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2020年12月24日 高橋さよ

自分らしく伝統を継いでいく。高知県三原村「土佐硯」の後継者たち

高知県幡多半島地域の山間部に位置する幡多郡三原村。この地を代表する伝統工芸品が、室町時代が起源といわれる「土佐硯(とさすずり)」です。
“硯”とは書道に用いられる道具の一つ。墨を磨る(する)ために使われるもので、若い世代のなかには「硯を使ったことも見たこともない」という人もいるかもしれません。
需要の減少は多くの伝統工芸品にとって大きな課題ですが、三原村の土佐硯はその課題をバネに新しい“職人の働き方”を生んでいます。

六千万年前の堆積岩で作る土佐硯

三原村は、人口約1500人が暮らす静かで小さな村。標高120〜200mの高原盆地にあり、面積のほとんとが山林であり、集落に広がる田園からはおいしいお米が収穫でき、人気の特産品となっています。しかし、かつての特産品の主役は「土佐硯」でした。

三原村の田園風景

村内にある渓谷には、およそ六千万年前頃のものといわれる「黒色粘板岩」の鉱脈があり、その石は硯に適しているといわれています。

三原村で採掘される黒色粘板岩は、つややかな黒い石のなかに金星・銀星と呼ばれる特殊な成分を含有し、ワイルドさと美しさを併せ持っています。墨をなめらかに磨ることができ、硯から生まれる墨色は微妙な筆運びも表現できると高く評価されてきました。

左が土佐硯の原石となる黒色粘板岩。削りや磨きをかけて硯に仕上げます

1982年には土佐硯職人が集い「三原硯石加工生産組合」を発足。専用工場を構え、多いときは25人ほどの職人さんが硯づくりを行っていたそうです。その全盛期から現在まで職人を続けているのが組合長の榎喜章さんです。

三原硯石加工生産組合の組合長を務める榎喜章さん

「組合として工場を構えていますが、仕事自体は職人一人一人が独立して行っており、作業スペースも個々に仕切られています。大量注文があるときには皆で協力しますが、基本的には自分が作業をしたいときにやって来て、自分が納得するまで時間をかける。この石はなかなか言うことを聞いてくれない素材ですから、満足できる硯はなかなか生まれません。でも、そこが面白い。土佐硯は奥深い世界です」(榎さん)

組合の工場内。職人一人一人のスペースが設けられています

 

自然消滅も覚悟…風前の灯の中で始まった後継者育成制度

使う人もつくる人も魅了する土佐硯ですが、近年は樹脂製の硯や墨を磨る必要のない墨汁が当たり前となり、さらに、パソコンやスマホが普及して字を手書きする機会そのものが少なくなり、衰退の一途を辿りました。

「全国の書家や愛硯家からは高い評価をいただいておりましたが、土佐硯は長く使い続けることができるがゆえに、どんどん売れるものでもない側面があります。需要は伸びず、職人も高齢化によって人数が減っていき、われわれは土佐硯は自然消滅していくものだと覚悟していました」(榎さん)

まさに風前の灯火だった土佐硯の伝統をなんとか後世に残そうと三原村が取り組んだのが後継者育成を目的にした研修制度です。
これは、5〜10日間の短期体験研修と、最長2年間にわたる長期研修の二段階で行われ、要件を満たせば研修期間中に毎月15万円が支給されます。
研修中は基本的な技術を覚えること以外に、いや、それ以上に「大事なことがある」と榎さんは語ります。それは土佐硯を継いでいくために必須となる“働き方”を身につけることです。

伝統を守るための、“パラレルワーク”

「後継者問題のハードルとなっているのは、硯づくり一本では生活ができないことです。昔は硯づくりだけでも暮らせましたが、今は需要が少ないため難しい。だからこそ、研修期間中に他の仕事も見つけてもらい、この村で暮らしていける基盤をつくってもらう必要があるんです」(榎さん)

