェクト」では奥能登の土地やそこでつくられるお酒に魅了されて、外からやってきたメンバーも活躍しています。
4人目に紹介するのは、2019年7月に穴水町の地域おこし協力隊に就任した青崎かすみさん。それまで東京の大手音楽事務所に18年間勤務し、アーティストのPRなどを担当していました。
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穴水町の地域おこし協力隊・青崎かすみさん
「出身は埼玉県ですが、中学生の時に父の実家がある能登町に引っ越しました。能登で暮らしたのは中学高校の5年間でしたが、山も海もあり、四季折々のものが食べられる素晴らしい環境だなと思っていました」
音楽事務所ではアーティストのPRで世界各国、全国各地を回ることも多かったという青崎さん。ワインを飲む機会が多く、独学でワイン検定の資格をとるほどワインが好きになっていったそう。 「音楽事務所での仕事でやりたいこともやり尽くしたし、好きな場所で好きな仕事をしたい(地元で大好きなワインの仕事がしたい)」 そう思っていた時にふと思い浮かんだのが、昔住んでいた能登の豊かな自然でした。
青崎さんは、ちょうど募集していた穴水町の地域おこし協力隊に応募。6次化生業創造事業の一貫として、穴水町のワイナリー「能登ワイン」に携わることになりました。
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2万本のぶどうが育てられている「能登ワイン」。土づくりには能登でとれた牡蠣の殻を利用
「能登は都会と比べて不便じゃない?と言われることもありますが、のと里山空港からだと1時間で東京に行けるし、不便なことはないですね。能登の美しい里海里山は、観光地としても他の半島に負けないくらいの魅力があると思っています。能登ワインは、今は95%が県内で消費されているので、県外はもちろん、世界に向けて認知度を高めていきたいですね」
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国産ワインコンクールをはじめ、数々の賞を受賞している能登ワイン
「能登ワイン」ではイベントでのPRや販路の拡大に取り組んでいる青崎さん。これまで培った人脈や経験を生かし、今後は販路の拡大はもちろん、著名人とのコラボレーションやイベントなどの企画立案などにも挑戦したいと目を輝かせていました。
父の故郷で創業。ワインづくりからまちづくりへ。
最後に紹介するのは、輪島市門前町にある「ハイディワイナリー」の代表取締役、高作正樹さん。今回ご紹介したなかで唯一の創業者です。
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「ハイディワイナリー」代表取締役・高作正樹さん
横浜市出身の高作さんは、大学は工学、大学院は法学を専攻。しかし、将来は法律とは違う仕事をしたいと思っていたそう。そんな高作さんが目指したのは、ワイナリーでした。
「高校時代、スイスに留学した時に訪れたワイナリーの景色がいいなと思ったんです。ワインをつくるだけでなく、レストランや宿泊施設もある。ワイナリーを中心としたまちづくりをやってみたいと思ったんです」
日本でワイナリーを開きたいと選んだ場所は、父親の実家がある輪島市。畑の開墾やぶどうの苗木を植えるところからはじめ、2012年、高作さんが29歳の時に「ハイディワイナリー」を立ち上げました。
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ハイディは『アルプスの少女ハイジ』が由来。ワイナリーにはパン工房やレストランも併設されています
最初の頃は人よりたぬきが通ることの方が多かったと笑う高作さん。知り合いもいない新しい人間関係のなかではじめたワイナリーでしたが、除草剤や化学肥料を一切使わない土づくりや、ぶどうを傷めない手摘み収穫など、高作さんのワインづくりに共感する協力者が続々と現れはじめました。
なかでも、ワイナリーと同じ地域にあった曹洞宗總持寺の祖院とご縁ができたことから、大本山總持寺の御用達ワインとして採用されることに。 また、3ヶ月に1度、出来上がった季節のワインをお届けする「パスポート制度」などを通して、全国各地にハイディワイナリーのワインを待ち望む人が増えています。
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大本山總持寺の御用達ワイン「相承」
「地元出身者でもない私たちが能登で創業するのは大きなチャレンジでしたが、能登の人があたたかく迎えてくださったのは嬉しかったですね。『奥能登の酒プロジェクト』を通してワイン以外の酒造メーカーとのつながりもできました。若い世代で奥能登の酒を盛り上げていけるよう、新商品の開発なども積極的に進めていきたいと思っています」
それぞれに熱い想いを持つ酒のつくり手たち。奥能登では醸造現場を見学できるツアーも常時開催しています。個性豊かなメンバーと里海里山が育んだ美味しいお酒に会いに、ぜひ奥能登に足を運んでみてください。