地域ならではの価値観に触れて気づいた「場」の必要性
遠野市に移住してきた家冨さんは、農作業や郷土芸能団体での活動を通じて少しずつローカルでの暮らしに慣れ、地域の人たちと親しくなっていきました。四季の移ろいが早く、はっきりとした東北の自然。その環境に呼応しながら生きる地域の人のたくましさに、どんどん憧れる気持ちが増していきました。
その一方、今でもなかなか馴染めないことはあるといいます。ものごとが年功序列によって意思決定されることや、相対的に女性の発言の比率が少ないことなどを、地域に移り住んでから特に多く感じたそうです。
「生まれた環境や肩書きに関係なく、自分らしい人生を歩むことができる社会でありたい」と考える家冨さんは、地域にはより多くの人の価値観が交差する場が必要と思い、地域内外の人が語り合えて、情報交換ができる場としてスナックを立ち上げることを決めました。
それを叶える場所をスナックにしたのには理由がありました。スナックはすでに地方に根付いている文化であり、親しみやすい存在であること。そして、夜のお店の猥雑な雰囲気がさまざまな人を受け入れる器の大きさ持っていて、誰もが会話を楽しむことができる場所であることを、肌で感じていたからです。
2015年に開催された「Googleイノベーション東北 第1回アイデアピッチ大会」に参加した家冨さんは、ローカルでスナックを営業する意義をプレゼンして優勝。そこで得た賞金を元手に、2017年4月に「トマトとぶ」を開業しました。
正しさが求められる時代だからこそのスナックの役割
「トマトとぶ」に来るお客さんの年齢層は、若者からお年寄り世代まで幅広いです。NCL関連の人をはじめ、出張で遠野に来たサラリーマンの方や旅人、ふらっと飲みにきた地元の人など、肩書きも本当にさまざま。「トマトとぶ」という空間は、まさに多様な価値観が集まり、混ざり合う場所になっています。
「一対一で話す時は、人には言えないような話を打ち明けて相談してくださる場合もあるし、恋愛や仕事の話など、いろんな話題で語らいます。それから、日常生活の延長線では出会わない人同士が、隣り合わせになって話が弾んだりすることも。お客さん同士の相性を見ながら、つなぎ役として二人の会話が盛り上がるような質問をふったり反応をしてみたり。場のファシリテーターみたいなことをしています」と家冨さんは話します。
家富さんは、スナックという場について、「この時代に求められる”心の拠り所”なのかもしれない」と話します。現代では、SNSが生活の一部に組み込まれていて、日々自分のSNSに流れてくる情報に対し、親指ひとつで「いいね」を押すかどうかジャッジをしています。そして、そこで発信されている情報のひとつひとつに「正しさ」を求められる雰囲気が感じられます。その空気に、息苦しさを感じる人も多いのではないでしょうか。
そんな時代だからこそ、何者かも特定されず、ただその場にいてその瞬間の会話を楽しむことができる”スナック”という場が必要とされるのかもしれません。「居心地の良い場所にするためには否定も肯定もしないということが大事」と家冨さん。家の延長線上にのように安心して話すことができ、さまざまな価値観に触れることができる場所。それは、この時代に求められるちょうどいい安全地帯なのかもしれません。
スナックを通して世の中のエネルギーをより良く循環していく
家冨さんは、「お酒と会話を楽しむこと」を基本とするスナックのサービスの先に、目指したいことがあると話します。「ずっと変わらずに実現したいと思っているのは、一人一人の個性が活かされるユーモアのある社会と人の動線をつくること。人と人が偶然に出会い、対話を通じて価値観が磨かれるスナックだからこそできることがあると思っています。スナックに来てくれるお客さんとスナックで働く側の人の関係性を時代に合わせてデザインし直し、対話という体験を通じてポジティブなエネルギーが循環していくような仕組みをやれたらいいな」
家冨さんは、今後はお客さんだけでなく、一緒にお店を盛り上げてくれる仲間を募り、そのメンバーがスナックという業態を通じて自らを表現することに挑戦したり、自信をつけていくことをサポートしていこうと考えているそうです。働く側のメンバーが前向きで個性的であればお客さんもそこに魅力を感じて足を運ぶようになり、それに応えるように働くメンバーもより成長していく。そういった良いエネルギーの循環が生まれる仕組みをつくることが、家冨さんのやりたいことです。