実際に榎さんは地域の草刈りや通学路のガードなどいくつかの仕事を兼任しており、他のベテラン職人さんも複業や年金など、別の収入源があるといいます。
なかなか厳しいように思える土佐硯職人の現実。ですが、その現実をポジティブにとらえ、自分らしい働き方を実践する後継者が現れました。東京都から移住した壹岐(いき)一也さんです。

三重県出身で、以前は東京で会社員をしていた壹岐一也さん

「三原村はすごく静かな場所なんです。だから、集中できる。納期に追われることもないので、いくらでも時間をかけられるのが良いんです」(壹岐さん)

そう言って笑う壹岐さんは、2012年までの10年間、東京の出版会社に勤めていました。転機となったのは、2011年の東日本大震災で被災した民家の後片づけを手伝ったことでした。自分自身に対して「何か大切なことを忘れていないか」と感じたといいます。
会社を辞めて約3年間の旅に出た壹岐さん。世界各地をめぐり、日本各地もめぐり、四国遍路をはじめた頃に「そろそろ落ち着きたい」と思うようになりました。

「高知県はまったくの無縁で、誰も知り合いもいなくてまっさらなイメージがあったのが魅力でした。移住を考え、高知県の移住コンシェルジュに相談に行ったときに、伝統工芸品の仕事をいくつか紹介されたのですが、そのうちの一つが土佐硯だったんです。でも、正直、最初はピンと来なかったです。高知には他にもいろいろな伝統工芸品があり、それらに比べると地味なんですよね。でも、実際に加工場に訪れ、職人さんが一人黙々と作業をしている光景を見て、労働としてバリバリやるわけでなく、自分のペースで仕事をしているように感じたんです。石を削るというシンプルな仕事も良いなと思い、研修に参加することにしました」(壹岐さん)

ノミで削った石を紙やすりで丁寧に磨いて仕上げていきます

それまで書道や硯とは縁がなく、物づくりに興味があったわけでもなかった壹岐さんですが、研修がスタートすると、すぐに硯づくりの面白さに“ハマった”といいます。

「作業中は誰にも干渉されないですし、その分、じっくり考えられる。会社に勤めていたら、そんな時間はなかなかないですよね。もちろん頭の中にあるイメージを形にしていくことは難しいです。完成しても光りの当たり方によって見え方が変わりますから。作業は単純ですが、奥が深いし、終わりがない。でも、そこが面白いと感じます」(壹岐さん)

そして、壹岐さんは、複業でないと生活ができない土佐硯の現状も「自分に合っている」と考えています。

「頑張ってつくっても月に多くて10個。売れても一個1〜2万ぐらいですから、硯づくりで生計を立てようという気持ちは、最初から持っていません。それに、僕自身、硯づくりに追われたくないという気持ちがあります。硯一本で生活していたら、“売れない”と悩んでしまうかもしれないけど、もともと複業だから焦ることなく硯づくりに向き合うことができるんです」(壹岐さん)

現在の壹岐さんは、昼間は組合の工場へ行って硯づくりを行い、夕方からは村の小中学生を対象にした放課後児童クラブの指導員として働いています。また、空き時間には興味のあったプログラミングの勉強もしているのだそう。日常のなかにさまざまな変化があるからこそ、静かに集中して行う硯づくりの心地よさが引き立って感じられるのかもしれません。

「“伝統工芸品の後継者”と聞くと身構えてしまいますけど、三原村の土佐硯職人は複業が前提だから、良い意味で拘束されている感じがないんです。もちろん、つくるだけでなく売っていくことも考えなくてはいけませんが、焦っても良い硯は生まれませんから、ゆっくりと続けていきたいです」(壹岐さん)

広めるために、新しいカタチを。

後継者育成の研修制度をきっかけに、もう一人の若手職人が誕生しました。東京都出身の足達真弥さんです。組合にとっては初の女性職人となりました。
足達さんは長年、茨城県で陶芸の仕事をしていましたが、東日本大震災で陶芸窯が崩壊。関東に住み続けることに思うところもあり、これまで訪れたことのなかった四国へ行ってみようと思ったそうです。そして、高知で暮らすようになりました。

