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2020年11月26日 工藤健

30歳でUターン。家業を継ぎ地元でイベントを仕掛ける。テーマは「自分が楽しむ」

青森県のほぼ中央に位置し、青森市に隣接する平内町。自生するツバキの北限地帯とされ、白鳥の渡来地が特別天然記念物に指定されていたり町内の約80%が林野であったりするなど、豊かな自然に囲まれた町です。

平内町で石材店を営む武田勇紀さんは高校卒業後に上京し、29歳になるまでの約10年間を町外で過ごしました。なぜ町を離れ、どのようにしてUターンすることになったのか。そして、武田さんの現在の活動や家族、同じ移住仲間をご紹介していきます。

「将来の夢は映画を作ることでした」と武田さん。高校は映画研究部がある学校を選び、観るだけに留まらず、自主製作もしていたと振り返ります。卒業後の進路は、友人らと海外で映画を勉強することを決め、最初のステップとして上京することにしました。「平内町が不便とか田舎だったからとかそんな意識はありません。ただ映画を作るために海外へ行くしかない、というのが目標でした。若気の至りでただ突っ走っていただけですね」。

オフィスで語る武田さん

当時の友人たちの中にはテレビや映画業界に勤めた人もいましたが、一人ずつ夢とは違う道を歩き始めました。武田さんもその一人。海外へ行くための資金作りに工場勤務やアパレル店で接客業などに携わりましたが、次第に仕事が楽しくなり、映画から離れていったと言います。25歳の時に再チャレンジして映画業界に就職活動を始めますが、挫折。アパレル店での仕事は29歳まで続けることになりました。

Uターンするきっかけの一つは妻・麻里さんとの出会いでした。子育ては都会ではなく自然に囲まれた平内町がいいと考えていたそうです。さらに武田さんは、両親が以前より小さく見えるようになったと明かします。「長男ということもあり、家業である石材店を継ごうという気持ちが芽生えるようになりました」と話します。

Uターンで意識に変化

武田さんは2010年に、30歳で麻里さんと子どもを連れて平内町へUターンします。武田石材店は平内町で唯一の石材店。武田さんは営業のほか、墓石のメンテナンスや文字彫刻、現場作業など、2代目として手伝うようになります。今までの接客業とは違う力仕事があり、苦労も多かったようです。

石材店の仕事には重い石を運ぶことも

平内町商工会青年部から入部の誘いがあったのはUターンしてすぐでした。「10数年ぶりに戻ってきたとはいえ、同級生はほとんど町外に出てしまっているため、同世代の仲間がいたわけではありません。青年部で仲間ができたことはうれしかった」と武田さん。

そんな仲間たちと街コン企画やハロウィンイベントなど、若者向けのイベントを次々と武田さんは仕掛けていきます。「東京にいた時は、イベントは参加する側。主催する側ではなかった。平内町に戻ってからは能動的に動くようになり、企画する立場になることが多くなった」。

武田さんの意識を変えた出来事があったと言います。DJの養成講座に参加したことでした。「以前からDJはやってみたいことの一つでしたが、30代となり今更と踏み出せずにいました。たまたま見つけた講座に参加したところ、自分より年上の人たちが初めて参加していることを知り、始めることに歳は関係ないのだと感じました」。

武田さんの職場には石材店とは思えないディスプレイが設置されている

そこで知り合った交友関係は、平内町だけでなく青森全域に広がります。そして、次々と新しいイベントを企画していきました。クラフトイベント「椿山クラフトキャンプ」は県内からクラフト作家を集めただけでなく、シーカヌーやビーチヨガなど、平内町の自然を生かした内容となり、町内だけでなく、県外からも集客があったと言います。

地域おこし協力隊だった渡辺美雪さん(右)とイベントを企画した

 商工会青年部や町役場の有志らとともに開催した「ひらないMiRAi商店街」は、平内町のメインストリート小湊商店街を歩行者天国にし、ステージイベントやDJイベントを企画しました。空き店舗が増えてしまった商店街を盛り上げようと開催したこのイベントには1000人の来場があり、賑わいを創出することに成功。

200メートルのストリートに露店が並んだ「ひらないMiRAi商店街」

武田さんは「単純に自分が楽しめることをしたいという考え方が大切。都会に住んだからこそ、地方にないものが何のかを気付くことができる。ないことに気づいたのであれば、自分が作ればいい。そんな思いで動いています」と話します。

観光施設に作ったカフェ

カフェ「BASE CAMP」は平内町に2018年に新設された観光施設「ひらないまるごとグルメ館」内にあり、武田さんの妻・麻里さんが一人で切り盛りしています。発案したのは武田さん。麻里さんは「ある日突然、『カフェをやらないか?』と誘われました」と振り返ります。東京ではカフェで働いていたという麻里さん。「いつかは自分の店を持ちたいという漠然とした夢はありましたが、突然のことでびっくりしました」と話します。

チャレンジショップの一画にオープンさせた「BASE CAMP

起業を目指す町民向けに施設内の一区画を貸し出すチャレンジショップに出店。武田さんは「東京と違い少ない資金でも開業できたことが大きい。誰かに借りられる前に始めたかった」と話します。麻里さんに不安はありましたが、挑戦することをすぐに決めました。

