バンドマンたちの疑問とノリから発足
音楽で食べていく生活をめざして、地方から東京へ出てきた若者達。彼らはフリーター生活をしながらバンドを続けていましたが、都会生活が長引くにつれて少しずつ積み重なっていく違和感。どこへ行ってもあふれかえる人々。刺激はたくさんあるけれど、時間に追われ、どこかピリピリして、ストレスフルな日々。これが本当に自分たちの求めていた暮らしなんだろうか…? いつしか、バンド仲間が集まって話すネタはそんな内容にシフトしていました。
一方地方部では過疎高齢化が進み、人口と後継者の不足が深刻な問題として表面化。「消滅集落」という言葉も聞こえ始めた頃、「それならば、都会での生活に疑問を感じる若者が集団で移住して、地方の生活を支えていけばいいじゃないか」という流れから、この活動が発足しました。
地方部の主力産業は多くが農業。そして音楽好きの若者集団。ということで安直に付けられた「農音」の名前。
いかにも若者らしい「ノリとイキオイ」だけで発足してしまったのが、このNPO法人「農音」でした。
農音が中島でやっているのは、「これまで」と「これから」に向き合うこと
現在の農音の活動についてですが、具体的なところでいえば、中島への移住者を中心に柑橘栽培への従事、害獣(イノシシ)対策、また移住希望者への情報提供(移住相談や空き家探し、仕事探しなど)を行うとともに、首都圏に住むメンバーが柑橘の販路拡大や広報宣伝でサポートするという2拠点体制で活動を行っています。
ただ、地域活性と一口にいっても、取り組むべき問題は数多くあり、どんな方法論で、どんな優先度で取り組むかということに正しい道はありません。ではそんな中で農音は中島の抱える問題に対してどう取り組んでいるのか?
これは、正直なところ、「自分たちも日々試行錯誤している」としか言いようがありません。
何せ、「地方このままじゃだめじゃん!」とノリとイキオイだけで中島に飛び込んでしまったのです。いざ島に行ってみれば、実に愛媛県民らしい、のんびりと穏やかな人々が暮らしています。外からいきなりやってきた、どこの馬の骨ともわからない若造たちがわーわー騒いだところで、いぶかしげな目で見られて終了です。さらに押したりすれば「何だかめんどくさいヤツが来たわい…」となるのは自明。
そのうちふと思いました。
「この島に現在暮らす人たち、そしてこれからこの島で暮らす人たちにとっての『理想の生活』って何だろう?」
外からの目で見れば、「ああしたほうがいい」、「こうであるべき」と改善したくなることが何かと目に付きやすいものです。しかし、その土地にはそれまで暮らしてきた人々の文化があり、地理的な特徴があり、何よりそこで暮らす一人ひとりの個人がいます。それを無視して、したり顔で「べき論」や「正論」を振りかざすことが、いったい何の役にたつものか。
まずは島の人たちとお互いを知り合い、島の人たちが望む未来を知り、その上でこれからの島での生活をどう魅力的にしていくか。外から来た人間であるという視点を活かしながらも、「当事者」としてどっぷり入り込み、一緒に「これまで」と「これから」を考えていく。そのために必要だと思われることのひとつひとつに、今はしっかりと向き合うべきタイミングだと考えています。
島暮らし体験を通じて、移住希望者とトコトン本音で話す!