「高知県内に住んではいましたが、三原村は遍路道のある場所だというぐらいの認識で、土佐硯の存在は知りませんでした。でも、県の移住コンシェルジュから土佐硯が後継者を募集していることを聞いて、一度体験してみよう思い、短期研修に参加したんです。実際に自分で石をノミで削った瞬間、感動しました。石の魅力にハマったんです」(足達さん)

足達さんは土佐硯職人になることを決意し、2017年に村へ移住。「最初から硯だけで生計は立たないことは分かっていましが、陶芸でも生計が立つ保証はないので、迷いはありませんでした」と振り返ります。

組合初の女性職人となった足達真弥さん

もともとものづくりの職人として仕事をしてきた足達さんの心をトリコにしたのは、“石を削る感覚”だといいます。

「六千万年という時を経て生まれた石を使うことも、とても貴重な仕事だと思いますし、何よりその石を削る“のみ彫り”の工程が好きなんです。石は薄い層になっており、うまく“のみ”が入るときれいに剥がれるんです。静かな環境なので集中できますし、作業しているあいだにも色々なアイデアが生まれてきます。観光体験でも『すごく癒やされた!』とみなさん喜ばれます」(足達さん)

のみ彫りの作業。柔らかい石なので気持ちよく削れる

さらに、足達さんは硯を通して、書道そのものの素晴らしさにも気がついたと語ります。

「役場の方に誘っていただき、奈良にある墨づくりの現場を視察させていただき、さらに感銘を受けました。古くから筆墨硯紙は『文房四宝』といわれているそうですが、本当に宝だなと感じます。実際に硯を使って墨を磨り、筆で字を書いてみるとすごく充実した気持ちになれるんです。こんなに良い物なら、みなさんにももっともっと伝えたいなと思いました」(足達さん)

足達さんはここ一年、畑作りと併行しながら硯づくりに集中し、スマホとほぼ同サイズのケースに入る硯と墨と筆のセットを考案。販路確保に向けて東京の有名店とも直接交渉を重ねるなど、硯の新たな需要の掘り起こしに力を注いでいます。

「宝物がここにあるのに、忘れ去られようとしているのがもったいない。一人でも多くの方に、この楽しさに気がついてほしいんです。決して順調な道のりではないと思うけど、今、とても楽しいですよ」(足達さん)

できることは、まだまだある。

2人の若手職人が増え、にわかに活気づいてる組合。需要が減ったために原石の採掘もしばらく中断していましたが、「若い職人が増えたので」と十数年ぶりに採掘を行う計画も進んでいます。

土佐硯の石切り場

「今は販路を見つけることすら厳しいのが現状です。ただ、僕たちはパソコンやネットを使うことができず、足で稼ぐしかなかった。でも、今の若い人は違うでしょう? もしかしたら、そういったものを活用して、新たな販路を掘り起こせるかもしれない」(榎さん)

自然のなかにあれば“ただの石”でも、その原石を磨けばつややかに光り出し、人々を魅了する硯へと生まれ変わります。土佐硯も“衰退していく伝統工芸品”の一つかもしれませんが、時間をかけて磨いていけば、何かが変わるかもしれません。三原村に流れるゆったりとした時間は、これから腕と硯を磨いていく若い職人にとって、強い味方なのです。

土佐硯づくりや三原村の暮らしに興味のある方は、まずは5〜10日間の短期体験研修に参加してみてはいかがでしょうか。新しい人生の扉が開かれるかもしれません。

取材先

土佐硯加工製作所

幡多郡三原村柚ノ木1027-2 TEL:0880-46-2730

高橋さよ
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高橋さよ

高橋さよ高知生まれ・高知育ち・高知在住の、“高知ひとすじ”に生きるフリーライター。自身が抜け出すことのできない高知の魅力を、さらに世に広めるべく活動している。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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