麻里さんは九州・宮崎県出身。高校卒業後に上京し、武田さんと出会います。カフェは今年で2年目を迎えますが、宮崎から訪れた人はまだいませんと笑顔を見せます。「九州に行きました、といった声を聞くことはありますが、私の地元出身の人とは会ったことはないですね。それほど遠くに来たという実感はあります」。

カフェのメニューは自身の経験を生かして考えたという武田麻里さん

平内町へ移住した当初、友達はなく話し相手もいませんでした。苦労したことは多かったですが、保育園や幼稚園で知り合いを増やし、次第に交友範囲を広めていったと言います。そこで意気投合したのが「お菓子工房 プティ・ボヌール」の渡辺さん夫妻でした。武田さんの後輩にあたる夫婦で、近所ということと同じ移住仲間ということもあり、新たな相乗効果を産むことになります。

ハンドドリップでコーヒーを入れる麻里さん

移住夫婦が営むスイーツ店

「プティ・ボヌール」はフランス語で「小さな幸せ」という意味で、平内町出身の渡辺悟さんと妻で宮城県出身の綾香さんが夫婦2人で2012年に開いたスイーツ店です。もともと和食の料理人を目指していた悟さんが、和食とは違う奥深いスイーツに魅了され、開業しました。

プティ・ボヌール店内

悟さんは高校を卒業後、和食の修業をするため、宮城のホテルに就職。そこから12年間、仙台を中心に宮城で過ごすことになりますが、同じ職場にいたのが綾香さんでした。

小さい頃から料理人を夢見ていたという渡辺悟さん

綾香さんは悟さんのUターンに反対しませんでした。その理由を平内町が住みやすいということを挙げます。「私の出身地である宮城県七ヶ浜町は、平内町と同じ半島にある町です。町の規模や大きさは同じですが、むしろ平内町の方が住みやすいかもしれない。結局のところ、住む場所は比較すると欲を出してしまいキリがないのでは」と綾香さん。

接客が好きと渡辺綾香さん

店はオープンしたもののすぐには軌道に乗ることができませんでした。1年くらいは苦戦したと悟さん。開業時からサポートしてくれたのが武田さんだったと言います。「武田さんには頭が上がりません。以来、武田さんのやることには必ず協力します。後悔したことは一度もありませんが、唯一あるとすれば、商店街の活性化のためと髪を切らされたことですかね」と悟さんは笑います。

綾香さんは麻里さんと同じIターン者として、移住当初は友達すらいなかったと思い返します。「子どもたちの面倒は家族が見てくれたことがとても支えになりました。保育園でできたママ友たちには一生懸命、店のことを営業していました(笑)そうやってできた友達の口コミで広がり、今があると感じています」と綾香さん。

4人で対談

BASE CAMP」で提供するメニューには、「プティ・ボヌール」から仕入れたスイーツもラインアップしています。また地元の作家が作る雑貨やTシャツなども販売。武田さんは「平内町は国道が東西に横断し、移動に使われるだけで足を止める人が少ない。BASE CAMPは平内町の良い店を紹介できるアンテナショップのような役割ができればと考えていた」とその目標を語ります。

平内町の魅力と若い夫婦

4人は口をそろえ、平内町にはまだたくさんの魅力があると言います。「椿をイメージしたケーキや生産量日本一の青森県産カシスを使ったスイーツなど、魅力的な地元の食材がたくさんあり、それを素材として今後も使っていきたい」と悟さん。綾香さんは「地元の人が地元の良さを意外と知らないことが多い。スイーツを通じてその魅力を届けられるようになれば」と話します。

麻里さんも綾香さんの意見に同意した上で、「私の店は町外の利用客が多いため、プティ・ボヌールだけでなく、町の魅力を発信できる場にしたい」と意気込みます。

今後も何か新しいことを始めたいと楽しそうに話す武田さん。趣味で集めたグッズや映画の何かを展示したり、誰かとコラボしたりするスペースを作ったりと夢は膨らみます。「自分たちが楽しむことで、その楽しみが周囲にも伝わることができるのでは」と武田さん。

映像作りも始めてみたいと話す武田さん

平内町では新しい世代が新しいことを仕掛ける気運が高まりつつあり、地元の魅力発信にも一役買っています。インターネットや技術の発達により、地方でも情報収集に困ることなく、発信することも可能になりました。現在においては、都会より地方の方が新しい取り組みが生まれやすくなっているのではないでしょうか。そんな一面が平内町ではムーブメントになっていました。

そして平内町では、町の花である「椿」をいかしたまちづくりプロジェクトに参加し、地域住民とも協力しながら地域を元気にするために一緒に考えてくれる方を募集中!詳細は募集ページをご覧ください。

取材先

青森県平内町

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工藤健

工藤健青森在住のライター。埼玉出身。2012年まで都内でウェブディレクターやウェブライターを生業にしていたが、地域新聞発行の手伝いをするために青森へ移住。田舎暮らしを楽しみながら、ライターを続けている。自称りんごジャーナリスト。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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