SNSを中心にラジオ、雑誌などさまざまなメディアを活用した地道な情報発信が実を結び、現在では「自然の豊かなところで農的生活をしながら子育てをしたい」という若手夫婦や、現在の職場を早期退職して農業をはじめたい壮年の方、また地方活性化に興味のある20代の方などを中心に問い合わせをいただいています。
問い合わせに対してまずはメールや電話などでやりとりをし、さらに深く知りたい方には「島暮らし」の体験プログラムをご案内しています。これは、実際に中島に来ていただき、農音メンバーによる島案内や農業体験、釣り体験、島民との交流など、「中島の普段の暮らし」を体感してもらうもので、島の日常になるべく近い過ごし方をすることで、具体的なイメージをつかんでいただくことを目的としています。同時に、農音メンバー、つまり実際に移住した人がフルでアテンドにつくことで「移住に際しての疑問や不安」をトコトン話すことができます。
農音のメンバーは皆、島での生活を飾るようなことは言いません。嘘をついて島に移住していただいても、お互いが不幸になることが目に見えているからです。島で暮らすことにはいいことも、良くないこともある。それでもこの島での暮らしが好きだと思える人たちが今、中島に移住して住んでいます。移住者自身の視点からありのままに話し合うことでミスマッチをなるべく少なくしようとするこの取り組みが、この3年半の間にやってきた移住者が未だ誰一人として中島を離れていない、という事実につながっているのかもしれません。
一級の柑橘栽培ノウハウを継承する
中島の主力産業である柑橘栽培。瀬戸内の温暖少雨な気候と島という立地がもたらす潮風、そして島の環境を踏まえて培われてきた独自の剪定技術により、中島では非常に濃厚な味わいの柑橘が実ります。かつては「丸中(まるなか)」というブランドを持ち、いよかんでは日本一の高値を付けたこともある中島のみかんですが、JAの統廃合の影響によりブランドは消滅。高い技術を持った農家の人々も、後継者不足でそのノウハウを次世代に伝えられないまま高齢化が進み、農音が移住してからの3年半でも次々と畑を手放す人たちがでてきています。
現在、移住者の中で柑橘農業に従事しているのは約半数。駆け出しのひよっこ農家のため、島の先輩農家の方々から栽培の知識を教えてもらいがてらその方の畑の手伝いに行く機会もあります。そんな折り、農家の方のちょっとしたお願いごとを引き受けたりすると、思っている以上に感謝を受けることがよくあります。移住者の一人は「都会では一瞥もされなかったようなことでも、ここではものすごいお礼になって返ってきたりする。そんなにしてくれなくても…とも思うけれど、やっぱり悪い気はしないんだよね。だったら、自分にできることならまたやろうかなという気になる」と語ります。互いができることをやり、精一杯で返しあう。とても地方での暮らしらしいエピソードだなぁと感じます。
「人と人とが支え合う」を実感できる
よく言われる「都会での生きづらさ」というのは、コミュニケーションが稀薄であることに起因するのかもしれません。効率を重視し、個々人の意思や思いよりも方法論に当て込んでいく対応。すべてがすべてではないですが、思い当たる節もまた多いのでは。
地方では何より、コミュニケーションの量が問われます。生活環境が整っていない分、足りない部分は自分たちの力で補っていかなければならないためです。消防署がなければ消防団を結成する。イノシシによる農作物への被害が甚大であれば、対策協議会を結成して持ち回りで対応する。ただ「生きていく」ということに対して、自分一人でできることは実はほんの少しで、誰かと力を合わせていくことで初めて安定した生活ができるのだと実感しやすいのも地方暮らしの特色なのでしょう。
とはいえ、コミュニケーションが「上手い」必要もありません。何せ、ちょっとシャイで、繊細で、都会に馴染めなかったただのバンドマンたちが楽しく暮らしているくらいですから。必要なのはお互いを知ろうとする素直な心と、「こんにちは」と「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えることくらいです。
「地方は人との距離が近すぎる」と言われることもありますが、少なくともここ中島には、気さくで穏やかで、かつ比較的オープンな人が多いように感じます。じっくり、ゆっくり人と向き合いながら、自分の暮らしを自分で組み立てていきたい人。そんな人には中島はとってもおすすめできますし、今、地方が求めているのはまさにそういうタイプの人なのです。いつでも気軽に、中島に遊びに来てください。中島の未来を、そしてあなた自身の人生を一緒に考えていきましょう。まずは瀬戸内の風光明媚な景色を眺めながら、酒でも飲み交わしましょうや。