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2015年3月28日 山田智子

海も山もある― 渋谷出身の清水恵介さんが魅せられた“豊かな暮らし”

東京都利島(としま)村。伊豆諸島にある、島の80%が椿に覆われている椿の島だ。
人口は約300人。20、30代の約8割が移住者というこの小さな島は、なぜこれほど人を引きつけるのか?
その答えを探すべく、西風吹きすさぶ冬の利島へ向かった。

 

日本一の椿島

伊豆大島からヘリコプターで10分ほど飛ぶと、前方にお椀を伏せたようなきれいな三角形の島が見えてくる。東京都利島村。人口約300人、周囲約8km、面積は4.12㎢の東京都の市町村で一番小さな村だ。

冬でも一面緑に染まったこの小さな島は、上空から眺めると時折キラキラと光って見える。島の約80%を覆う椿の木がその“光“の正体だ。近年、大手化粧品メーカーのシャンプーで再注目された椿油だが、実は利島は椿油の生産量日本一を誇る。量だけではなく、質が高いことでも定評があり、化粧品はもちろん、料亭などでは高級な油として珍重されている。

椿の花

その日本一の椿油の品質を支えるのが、東京渋谷区から移住して10年になる「利島村椿油製油センター」の清水恵介さんだ。 生粋の都会っ子だった清水さんが利島への移住を決めた理由は何だったのだろうか。

移住した理由は、「正直ノリですね(笑)」

清水さんが初めて利島を訪れたのは19歳。
「通っていた専門学校に島出身の人がいて、夏休みに遊びに来たんですよね。もう16年前のことです。それがきっかけで、専門学校の2年間は毎年夏に来ていました。」

何度も訪れるうち、清水さんは利島の人と自然に魅了されていく。

専門学校卒業後は東京の広告代理店にアルバイトとして勤めたが、半年ほどで辞めたのをきっかけに、休暇を兼ね1ヶ月ほどプールの監視員のバイトをしながら利島に滞在する。

プール

「プールのバイトを1ヶ月して、終わったら帰ろうって思っていたら、うちで働かないかと言ってくれる方がいました。ちょっとは考えたけど(笑)、正直ノリというか、流れですね。」

清水さんは26歳の時に住民票を利島に移した。

利島に移住した当初は、ヘリコプターのセキュリティスタッフや道路清掃やゴミ回収など様々な仕事をしてきた。農協のアルバイトの延長として、この椿工場で働きはじめたのが、移住して3年目。「現在の職に就いて、やっと生活が安定しました。」と話す清水さんに、収入が不安定な中でも利島に住み続けた理由を聞いてみると、
「やはり自然の近くに住みたかったからですかね。ここで生活してて、たまに実家に行くと、早く帰ってきたくなる。全然利島がホームですね。都会にいると疲れるし、お金も使ってしまう(笑)。」
という答えが返ってきた。

話を聞きながら、「豊かさとは何か」という問いがふと頭をよぎる。

江戸時代から続く「椿油」をつなぐ

椿油の歴史は江戸中期まで遡る。利島は川がなく稲作ができなかったため、「年貢」として幕府に献上するために椿油を生産していたという。それから200年以上の時を超え受け継がれた遺産は、今や島になくてはならない基幹産業へと成長した。

椿畑

利島の椿畑は美しい。雑草一つなく、見事なまでに手入れが行き届いている。
利島では、木になる実を取るのではなく、完熟落下した実を一粒一粒拾って使用する。そのため、実を見つけやすいように手入れを欠かさないのだという。
段々畑になっているのも利島ならでは。雨で実が流されないための先人の知恵だ。

椿の実を拾う人

夏を過ぎると、先祖代々受け継がれてきた椿畑の恵みに感謝をしながら、丁寧に実を拾う姿が見られる。それぞれの農家で集められた椿実は、11月頃から工場に届けられ、搾油作業に入っていく。収穫の多い年だと、11月から5月のゴールデンウィークまで工場はフル稼働する。

実験室のような工場内を清水さんに案内してもらった。前処理、搾油、精製(脱酸、脱水)、濾過、充填。これらの工程を、選別機、乾燥機、搾油機、遠心分離機、脱酸油精製設備、脱臭脱色設備と、異なった機械で一つ一つ丁寧に行なっていくと、椿実は黄金色の椿油になる。今では各作業を慣れた手つきで行なう清水さんだが、最初は全くの門外漢だったという。

清水さん

「最初は石抜きなどの前処理から始めて、前任者に教えてもらいながら、少しずつ搾油などを覚えていきました。前任者が亡くなられてからは、精油工場に研修に行ったりして自分なりに研究してきました。 前任者は、実は島内の方ではなく、30年ほど前にこの工場を建てた機械屋さん。工場を建てた時、島の人からやり方も教えてほしいと言われ、でもその方も分からなくて、そこから独学で研究されてきたんです。」

清水さんは前任者のノウハウと情熱を受け継ぎながら、さらに創意工夫を重ね、より質の高い椿油を追求している。 「脱酸や精製には、“教科書”があるのですが、ここでは少し違うやり方でやっています。現場ならではの理由があって、今のやり方に至ったのだと思います。それをもっと良いやり方に変えていくのは、次の人だったり、そのまた次の人だと思っていますので、つなげられるように頑張っていきたいです。」

自然とともに生きる厳しさと豊かさ

“利島の椿油のキーマン“と言われる清水さんだが、椿工場での仕事だけでなく、漁業と農業も行なっている。利島では複数の仕事を兼業するのはめずらしいことではない。

椿

「ここでの生活は、海と山の仕事が両方できて楽しいですよ。プライベートが仕事みたいなところがあります。」と充実した表情で話すが、「でも」とすぐに続ける。
「でも、結構大変ですよ。何が大変って、仕事に関わってくる自然環境。雨が降ったら、外での作業は出来ないですし。この間は、せっかく育てた野菜の苗が風で飛ばされて半分がダメになりました。自然と上手につきあわないとね」
だが、そんな苦労話を話す姿もとても幸せそうに見えた。

取材先

利島村椿油製油センター 清水恵介さん

東京都渋谷区出身。35歳。
利島に移住して10年。現在は、利島村椿油製油センターで椿油の精油、品質管理などを行なう。
釣りが趣味で利島を訪れていた島外の女性と知り合い結婚、奥様、双子のお子さんと4人で暮らす。

利島の好きなところ:海と山と椿

山田智子
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私が紹介しました

山田智子

山田智子岐阜県出身。カメラマン兼編集・ライター。 岐阜→大阪→愛知→東京→岐阜。好きなまちは、岐阜と、以前住んでいた蔵前。 制作会社、スポーツ競技団体を経て、現在は「スポーツでまちを元気にする」ことをライフワークに地元岐阜で活動しています。岐阜のスポーツを紹介するWEBマガジン「STAR+(スタート)」も主催。 インタビューを通して、「スポーツ」「まちづくり」「ものづくり」の分野で挑戦する人たちの想いを、丁寧に伝えていきたいと思っています。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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