この考えの源は、学生時代に学んだ建築にあるといいます。家冨さんは、建物自体を建てることよりも、「ハードである建築という箱に、どのような要素が揃うと建築と人が活きるような動線が生まれるのか?」ということに関心がありました。大学卒業後はその問いの答えを求めるように、地域移住や起業支援などさまざまなことにチャレンジしました。
住む場所を変えて価値観を広げ、チャレンジする人のサポートを通じて人の心の複雑さや経済の仕組みについて学ぶことで「人や空間に与える要素は実に複雑でさまざまだ」と感じたといいます。これらの学びを活かして、家冨さんはスナックの場を舞台に新たな挑戦をしていくようです。
Withコロナ時代にオンライン上の”3密”スナック
コロナウイルス感染症予防のため、スナックの営業も自粛せざるを得ない状況となった今春。家冨さんはオンライン上で「スナックトマトとぶ」をオープンすることにしました。
オンラインスナックトマトとぶは、個人出店できるネットショップ「BASE」でお客さんに気になるキャストを指名して予約をしてもらい、その後「ママ」「キャスト」「お客さん」の3人でオンラインビデオをつないで会話をするという仕組みです。
クローズドな空間で3人で会話を楽しむという内容から、家冨さんは冗談半分「オンライン3密スナック」と称しています。オンラインスナックを開店するにあたり、できる限りリアルなスナックの雰囲気を感じてもらえるよう、画面上の空間演出や来店前後のお客さんとのやりとりなどにこだわりました。その結果、約6日間の期間限定のオープンで5名のお客さまが来店し、「本当にスナックに来ているみたいだった」と好評でした。
オンラインスナックを始めたのは、外出が制限されるこの状況を受け、「リアルのスナックが提供できていたものは何か」とその価値を改めて考え直したことがきっかけだそうです。スナックの価値を構成していた要素を洗い出した後にオンラインでも再現できる形に企画したのが「オンライン3密スナック」です。
一人のお客さんとじっくり話せるように、クローズドな空間にして時間を50分に設定。ママとともに会話を盛り上げてくれるキャストを採用し、お客さんが緊張をせずに楽しむことができる座組みを考えました。
オンライン3密スナックの特徴でもある個性豊かなキャストさんたちの中には、日本を越えて遠くはアメリカのニューヨークから参加した人も。年齢も職業も住む場所もばらばらですが、オンラインだからこそ家冨さんの取り組みに共感して集まって関わることができました。家冨さんはキャスト同士が定期的に顔を合わせられる場をつくることで、チーム感と主体性を持って盛り上げていける機運づくりも心がけたといいます。スナックで働くという共通体験を通じ、距離を越えて相互に学び合う新たなコミュニティになりつつあります。
分かり合えない人と分かり合えるまで対話できる場所
SNSの普及によってオンラインでつながることが容易になった今、共同体というものの在り方が変化しはじめている時代だと、家冨さんは話します。インターネットのないひと昔前は、暮らす地域の価値観が合わなければそこの場所を離れるか我慢するかしか選べない環境がありました。
しかし今では、デジタルネイティブ世代を中心に、自分と似たような価値観を持つコミュニティをオンライン・オフラインどちらでも見つけて持つことが可能になりました。こうして社会全体としては少しずつ変化してきた共同体像であっても、一方で長らく土地に根ざし生きてきた人やインターネットに親しみのない世代の方々が多くいる地域社会にとっては簡単に受け入れられない価値観でもあると、家冨さんは考えます。
「『多様性』について語るときに、分かり合えている者同士だけで共感することにあまり意味はないと思っています。分かり合えない同士が対話をし、お互いの違いを知ったり、共存できる形を模索していくことに意味があると思っています。地域というフィールドではなおさらです。分かり合えない人同士が時には摩擦しあいながらも新しい価値観を生み出していくことに可能性と世界の広がりを感じます」
東北の山に囲まれた地域の小さなスナック「トマトとぶ」。そこには大きな世界が広がっています。居心地のいい場所であり、社会の変革が起き得る場所でもある、スナックという場の可能性。「トマトとぶ」から広がっていくエネルギーに、期待が高まります。